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語られないストーリーがあるのかもしれない、という想像力を持ちたい

「これ、すごく古い形ですよね。あなたのものだと思いませんでした」

私が使っている「とあるもの」を見て、初めて会った人が悪意なく私にぶつけた。詳細は割愛するが、「似合わない、意外、なぜ?」といった内容だ。

つい笑って「ですよねー」と同調し、同じテンションで返した。けどその瞬間、私はちょっとだけ自分のことが嫌いになった。

いや、少し悲しい気持ちになったのかもしれない。昔のことなのに、なんとなく消えず、今も残っている。

「あるもの」は、私が結婚で実家を出るときに父がくれたものだった。決して安くはないが、正直私の好みではなかった。よく使うものだし、プレゼントするつもりだったら話してくれればいいのに、と思っていた。

父は良かれと思ったことは自分で決めて、人に相談しないってところがある。「なんで勝手に決めるのだろう」と母と喧嘩をしている。いつも微妙にすれ違い、もったいないなと子ども心に思っていた。

でも「お父さんのそれなりの誠意を表したものだろうから、受け取ってあげて」と母に言われた。

「これまで苦労をかけて、すまなかった」

直接言葉で伝えるのではなく、行動やモノで返すのが父らしい。

こういうとき、どういう反応をすればいいのだろうか。23歳だった私はベストな反応がわからず、結局それをそのまま受け取り、10年経った今も使い続けている。

不器用な父が、精一杯私に対しての気持ちを表したものだと感じている。本人に聞いたわけではないのでわからないが。

父は、興味があるものは大切にするが、そうでないものは無頓着なところある。たとえば「服なんて、着ることができれば別にいいじゃないか」と、穴が空いたり破れたりするまで使い切る。

父からもらった「あるもの」は、今も長年使っている。

あまりこだわりがないものなので、新たなデザインのものに買い替えようと思わないし、これからも壊れるまで使っているのだろうと思う。結局、私は父に似ているのだろうな、とこういうときに思う。

私は、父の気持ちを受け取り続けているのだ。

だからこそ、初めて会った人に簡単に同調して、なんでもないように返してしまったのが、今も引っかかっているのかもしれない。

なんとなく、父の気持ちを軽んじて笑ってしまった気がしたのだ。

こんな風に、誰かが何気なく持っている「モノ」には、こんなふうに背景やストーリーがあるのかもしれない。

誰かにとっては些細なものでも、あなたにとっては唯一のモノ。そういった、モノの背景やストーリーの可能性に思いを馳せられ、想像できる自分でありたいなと思う。

私はきっと、父からもらったそれを壊れるまで使うだろう。壊れるまで使い、その気持ちを受け取り続ける。ただ、父とは少しだけ違うのが使い続ける理由だ。最後までしっかりと私は受け取ろうと思う。

私はそれを許したのか許してないか、正直よくわからない。そもそも、人の感情って「許す」「許せない」など、二択に割り切れるほうが少ないのではないだろうか。わけられなくていい。

また自分は「この人のせいでこうなってしまった」とか、被害者っぽく思いたくないし、認めたくないかもしれない。ただ、自分や家族が苦労はしてきたのは事実だな、とは思っている。

でも、その誠意の込もった気持ちや行動には、きっちり応えたい自分がいる。



もし今度、誰かに同じ風に言われたときは、「そうなんです。でも、わたしは気に入っていて、大切なものなんです」と答えたい。

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