勝手に遠慮しない。
あ、知らぬまに、また悪い癖が出ていた。
我慢しない、自己犠牲はやめる、そう思っていたのに、振り返ってみるとまたやってしまっていた。言いたいことは、ハッキリと口にしている方だと思っていた。実際に言葉で伝えているが、本当はこうできたらいいなと思っていることで、やれていないことがあった。
本当はやりたいけど、遠慮している。
これには、「相手のためを思って」が隠れている。
その相手がハッキリと言いたいことを言ってきた時に、「私は、こんなにあなたのためにやってきたのに…やりたいことも我慢して…」との気持ちが生まれる。
相手にしてみれば、「やりたいことがあったのなら、どんどんやってくださいよ」ってこともある。止められてもいない、むしろ、アピールしてくださいと言われたのに、自分で勝手に裏方のプロフェッショナルに憧れを抱いた。裏方のプロフェッショナルは、公には知られない。
一緒に仕事をしている相手本人を通してのみ語られる。本人に語ってもらえないときには、自分で語るしかないのだ。
隠れる美学、なんじゃそりゃ。
ひっそりニヤニヤする癖がある。
表に出るとドギマギする。
作品で反応がもらえると、嬉しくてニヤニヤした。
一緒に喜べるのは、一緒に作品を作る相手のみ。
相手が称賛され、成長していくことを密かに見守る。それが私のしあわせ…なんて思っていた。
主役になれない。裏方としてご縁を繋ぎ、「人が在るべき場所で輝くことを嬉しく思う人」。
自分のことを、そう思っていた。
裏方で結果が出て表彰された。嬉しくて、ますます裏方道に突き進んだ。
表彰コメントでこう語った。
「透明であることを意識している」
隠れていても、マネジャーや同僚が仕事ぶりを見ていてくれた。
会社員時代の癖に埋もれている。驕らず自慢せず、密かに活躍するのがかっこいい、そう思っていた。なぜ隠れるのかを自分に問うたらたどり着いた。
会社員時代、「見せ方上手」と言われる人がいた。
自分の仕事を上手くプレゼンする、上司にアピールできる人だ。
出世する。タイトルをとる。出世したいわけじゃないのに、見せ方上手の人が羨ましかった。
「見せ方上手」。
できないから、やらないんだと決めたんだと思う。
今、書きながら思った。
人と自分を比較したときに、見せ方上手、できないなら、やらない。
これが、遠慮がちな人生の始まりだったかもしれない。
がんばっていれば、誰かが見ていてくれる。そうも思っていた。誰がやっているのか、自分をアピールしないのに、見てもらえるはずがない。
もうやめた。
誰に何に遠慮してきたのだろう。
フリーランス、強く生きていけ。
ライターとして、人のことを書く。
人の物語を描いている。
人に光を当ている。
自分も日向に出よう。影に身をひそめていなくていい。
明るい表の道を歩いていく。
堂々と。
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