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さぁ、ひととしての次元を上げるときがきた【さらば、noteを書く理由(4)】

こんにちは、さらばです。
noteを初めて一ヶ月半ほど経ちました(特に一度も宣言してませんけど、なにげに今のところ毎日更新してます)。

はじめの三日間で自己紹介がてら、

  • どういう心構えで書くか。

  • なにを書くか。

ということを書きました。

でもこれらの記事では、

  • どうしてnoteを書き始めたのか。

ということにはほとんど触れていません。

年始に思い立ちました。
「そうだ、noteやろう」

とは書きましたが、思い立った理由はそれなりにあります。
それをひと言で表すと今回のタイトル、

「さぁ、ひととしての次元を上げるときがきた」

ってことになります。
なんじゃそりゃ? って感じですよね。


この話は自己紹介の延長でしかないので需要があるとは思いませんが、先日改めてわたしがnoteで書こうと思う内容を整理し、八つのサブタイトル・テーマを考えました。
今後それらを書いていくにあたり、わたし自身、足場の確認をしたいと思ったので、言語化しておきます。

というわけでこのサブタイトル、「さらば、noteを書く理由」をしばらくつらつら書いていきますが、まず、

ひととしての次元ってなんだよ?

と思いますよね? たぶん。
とりあえずこの話から入らせてください。


人間の成長って、どこかで頭打ちになるんですよね。たいてい。

勉強でも、仕事でも、趣味でも、なんでもいいです。
なにかをやり出すと、最初のうちは学んだ分だけレベルが上がります。もちろん個人差はあるでしょうが、誰しも低レベルのうちはそれなりに正しい努力をすればテンポ良く成長できるものです。
RPGとかのゲームでも同じですよね。

ですが、一定のレベルに達すると、なかなか上達しなくなります。
壁にぶつかります。

これも「どのあたりで壁にぶつかるか」「その壁を越えるのにどのくらい苦労するか」はひとそれぞれですが、誰でも必ずぶつかるものです。
それでもゲームなら弱い敵を倒せばごく僅かでも経験値が手に入り、量を積み重ねることでいつかレベルアップしますが、現実はそうなりません。
壁にぶつかった人間は、弱い敵を倒しても経験値が入らなくなるからです。

そうなったひとの行く末は、ふたつしかありません。
そこへ留まり続けるか、次元を上げるか。

前者は哀れです。
変化する力を失い、「人生こんなもんだよ」とうそぶくようになり、変化を志向する若いひとの足を引っ張るようになることもあります。

しかし後者はとても難易度が高いです。
「レベルを上げる」ではなく「次元を上げる」。
点は線へ、線は面へ、面は立体へ、立体は時系列へ……それまでとは全く違うなにかを獲得しなければ、次元は上がりません。
志しても叶うとは限らず、挑んで諦めれば結局前者になってしまいます。

「え、なに? 要するに、さらばは壁にぶつかったの?」

はい!

変わらないと続かない、という予感

正確には、「このままだと早晩壁にぶつかる予感がある」です。
ほとんど確信に近い予感です。

その予感を得たのは、ここ数年わたしの身の回りで起きた幾つかの変化がきっかけです。
それらを前に、今ここで自分が変わらないままでいたら、なにか決定的なものが失われるのではと感じました。

その変化は物語をつくる文書きとしてのわたしにも、仕事をするビジネスパーソンとしてのわたしにも訪れています。
そしてそれぞれ全く違う内容ながら、深いところで繋がっているように思うのです。というか、繋げなければいけない・・・・・・・・・・と。


そのためにどうすべきか?
わたしの結論は「学び、考える」でした。

わたしという人間のこれまでを紐解き、現在地を確認し、インプットを増やし、叩き壊すことを厭わず再構築する。
変えるべきことはなにで、変えてはいけないものがなにかをはっきりさせる。

そのためには「書く」ことが最適です。
だから、ここに来ました。


という流れで……次回から現在地の確認フェイズとして、具体的にわたしの文書きとしての段階、仕事人としての段階について書き連ねていく所存です。

お読みいただきありがとうございます。
さらばでした!

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