求められたことを写真で表現する。その技術提供者であることが自分の役割です
野原さんと札幌千秋庵の仕事の始まりは、2023年3月に発売された「大福パン」の写真撮影でした。以来、「巴里銅鑼」や「ノースマン」の季節フレーバー、「月の石」など、野原さんの撮影によって、札幌千秋庵のお馴染みのお菓子に新たな魅力が加わり、より現代的な印象へとアップデートされています。今回の【一日千秋】では、野原さんと写真との出会い、カメラマンとしての道のり、札幌千秋庵の商品撮影におけるこだわりについてお話を伺いました。
カメラマンとしての歩み
― カメラマンを目指すきっかけは何でしたか?
野原さん(以下、敬称略):僕は札幌生まれで、四年制大学を卒業後、販促備品の会社の営業として5年間働いていました。学生時代からカメラや写真に特別興味を持っていたということではなく、思い出作りとして友だちとインスタントカメラで写真を撮る程度で、まさか写真を仕事にするとは思いませんでしたね。
営業として仕事をするようになってから、趣味ではじめたBMX(自転車競技)の仲間の写真を撮り始め、徐々に写真の仕事に魅力を感じ、給料で機材を購入し始めました。当時は今ほど写真情報が手に入るプラットフォームがなく、雑誌をたくさん読んでいて、そこに載っていた広告写真に興味を持ち、「これはどうやって撮るんだろう」と考えるようになりました。世に出る広告写真は誰かが撮っていると気づき、写真の仕事に興味を持ち、会社を辞めることを決意しました。27歳の時で、30歳前には始めたいと考えての決断でした。
そこで、「会社を辞めたい」と申し出て、3ヶ月後に退職することにしました。しかし、写真で生計を立てることができるかどうかは不安でした。どうすればよいか分からない時、知り合いのカメラマンに相談しました。そのカメラマンは僕の現在の師匠で、アシスタントが独立したため、新しいアシスタントを探していました。相談に行ったタイミングが良かったため、「とりあえず来てみて」と言われました。
会社を辞めた翌日、何も分からない状態でカメラアシスタントとして撮影現場に足を運びました。それが、僕のカメラマンとしてのスタートでしたね。
― 転職について、周囲は驚いたり反対したりしましたか?
野原:はい、本当に驚かれましたし、反対されました。写真はアート的な側面も持っているため、「どんな仕事をするの?」という反応でした。「画家になります」とか「ミュージシャンを目指します」と言い出したようなもので、周囲からはそのように捉えられていました。写真家というと、写真集を出版したり展示会を開いたり作家活動をする人もいるため、みんなはそういったイメージを持っていたようですね。
また、写真専門学校を卒業して、20歳位からスタジオで経験を積んでいる人から見れば、27歳からのスタートは遅い方だったと思うんですね。広告に携わる先輩に相談しましたが、「絶対にやめた方がいい」と言われました。しかし、僕はその道を選びました。
― 周りからの反対を押し切ってカメラマンになったんですね。野原さんを突き動かしたものって?
野原:そうですね。若い頃の無謀とも言える自信があり、「大丈夫、絶対にうまくいく」という確信があって…。まったく迷うことはありませんでした。
それに、仕事としての商業写真は、アーティストのように売れるかどうかの不確実性ではなく、職人としての技術を磨くことで、努力次第で成し遂げられると信じていました。会社を辞めるときも、次の行先は決まっていませんでしたが、迷いはありませんでした。
― それはかなり大胆な決断でしたね
野原:周囲からもそう言われました(笑)。将来がどうなるかは見えていたわけではなく…。何とかなると信じていました。
― 昔から、思い立ったらすぐ行動するタイプとか?
野原:フットワークが軽いタイプでもなく、めちゃめちゃ慎重ですね。すごい下調べをしてから始めます。学生時代からサッカーやギター、BMXなど、どれも好きで挑戦して夢中になりましたが、特に目立つ成果はありませんでした(笑)。しかし、写真に関しては、雑誌でなんとなく調べてはいたんで、仕事でやっていくための道筋はちょっと見えていたんでしょうね。
― カメラマンとしてのキャリアについて伺います
野原:師匠であるカメラマンの個人事務所でアシスタントとして働き始めました。当時から現在とほぼ同じ種類の仕事をしていました。
道内外のクライアントの広告写真を撮影し、広告代理店やデザイン会社から依頼された企業広告やお菓子メーカーのカタログなどを手がけていました。そこでアシスタントとしての業務を行いながら、徐々に自分の仕事が増え、新しいアシスタントが加わったことで、自分がメインで撮影する量が増えました。2013年頃から自分に直接依頼が来るようになり、仕事量をこなせる自信がつき、10年目を迎える節目である2018年に独立を決意しました。
現在は、食品関連の撮影が全体の半分以上を占めています。その他はプロダクト撮影、つまり物撮りです。そして、人物撮影に関わる仕事も多くあります。
― はじめて撮影した印象深い仕事については?
