分岐点に立たされているわたしたち
体調を崩して、寝込む日曜日。
「また、やってしまった…」
自分に呆れる。
「体調崩す前に充分に休むこと」がわたしは子どもの頃から苦手だ。
つい自分の体力を過信してしまうし、目の前のことに夢中だと忘れてしまうのだ。
本当に子どもみたいに。
息子の面倒を見ながら、重たい身体を休めつつ、何気なくスマホを眺める。
すると、わたしが尊敬する人が動画で、
「自分の心の琴線に触れる人達必ずいる。その方達に、自分の心が動くことをすれば、心が疲弊しないで過ごせる。」
と言っていた。
ハッとした。
一般人の質問に答えている動画だったのだけれど、それはまるで、わたしに向けられたメッセージのようだった。
わたしはいったい
「誰」に「何」をしたいのだろうか?
*
もちろん今は、できることからしているつもり。
何事も、チャレンジしてからこそ見えてくることがあるからだ。
やってみるから軌道修正も選択もできる。
だけど、まだまだわたしは曖昧な気もする。
なんとなく、見えてきている気もするけど。
5年後、10年後わたしは誰に何をしてどうしていたいのか。
「何をするか」は変わっても、「ベースになる羅針盤」は持っていたい。
それがクリアになると、幸福度は上がるのだろう。
人から聞かれたときに、ハッキリと答えられるように、考えたい。
周りの声を聞きすぎるとダメ。わたしはすぐに人のペースに飲まれてしまうから。
自分の中にある気がしている。
それは、どうやったらいいのだろうか…
頭のなかで、交差点を入り混じる道を走る車達のように、忙しく思考が走る。
「ママ…?」
ひょいと、心配そうに3才の息子がわたしの顔を覗き込んでくる。
「大丈夫だよ。退屈だよね。ママちょっと今具合が悪くて…ごめんね。ありがとうね」
よしよし、と息子の頭をなでる。
この子にも。
わたしの姿を見せて何かを伝えていけたらいいな…。
結局親が子にできることって、自分の生き様を見せることなのだろう。
昨日、子どもの褒め方やしつけに関する動画を見て勉強したばかりだ。
子どもは親の言うことは聞かず、親の姿を見て育つ。
日曜日の午後、体調を崩して寝込んだ頭で、そんなことを考える。
*
この先どうなるかわからない未来。
自分次第。
わたしの目の前には、常に無数の選択肢と道がある。
怖いような、ワクワクするような。
真剣に考えるのは、決めるのは大変。
みんな、どうやって決めるのだろうか。
多くの人達は、忙しい日常に追われて真剣に考えて決める間もなく、なんとなく過ごすのだろうか。
だけどわたしは。
迷いながら、歩きながら自分で決めたい。
すすめたい。
大人になり色々な人を観察してると、どうやら「決めて動いている人」と「そうでない人」の2パターンがいるのだとわかった。
どちらが良い悪いではない。
どっちでもいいし、自分が本心から納得していればそれは幸せなのだろうから。
けど、例外なく感じるのは、決めて進んでいる人達はみな楽しそうだということ。
もちろん、辛いことも苦しいことも込みなのだろうけどそれすらも。
すぐ見つからなくてもいい。
わたしの場合、少し時間はかかるだろう。
動きながらこれからも考える。
わたしは…
きめたいな
自分と家族と。
まだ見ぬあなたのために…
そう考えているうちに、スルッと眠りの淵に落ちていった。
最後までお読みいただき嬉しいです♪ありがとうございます!これからも心を込めて執筆していきます。