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味のある鍋に救われる|予想外の「日本人で良かった」

冬になるとやはり鍋を食べたくなります。

肉や魚、たっぷりの野菜を土鍋や寸胴鍋に敷き詰め、水もたくさん入れて火にかける。そして、ぐつぐつと煮立つまでじっくりと見守りながら待つ。

しっかりと全ての具材に火が通ったことを確認したら、好きな具材からお椀によそって、お酒と一緒にいただく。

こうして出来上がった熱々の鍋は、厳しい寒さに冷え切った身体をよく温めてくれます。

そして温かい味わいが身体中によく染みわたり、こういう時に「日本人で良かった」と思えます。

その味わいのベースになっているのは出汁です。出汁は日本の食文化であり、世界に誇れるものだと思います。

僕が鍋を好んでいるのも、出汁が好きだからだといっても過言ではありません。

科学的な理由は説明できませんが、出汁に含まれるうま味成分は、その他の味覚に比べてもしっかりと味を感じるように思えるのです。

うま味をベースにした出汁と一緒にいろいろな食材を食べることができる鍋は、やはりすごくありがたいものだなと感じています。

実は、この様に思った些細なきっかけがあります。今から10年以上も前、20代前半に胃がんを患い、抗がん剤治療をした時のことです。

手術では胃を全摘出していたこともあり、食事量は極端に減ってしまっていました。そのため、術後はまさに「食べるリハビリ」の様相を呈しており、尋常じゃないくらい何回も噛んで飲み込むよう意識し、毎日ほんの少しずつ食事量を増やしていたのです。

その苦しい状況に追い打ちをかけるように発生してしまったのが、抗がん剤治療の副作用による味覚障害で、文字通り食べたものに味を感じなくなってしまったのです。

ただでさえ食事量が減ってしまい苦しんでいるにも関わらず、少し口にしただけの食事の味も感じることができない。これは非常にしんどいものでした。

しかし、味を感じないと言っても、どうやら味の感じ方にもグラデーションがあるようで、肉や魚に塩や醤油を付けて食べても全く味を感じなかったのですが、チョコレートやクッキーの様な甘いものには、ほんの少しですが味を感じることができたのです。

味を感じる傾向はわからないままですが、もしかしたら味覚成分ごとに理由があるかもしれませんし、発生した副作用による個人の傾向なのかもしれません。

何はともあれ、その後も味覚障害の傾向を探りながら「食のリハビリ」を続けました。しかし、それでも答えは見つからないままで、味は感じたり、感じなかったり、鳴かず飛ばずの状態が続きます。

しかし、そうこうしているうちに冬の季節になってしまい、寒くなってきたので鍋を食べてみることにしたところ、何としっかり出汁の味を感じたのです。

「おぉ、味がする!」これには驚きました。

今まで味のない食事にテンションは下がり続け、本当にくじけそうになっていました。久しぶりに味のある食事ができた喜びは今でも忘れることができません。

食事量は少ないままなので、喜んでいるのも束の間、すぐに満腹になってしまったのですが、この発見はポジティブな未来を期待させてくれたものです。

ようやく味を感じることができる食事を見つけたわけなので、その日以来しばらくの間は連日のように鍋、鍋、鍋の日々を過ごしました。

寄せ鍋だけではなく、海鮮鍋やもつ鍋、豆乳鍋など、ここぞとばかりにたくさんの種類の鍋を食べて「食のリハビリ」を進めていったのです。

あれから10年以上が経過し、副作用も残らず僕の味覚は元に戻っています。食事量もある程度は増やすことができ、食事で困ることもほとんどありません。

現在は食事量も増えているので、美味しい出汁の味をたくさん感じることができ、更には鍋を肴に日本酒を飲むことだってできます。日本の食文化を存分に享受しながら、生きてて良かったと酔いしれているわけです。

しかし、鍋のおかげで苦難を乗り越えたのだとすれば、出汁の食文化が根付いていない外国で味覚障害になっていたら、どうなっていたんだろうかと、ふと想像してしまうことがあります。

インドに生まれていたら、そんな時にもカレーを食べていたのだろうか。メキシコに生まれていたら、タコスにサルサソースをかけて食べていたのだろうか。味覚障害の時にも、それらの味を感じることができるのだろうか。

こうして考えてみると、まさに僕は「味のある鍋」に救われたわけで、思わぬかたちで「日本人で良かった」と思ったのです。

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