野原:最初に一人で撮影したのは、ある専門学校のパンフレットで学生を撮る仕事でした。師匠が受けていた仕事でしたがタイミングが合わず、1日だけ代わりに担当することになりました。ベテランアートディレクターと共に、彼の構想に沿って撮影しました。初めての仕事で非常に緊張しましたね。撮影前にはスタジオで照明の配置やアングルについて徹底的にシミュレーションしました。
その方は、非常に優しい方でしたが、経験のない私にはどう対応して良いかわからないほどの存在です。初めての現場で戸惑い、今のように経験を積んでいれば対応できたなという場面でも、当時はどうすれば良いかわからなくて…。アートディレクターの指示の下、照明の反射などの問題に直面しながらも、様々な場面で判断を迫られました。今ならテクニックとして対応できますが、当時は想像もつかないことばかりでしたね。無事に撮影は終わりましたが、師匠からは「全然ダメだ」と厳しい評価を受けたことを覚えています。
不安と緊張の連続でしたが、そこに面白味を感じましたし、この仕事を選んで良かったと感じましたね。現在でも同じですが、毎日が「面白さ」=「不安と緊張」が半分ずつで、それがこの仕事の魅力ですね。
札幌千秋庵との出会い
― 札幌千秋庵との出会いについてお伺いします
野原:実家ではノースマンをよく食べていました。親が法事から戻ると、いつもたくさんのノースマンを持ち帰り、それを食べるのが楽しみでしたね(笑)。焼きたての生地としっとりとしたあんこの組み合わせが大好きで、その上に押された方位を示す印を覚えています。札幌出身で、札幌千秋庵の店舗が至る所にあったのを憶えており、祖母の家への道すがらにあった店舗をよく利用していました。
― 札幌千秋庵の写真を撮影するようになったきっかけは何ですか?
野原:よく一緒に仕事をするデザイン会社のアートディレクターから依頼されたのが「大福パン」の撮影でした。スタジオに届いた「千秋庵」ロゴ入りの番重には感動しました。業務提携の詳細を知らなかったため、伝統ある企業の社長が若い方だとは思わず、驚きました。親に「千秋庵の社長が来た」と話すと、札幌千秋庵への深い愛着を持っているようで、大変喜んでくれましたね。
「大福パン」に続いて「巴里銅鑼」、次に「銭函金助」の撮影をしました。どの撮影も非常にスムーズに進みましたね。
▼ここで「ノースマン栗」の撮影風景をご紹介します。
写真撮影に対する姿勢
― 写真撮影においてどのようなことを大切にしていますか?
野原:写真撮影には「こういう写真がほしい」というクライアントさんがいて、どう撮影するかをディレクションするデザイナーさんがいます。そこに対して、僕は技術提供者みたいな感覚でいるんです。やりたいことをどう写真で表現するか、その技術の部分を考えるのが僕の役割です。なので、僕自身は「こうしよう」というこだわりをあえて持ち込まないように意識しています。気を付けているのは「整っているか」ということ。スッと商品が目に入ってくるかということですね。
野原:また、商品が「美味しそう」に見えることはもちろん、「キレイに見えているか」も重要なポイントです。キービジュアルはその商品の公式写真なので、その商品を最もキレイに撮る必要があると思っています。なので、撮影する商品の状態にも気を遣うようにしています。
僕は非常にロジカルなアプローチを取るタイプです。札幌千秋庵の商品撮影では、物の配置や構成に至るまで、黄金比などのバランスを頭に描きながら組み立てています。それらの比率を用いることが必ずしも正解ではありませんが、視覚的にも分かりやすいです。特に現在は、一枚の写真を様々な比率で分割して使用する事が多いです。SNS用でスクエアに切り取ったり、長方形にすることもあります。構成のバランスが取れていれば、どのようにトリミングしても違和感が少ないです。僕の場合は頭の中にグリッドを浮かべて、そのバランスで撮影しています。
― 札幌千秋庵の撮影で、特に印象に残っている撮影はありますか?
野原:宇宙菓『月の石』の撮影は本当に楽しかったです。「宇宙菓」をどう表現するか相談を受けて、月面をどう表現するかを探求し、最終的にデザイナーの嶋田さんが描いた背景ボードが見事な仕上がりになりました。撮影中にボードを曲げてみたところ、月面のカーブを表現でき、素晴らしい効果が生まれました。その時、撮影スタッフ全員が協力してアイデアを出し合い、各自の役割を果たすチームワークの感覚があり、非常に印象深い仕事となりました。
僕はどちらかというと、難しい撮影ほど「どうにかしてやろう!」という気持ちになって燃えるタイプです。『月の石』の撮影ではイメージを写真にするために力を尽くしました。
― ありがとうございます!野原さんの写真のおかげで、壮大な宇宙が表現できました。
撮影で大切にしていること
― 札幌千秋庵の撮影で心がけていることは何ですか?
