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退屈が生むクリエイティビティ

最近になって仕事が非常に忙しくなってきました。あっという間に一日が終わり、気が付いたら週末になっている様な日々を過ごしています。

楽しみながら忙しくしているので特に不満はないのですが「退屈な時間」が減ってしまい、それがどうにも惜しい気持ちになってしまいます。

「退屈凌ぎ」や「暇つぶし」という言葉があるように、本来人間は退屈な時間を過ごすよりも、何かに夢中になることで、あっという間に時間が過ぎてしまうような日々を、本能的に求めているように思います。少なくとも現代においては。

それでも、過去にのんびり気を抜いて日々を過ごしていた経験もあるので、退屈であることも人生において大切なことだったのではないか、と忙しく過ごしている時こそ思い返してしまいます。

数年前に富士山に登った時のことです。日本一の山であり登頂するまでは厳しい道のりを登り続けなければいけませんが、合計で2日を掛けて登っていくため、その道のりは地道で単調なものでもあります。

雲海を眺めたり休憩地点で軽食を摂ったりする時は楽しいものですが、その間は黙々と頂上に向けて登り続けていくので、これもある意味「退屈な時間」と言えます。

こういう時には、そんな退屈な時を何とかやり過ごそうと様々なことを考えるようになります。

だいたい7合目くらいの地点で小休憩をしていた時、若い男女4名が頂上に向かって登っていく時にしていた会話が聞こえてきました。

彼らがしていたのは「しりとり」です。それに少しエッセンスを加えて「ポジティブしりとり」なるものをしていました。

断片的にしか聞き取れていませんが、確か「引く手あまた」→「大器晩成」のような「それポジティブか?」という様な言葉のチョイスだった記憶があります。

こういった生産性があるとは言えないアイディアは、忙しくしている時には生まれない発想だと思います。売上目標を達成するために頭を使っている時や納期に間に合わせようと必死に手を動かしている時に、ポジティブしりとりをする余裕は脳内に生まれないはずです。

こういった退屈が生むクリエイティビティは、その時にはただの「退屈しのぎ」かもしれませんが、仕事が忙しい時こそ必要なものは「アイディア」だったりもするので、いずれ役に立つこともあり得ます。現代は肉体労働の時代ではなく、知識労働の時代だからです。

夢中になって仕事に打ち込み忙しく過ごすことは、幸せなことだと思う一方で、脳に余裕を持たせながらあり余る時間を過ごす退屈な日々も時々織り交ぜる必要があるのかもしれません。

クリエイティビティが必要とされる社会において、退屈な時間は必要なのです。

そんなクリエイティブになれる退屈な日々を過ごすために、もう少しだけ辛抱して忙しく働くこととします。

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