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心が満たされる自分の「大切」を見つける考え方

人が呼んでいて元気や希望など、前を向けるような活動がしたい。そんな文章を書いていきたいし、話をしていきたい。

世の中には、さまざまな「言葉の使い方」で溢れている。

同じ言葉を扱うのなら、私は自分や関わる人が少しでも心が明るくなるように大切に使っていきたいなぁ、と思っている。

昨日夕飯を食べているときに、パッと頭に浮かんだ心の声だった。なぜか、涙が出そうだった。

忙しい日常のなか、たまに自分のことがわからなくなる瞬間がある。目の前が充実しているって、いいことなのだけれども、たまには内面の声に耳を傾けたい。

「わかりにくい、抽象的なことを書いてはダメだ」

なんて、自分がライターだからこそ思うのかもしれないけど、自分のことに関してはそんなことはない。

具体的なことがわからないのなら、今みたいに頭に浮かんだ言葉やイメージをアウトプットしていこうと思う。人の心や価値観は日々変化するし、固定なんてされていないのだから、抽象的でも変わってもいい。

ギスギスして、殺伐とする空気、心が落ち込んでしまっている人を、少しでも心が楽に明るくできたらいいよなー、と幼少期からぼんやりと思っている。

少なくとも、私に関わる周りの人はそうであって欲しいらしい。そのためには、自分が楽しく過ごしているのが大切なのだ。

多分、仕事でなくても、そんな活動はやっていきたい。だから、今みたいにnoteにはエッセイをずっと書き続けているのだろうし、人を前に進めるように勇気づけるセラピストのような活動している方には、昔から惹かれるのかもしれない。または、人を楽しませるエンターテイナーみたいな人も。

練習は大変で厳しいけれど、長年やっている吹奏楽が好きなのは、きっと目の前のお客さんが笑っているし、仲間も楽しそうだからかもしれない。 先日、吹奏楽イベントに参加した主人を見ていてあらためて気づいた。

先日、主人の吹奏楽イベントを見に行ったときの写真。我が子達がキラキラした眼でパパを見ていた。


自分のことがたまにわからなくなったら、少し抽象度を上げて「好きなことの共通点」を集めてみるといい。すると、心が満たされることやもの、方向性に気づけるのだと思う。

また、自分に関してわからないことや決断できないことがあっても、けっして焦らないこと。ぼんやりと問いを持って過ごしていると、日常の思わぬ瞬間に頭の中に言葉がふってくることや、パッと感覚的に「わかる」瞬間があるからだ。自分を信頼していたい。

蒸し暑い夜。2才の次男が目を覚まし、再び寝かしつけて眠れなくなったから、最近の気づきをnoteにアウトプットしてみた。

もう少し寝てから、明日も目の前のことをがんばりつつも、自分の成長を楽しみたい。


最後までお読みいただき嬉しいです♪ありがとうございます!これからも心を込めて執筆していきます。