野原:商品情報をいただいた後、それを基に撮影を計画しますが、あまり奇抜な表現は避けています。
クライアントによっては、「新しい表現をしたい」というオーダーで、インパクトを与えるために奇抜な表現が求められる場合もあります。
一方、札幌千秋庵の場合は、長期にわたってブランドイメージを保ち続けることが求められます。そのため、誰が見ても違和感を覚えないような中庸な表現が必要です。ですので、今まで積み上げてきた歴史やお客様の期待を裏切らないよう中庸な表現を保ちつつ、野暮ったくならないように心がけています。ここは非常にバランスが難しいのですが、一定以上の品質を保ちつつ、ありきたりな表現にならないようにしています。
― 絶妙なバランスが必要なんですね…
野原:そうですね…。奇抜な表現は意外と取り組みやすいのですが、多くの人が認める「札幌千秋庵らしい」という感覚を保ちながら、自分自身も「これは札幌千秋庵の写真として良い作品だ」と納得できる写真を撮ることが大切です。この撮影に携わる関係者全員、そしてお客様にも違和感なくスッと入ってくる、最適なバランスを見つけることを大切に考えています。
― 様々な仕事をされている中で、世の中とのバランスを提案していただけるのは、非常に心強いです。これまで撮影していただいた写真を振り返ると、納得感があります
野原:確かに、中庸な表現は時として整いすぎて無難になることもありますが、札幌千秋庵は奇抜な表現や流行りの表現を用いて話題をさらっていくようなメーカーさんではないと思っています。
札幌という街で長い歴史を重ねながら、今リブランディングを通じてブランドに新しいエッセンスを加えている最中ですよね。
現在はSNSが発達し、一部の表現を切り取って極端な解釈をされる時代なので、一枚の写真で「札幌千秋庵ってなんか変わったね」というネガティブな印象を持たれてしまうリスクがあります。だから僕のこだわりを持ち込んで「新しい撮影方法を試そう」とか「流行に乗るからこれをやるべきだ」という提案が適切かどうか常に悩むところです。
札幌千秋庵のお客様の層を考えた時、「ここ2~3年の千秋庵の変化を知る人」と「それ以前からの変化を見守ってきた人」の割合は、まだ後者の方が多いと感じています。長い歴史と確立されたイメージがあるため、現在は両者がミックスしている状態なのかと…。時間が経過すれば、「札幌千秋庵はこのようなスタンスである」という理解が広まり、新しい革新的な表現へのシフトもより容易になるかもしれません。ですから、現段階では、中間をゆきながら積極的にバランスを取ることを心がけています。
― ありがとうございます。とても伝わってきます!
写真の楽しさ、魅力
― 仕事以外でも写真を撮ることはありますか?
野原:プライベートでは家族の写真も撮影しますし、人物だけでなく自然も撮影します。特定のジャンルにはこだわらないんです。こだわりがあるとすれば、「そのものに見えないように撮る」ということに挑戦していますね。見慣れたものを別のアプローチで撮影することで、まったく違って見えたり、大きなものが小さく見えたりするような、シュールな感覚を追求しています。
僕のプライベートワークのひとつに「花火」の撮影があります。花火が上がり、火の粉が落ちる瞬間を捉え、長いシャッタースピードで動きをぼかしながら撮影します。これにより、光の軌跡のような動きがあるものが写り、花火とは全く異なるものに見えます。カメラを通じて「一瞬だけを切り取る」と、その物が変化して何であるかが全く分からなく見える。それが写真の面白さだと思います。実際に存在するものが、まるで別のもののように見える錯覚を写真で表現できるのが魅力ですね。
― 仕事では正確に伝えるものを撮影し、個人のプライベートワークでは対照的なアプローチで撮影されるのですね…
野原:はい。しかし、両者には繋がりがあります。仕事で撮影するときに「これは実物より小さく見える」と感じることがあります。それがどの要素によるものなのか、レンズの焦点距離、周囲の物の大きさ、撮影角度など、どれが影響しているのかを考えることも、写真の魅力の一つですね。
▼ここで野原さんのプライベートワークをいくつかご紹介いたします。
― 最後に、野原さんのプライベートについてもお聞きしたいのですが、普段から好きなことや趣味はありますか?
野原:実は僕、趣味という趣味がまったくなくて…。有名な映画やドラマもまったく見ません。写真集や雑誌はよく見ますが、本は読まないんですよね。日常的に音楽は聴きますが、趣味を聞かれると困りますね…(笑)。
そう考えると、カメラが一番の趣味かもしれません。今も趣味の延長でやっています。
― 趣味が仕事につながっているのは、うらやましいですね
野原:サラリーマン時代は、仕事が終わった後にカメラや写真のことを調べていましたが、今では夜通しで写真について調べることができます。写真の仕事が生活と一体となっている。寝るか写真か、という生活を送れることが幸せです。あらためて振り返ってみると、ずっと仕事と地続きで写真のことだけを考えていますね。
|編集後記|
カメラマンさんを撮影するのは緊張しましたが、「撮られるのは、ちょっと…」と照れながらも非常に好意的に協力していただき、感謝の気持ちでいっぱいです。お忙しい中、取材にご協力いただきありがとうございました。野原さんの撮影によって、昔ながらのお菓子に新しいニュアンスが加わり、現代的な仕上がりになりました。札幌千秋庵の歴史と伝統を大切にしつつ、革新を取り入れる絶妙なバランスの重要性を教えていただきました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。