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エッセイはちっぽけな自分の足あと

心が和む文章や、誰を元気にする文章を書ける人ってステキだなーと思う。


見るだけで元気が出たり、心が安らぐ。



noteで発信をし始めて数日ほど経った。

毎日更新ではないけども、緩みたいときに書く。

無意識に頭の中にごった返している、思考の数々を言葉で棚卸ししていく。

好きなことの一つは整理整頓。

だから、頭の中も定期的に整理整頓。

すると、スッキリ掃除される。頭の中にスペースができてクリアになる。これはいい。


もともと、文章を書くのも読むのが好きなので

noteで毎日色々な人の文章を触れるのが日課になった。

色々な人の、リアルな生き様に触れられる。

飽きっぽくて、途中でついていけなくりがちなわたしだけど、

「あ、なんだかおもしろい」


と思った。

会ったこともない人の言葉や経験たちが、スマホ越しに、ソッとわたしの心に入ってくる。


その時々の気付きや想い。


そっと、自分の精一杯生きた証を書き記している。


みんな、色々抱えて生きているのだな。

なんともいえない気持ちになる。



人はつい、自分以外の人は皆楽しく、順調に生きているような錯覚になる。

頭では違うと分かってるんだけど

心でそう思えないときがある。


自分が辛いときは特に。

元気が出ないときは特に。

行き詰まったときは特に。


終わりのないような孤独を感じる瞬間がある。


明日が来るのが、生きていくのが怖いときもある。



29歳のごく普通の主婦。3才の母親であるわたし。

もう「大丈夫っ?」って父や母みたいに、

またはかつての親友みたいに

いちいち自分を側でよく見てくれる人はいなくなってしまった。

どっちかというと、わたしはもう親なので今度は見る立場。

たくさんして親に愛情かけてもらったことを、子供にお返ししていく立場。

さらに歳を重ねると、老いていく父や母や義母を見ていく立場。


絶対的な味方は夫になる。物理的にも1番近くにいる。

けど夫は夫婦といえど、もとは血の繋がっていない他人。

いまだにお互い、分からないこともたくさんある。

自分ばかりにベクトルが向かぬよう、日々相手を思いやり、適度な距離感はとても大切。


「しっかりしなきゃ」。



たまに優しい人がいて

「あなたのために」って言われることも

やってもらうこともある。

本当にそうなのか?信じてよいのか?それでよいのかも分からなくなる。

それだけ日常が忙しくて大変だからだろう。また、条件付きだったり、何か他に理由があることが多くなるし。

感覚が鈍る。鈍って守る。歳を重ねるごとに。

そんな自分が、少し寂しい人間になったようで悲しくなるときもある。



なので、やっぱり1番側にいるのは自分自身になる。


歳を重ねるということはそういうことで、

わたしだけでなく皆そうだろう。


あー1人だな。

と思うときは誰でもある。


だけど、そんなとき。

色々な人が色々な想いを抱えて生きていることを知るだけでも救われたり「色々あるけど…明日もがんばろ」って自分を立て直したり元気になる。


誰かの文章に

ありがたいな。救われるな。

と思うからわたしも書いたりする。


自分のためと

会ったことも見たこともない誰かのために。


そんな中で、最近思ったのは

「ついつい毎日見てしまう文章があるのはなぜだろう?」

という疑問。

ステキだなぁとか共感したり、キュッと胸が締め付けられる文章がある。


なぜかなーとここ数日考えていた。


上手い文章やキレイなセンスのある表現?…当然そうかもだけど、

その前に

自分が心から納得していることや素直な文章、本音な言葉は伝わるものが多いと思う。

リアルな雰囲気や想いをダイレクトに感じてつい見てしまうのかもしれない。


文字から雰囲気やオーラを感じるって言葉もあるけど、なんとなく理解できる。



Webライターは情報を正しく分かりやすく伝える仕事。

読者に会うことはないけど、必要な瞬間に誰かのためになる仕事。


この noteでは、エッセイは自身のリアルな経験を書く。


基本的に自分のために書いている。

仕事ではない。

誰のためにもならないかもしれない。

わたし、平凡な主婦の29歳のエッセイは

けして有益ではないだろう。


そんなことは分かっている笑


だけど、意味がないとは思わない。


「意味がなさそうだから」

とかで好きなことを捨てるのは今年から辞めようかなと思う。

他にも色々あるけれど、結構捨てていたり、諦めていた。

時間ないから、とかムダになるの嫌だから、とかで。


だけど手放したい。


すぐできる好きなことの一つ。

言葉を紡ぐその時間。とても楽しい。

ライター業とはまた違うこの時間。


「人のために役に立たなきゃ」


なんて思わなくて済む。

あれしなきゃ、これしなきゃな忙しい日常を一旦手放せる。


自分を包みこんでいるくれる空間が、時間の流れが変わる。


そして、今日も生きたちっぽけな自分を肯定するためかもしれない。

書く理由は色々あるけど


わたしの場合は

「明日の自分が元気に過ごせるから」


わたしがいつも誰かの言葉に元気をもらっているように

もしかした、あなたにも何か感じることや、気付きをプレゼントできるのかもしれないな

と思っているところもある。


先日、自分の書いたエッセイに感想がいただけた。


初めての方で、会ったこともないのに感想とともに


「とても共感しました。救われました。ステキな記事をありがとうございます」


とお礼を言われた。


びっくりしたのと、すごく嬉しかった。

誰かの人生の数十秒間に、わたしの書いた文章の中の経験に色々と感じてもらえることがあるのだな…


と思った。

そのうえ、ソッとそのまま画面を閉じるのが大半のところを、わざわざコメントで感想とお礼をいただけたこと。


よく考えたら、とてもありがたいし、すごいことではないか?


と感動した。

noteを通して日本中の誰かに届けられるこの時代に産まれたことを感謝した。


ありがとうございます。


また書きたいときに書き記そう。




ここまで、

最後まで読んでくれたあなた

本当にありがとう。


あなた時間をわたしの文章に、ありがとう。


あなたに言葉を届けてくれるこの環境に


ありがとう。


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