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闘病生活よりも人間関係にドラマあり

人生において悲劇と呼べるテーマは、おそらく戦争、貧困、病気の3つが大きな割合を占めているように思います。

現代の日本社会だと、この中では病気が最も身近なテーマであり、病気にまつわる話は今でも頻繁に聞くことが多いです。

僕も20代の前半に胃がんを経験したため、病気は非常に身近で悲劇的なテーマでした。(今のところ)戦争もなく貧困もない現代社会とはいえ、病気は誰もが罹る可能性があるのです。

僕の場合、20代という若い年代であったことから、その闘病においてドラマ性を見出されることが少なからずありました。

社会復帰後に初めて勤めた会社の社長からは、飲みの場で「お前の様に辛いことを乗り切ったヤツは、必ず活躍できる」といったことを感傷的に言われたこともあります。昔の友人も時々泣きそうになりながら、元気になって良かったよなと言ってくれることがあります。

こういった周囲の反応から、闘病生活というのはドラマ性があるものだなと身に染みて思っていたのですが、実際のところ、個人の闘病生活や生き様よりも、人間関係の方が様々な話題が関わっていることが多かったりします。

有吉佐和子の『華岡青洲の妻』という小説があります。

華岡青洲(はなおかせいしゅう)は、世界で初めて全身麻酔を用いた乳癌手術を成功させた外科医です。

僕は自分ががんに罹ったことから、病気に関することに興味関心が増し「初めて全身麻酔での手術を開発したの日本人だったんだ!」と、医療ドラマを期待してこの本を読み始めました。

しかし、ふたを開けてみるとこの作品は、外科医の青洲を巡る嫁姑の凄まじい対立劇だったのです。

医学の研究に勤しむ青洲は、麻酔薬の開発に着手します。その開発において、実母が麻酔薬の実験体になることを申し出ますが、実母に敵対心を持つ様になっていた妻も同様に実験体になることを申し出るのです。

青洲が生きた時代は18世紀であり、西洋医学の進歩はまだまだこれからという時代です。そんな時に得体の知れない麻酔薬の実験体に争うように名乗り出るなんて、想像を絶する対立劇であり、個人の闘病記などに比べてもよっぽど稀有なドラマだと感じてしまいました。

自分も含めて身近な人が命に係わる病気に罹る時には、周囲の人間関係にも影響が生じていました。誰には言うけど、誰には秘密にしておく、といった善意が生む格差なども表れてきます。しかし、それはもともとの人間関係が土台にあって、そのうえで病気という悲劇が引き金となったに過ぎません。

闘病中である当の本人は治療で精一杯ですが、周囲の人たちは看病や手続きなど忙しくしながらも、節度を持って守るべき秘密を守り、冷静に暮らさなければなりませんが、そういった状況で冷静にいられるほど人は強くはありません。人間関係の方に隠れたドラマが生じてしまうことは、想像に難くないとあらためて思いました。

若くして病気を経験していると、よく「苦労されたんですね」といった声掛けをされ、自分こそが特別な困難を乗り越えたのだと、思い込んでしまいそうになります。

しかし、実際のところ、病気を見守る側の人たちも、誰もが人間関係で壮絶な苦労をしており、その方が壮絶なドラマだったりするという事実を肝に銘じて、謙虚に過ごしていこうと思います。

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