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分岐点に立たされているわたしたち

体調を崩して、寝込む日曜日。

「また、やってしまった…」

自分に呆れる。


「体調崩す前に充分に休むこと」がわたしは子どもの頃から苦手だ。


つい自分の体力を過信してしまうし、目の前のことに夢中だと忘れてしまうのだ。


本当に子どもみたいに。


息子の面倒を見ながら、重たい身体を休めつつ、何気なくスマホを眺める。

すると、わたしが尊敬する人が動画で、

「自分の心の琴線に触れる人達必ずいる。その方達に、自分の心が動くことをすれば、心が疲弊しないで過ごせる。」


と言っていた。

ハッとした。


一般人の質問に答えている動画だったのだけれど、それはまるで、わたしに向けられたメッセージのようだった。


わたしはいったい

「誰」に「何」をしたいのだろうか?




もちろん今は、できることからしているつもり。

何事も、チャレンジしてからこそ見えてくることがあるからだ。

やってみるから軌道修正も選択もできる。

だけど、まだまだわたしは曖昧な気もする。

なんとなく、見えてきている気もするけど。


5年後、10年後わたしは誰に何をしてどうしていたいのか。

「何をするか」は変わっても、「ベースになる羅針盤」は持っていたい。


それがクリアになると、幸福度は上がるのだろう。


人から聞かれたときに、ハッキリと答えられるように、考えたい。

周りの声を聞きすぎるとダメ。わたしはすぐに人のペースに飲まれてしまうから。


 
自分の中にある気がしている。


それは、どうやったらいいのだろうか…


頭のなかで、交差点を入り混じる道を走る車達のように、忙しく思考が走る。


「ママ…?」


ひょいと、心配そうに3才の息子がわたしの顔を覗き込んでくる。


「大丈夫だよ。退屈だよね。ママちょっと今具合が悪くて…ごめんね。ありがとうね」


よしよし、と息子の頭をなでる。


この子にも。


わたしの姿を見せて何かを伝えていけたらいいな…。

結局親が子にできることって、自分の生き様を見せることなのだろう。


昨日、子どもの褒め方やしつけに関する動画を見て勉強したばかりだ。


子どもは親の言うことは聞かず、親の姿を見て育つ。

日曜日の午後、体調を崩して寝込んだ頭で、そんなことを考える。 




この先どうなるかわからない未来。


自分次第。


わたしの目の前には、常に無数の選択肢と道がある。

怖いような、ワクワクするような。


真剣に考えるのは、決めるのは大変。


みんな、どうやって決めるのだろうか。

多くの人達は、忙しい日常に追われて真剣に考えて決める間もなく、なんとなく過ごすのだろうか。


だけどわたしは。

迷いながら、歩きながら自分で決めたい。

すすめたい。


大人になり色々な人を観察してると、どうやら「決めて動いている人」と「そうでない人」の2パターンがいるのだとわかった。


どちらが良い悪いではない。


どっちでもいいし、自分が本心から納得していればそれは幸せなのだろうから。

けど、例外なく感じるのは、決めて進んでいる人達はみな楽しそうだということ。

もちろん、辛いことも苦しいことも込みなのだろうけどそれすらも。



すぐ見つからなくてもいい。

わたしの場合、少し時間はかかるだろう。

動きながらこれからも考える。


わたしは…

きめたいな

自分と家族と。


まだ見ぬあなたのために…


そう考えているうちに、スルッと眠りの淵に落ちていった。


最後までお読みいただき嬉しいです♪ありがとうございます!これからも心を込めて執筆していきます。