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美しい距離

山崎ナオコーラさんの『美しい距離』という小説を読んでいる。

読みながら「お産のときの、産婦さんと彼女を取り巻く家族の距離」について考えている自分がいた。美しい距離ってなんだろう。お産介助につきながら、私はいつもそう自問自答している。

助産師の立ち位置はわかりやすい。黒子なので、あくまでも一番うしろがわだ。図形の書式設定でいえば、最背面。お産に向かって導くような場面もあるが、それは求められる役割であり、立ち位置は変わらない。問題は、夫と実母の距離だ。

時折、お産がまるでお祭りか何かのように、親戚一同勢揃いしてドンチャンしている方もおられるが、私の経験上、そういうお産はだいたい進まない。途中で「まだ?」と産婦さんを急かすような空気になり、産婦さんに焦りが出て悪循環になることが多い。空気を変えるために、夫や実母以外の人は上手に理由をつけて退出してもらう。照明を落として陣痛に集中できる雰囲気を作った途端にぐっとお産が進むことが、嘘みたいだけどよくある。お産のときの空気づくりは、本当に大切だ。

「お産の時に、夫は役に立たない。実母の方がよっぽど頼りになる」

度々耳にすることばだが、そういう状況があるとしたら、それは助産師の怠慢だと思う。お産経験のある実母は、夫より産婦さんの気持ちがわかるかもしれない。しかし、だからこそ、どこをどうしたらいいかを夫に伝えていくのが助産師の役目だ。ぐいぐいと実母が前に出ることで、夫が気圧されて部屋の隅で小さくなっていたりすると、さてどうしたものかと考える。場合によっては、実母でも一度退出してもらい、敢えて夫と二人の場面を作ることも必要だと教わった。実母か夫か、どちらか一人を優先するとしたら、私個人的には夫を優先したい。お産は、家族の再構成の場面だと思うからだ。もちろん産婦さんの思いが最優先ではある。産婦さんと夫と、そして実母との関係性を読み取って、一番なめらかにお産が進む空気を作ること。いつも頭を悩ませている。

稀に、最高に美しい距離でお産に立ち会ってくださる実母さんがいる。実母がいるという安心感は保ちつつ、最前列は夫に譲って自分は一歩引きながら、かゆい所に手が届くサポートをしてくれる。そういう実母さんがおられると、助産師としてとてもありがたいなあと感じる。娘をよろしくね…そういうバトンタッチの場面に居合わせるようで、とても素敵だなとぐっとくる。自分が親になったときには、是非見習いたいと頭が下がる。

命をかけたお産という現場で、一番冷静に客観的に家族の距離を眺められる職業は、他にない。助産師とは、美しい距離を常に考える仕事なのだと思う。

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