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帰ってこれない人たち|おすすめの一冊『大黒屋光太夫』

最近になって出張する機会が増え、頻繁に外泊をするようになりました。

出張は好きな方なので辛いという気持ちもなく、どちらかと言うと楽しんでいるのですが、この前は急遽出張の期間を延長することになってしまい「なかなか家に帰ってこれない」という事態が起こりました。

水曜日~木曜日の一泊で現地のヘルプの役割を果たして金曜には帰ってくる予定が現地でのトラブルが続いたことで、結局のところ土曜まで働くことになってしまったのです。しかも終電に間に合わず日曜の早朝に帰宅することに。

一泊する用意と心の準備はしていたものの、追加で2泊分を急遽手配しながら、本来は帰ってくるはずだった自宅の様々なことに思いを馳せてしまいます。

「冷蔵庫にまだ豚肉が結構残ってるな」とか「Amazonで買った本が届いちゃうな」とか、細かいところを含めると、予想外の事態には色々な歪みが発生するものです。

このくらいの程度の出張では済まない全国を飛び回る人たちは大勢いると思いますが、この「帰ってこれない」状況になったことで思い出した本があります。

吉村昭の『大黒屋光太夫』です。

大黒屋光太夫は江戸時代後期に活躍した船頭で、伊勢の港を拠点として活動していました。

光太夫は15人の船員とともに1783年に伊勢の白子港から出航し江戸に向かったところ嵐に遭遇してしまい、7か月の漂流を経てロシアのアリューシャン列島に漂着してしまいます。

アリューシャン列島とは下記画像の位置で、途方もないくらい遠方まで流されたことがわかります。

出典:via from wikipediacommons

漂着してからの光太夫は現地先住民やロシア人と遭遇し、ロシア語も習得して彼らと生活を共にするようになります。

その後、島を脱出してカムチャツカ、オホーツク、ヤクーツクを経由してイルクーツクに至ります。(イルクーツクはシベリアの都市。要するに少しずつ西へ西へと移動してシベリアまで着いたということ)

更にはイルクーツクで現地の学者から興味を抱かれ、彼の尽力で更に西にある当時の首都サンクトペテルブルクまで向かい、なんと女帝エカチェリーナ2世に謁見し、ここで日本への帰国を許されるのです。

ここまで約10年、光太夫が現地で得た見識と経験は当時の蘭学の発展に大きく寄与することになります。

僕が大阪から名古屋に出張して帰ってこれなかった1週間のエピソードとは比べ物にならないほど、壮絶な経験をしていることがわかります。

当時は現在と違って情報もなくテクノロジーもありません。スマホで現地のカプセルホテルを予約することもできず、言葉も文化も違う現地の人たちの助けを借りることでしか生き延びることはできないのです。

しかし、光太夫は苦難のなかでも前向きな姿勢でもって現地の言語を習得し異国の文化に馴染んでいきます。帰国後は日本とロシアの交流にも多大な貢献をもたらしています。

追い込まれた状況の時にも、その状況をポジティブに捉えれば思わぬ成果に繋がることがあるものなのです。

今後も出張は続きそうですが、なかなか帰れない現状を嘆くのではなく、光太夫のように現地の魅力を最大限に取り入れ、帰ってきたらその魅力を伝える架け橋のような存在になることを目指すべきなのかもしれません。

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