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「どうでもよくなる」方法|「どうでもいい」に救われた話

仕事をしていると、どうしてもあらゆる面倒なことが生じてしまい、穏やかな気持ちでいられず日常生活に支障をきたすことがあります。

仕事だけではなく、将来のために勉強をしている学生も勉強や人間関係がうまくいかない時は同じなのかもしれません。

また、健康状態に不安なことがあるときも同じで、些細なことが気になってしまい余計な心配ごとが頭から離れなくなってしまいます。

こういう気持ちになってしまった時には、その問題を解決することが何よりの対応策ではありますが、どれもすぐには解決に至らないことばかりです。

しかし、今この瞬間にできることがなく、何も手を付けられない状態も非常に苦しいものです。

そのため、僕はそういう時に「どうでもよくなってきた」と思えるような趣味に耽ることにしています。音楽、本、動画、様々な方面から力を借りてどうでもよくなる工夫を凝らしています。


たま/牛乳(犬の約束)

1990年代に活躍した「さよなら人類」という曲で有名な「たま」というバンドの曲を聴いていると、色々と面倒なことがあっても「どうでもいい」という気持ちになることができます。

独特な出で立ちや編成、そして特徴的な演奏や楽曲から、色物バンドのように思われる人も多いかもしれませんが、当時は狂信的と言えるほどのファンを数多く集めていた物凄いバンドなのです。

「犬の約束」というアルバムに収録されている「牛乳」という曲を聴いていると、仕事のことでもやもやしていた気持ちも、何だかよくわからないうちにどうでもよくなります。

きみがおとなしく 目を閉じて丸くなっている
ぼくはそのとなりでおいしそうに 牛乳飲んでいる
なんにもしてあげないぼくと なんにも欲しがらないきみは
生きているヒトと 死んだふりしたネコだよ

たま, "牛乳", アルバム: 犬の約束, [1992年]

このあとに気持ちの良いハーモニカソロが響きます。この瞬間に「あ~なんかもうどうでもよくなってきた」と思うことができます。

ちなみにこの曲は飼い猫を亡くした飼い主の歌なのですが、猫を飼ったことがなく、ましてや猫アレルギーの僕にとって、この曲に共感できる余地はこれっぽっちもありません。

しかし、聞き手の背景がどうであれ、どうでもいい気持ちにさせてくれる、たまの名曲の数々は、悩める人々の気持ちをリセットさせてくれる不思議な魅力がぎっしりと詰まっています。

へらへらぼっちゃん/町田康

今更説明するまでもないかもしれませんが、芥川賞作家の町田康の文章にも、「どうでもいい」と思わせてくれる魅力があります。

町田康は、芥川賞を受賞した「きれぎれ」や谷崎潤一郎賞を受賞した「告白」など、文壇でも高く評価されている作家です。

彼はもともとパンクバンドのボーカルとして活動を始め、その後作家としてのキャリアをスタートさせました。(INUというバンドで『メシ喰うな!』という名盤を世に出している。)

彼の駆け出しの頃の日々を独特の文体で綴った作品に、「へらへらぼっちゃん」というエッセイ集があります。

朝から何もせずにテレビで時代劇を観ており、昼頃には焼酎のお湯割りを飲んで昼寝をし、だいたい一時頃に目を覚まして図書館へ行って、帰ってきたらまた時代劇を観て、CMの間は本を読み、その後も延々と時代劇を観ながら焼酎を飲み続け、べろべろになった夕方ころには、ひとりで歌ったり踊ったりしている、そんな日々が描かれています。

この生活を著者は「"てなわけで、時代劇を観たり、書見を致したり、昼寝をしたりと、激務をこなしつつ日々を暮らしておるわけであるが"」と書いています。

このエッセイを読んでいると、何だかさっぱりよくわからないながらも、現代社会の面倒なことなど「どうでもいい」と思うようになります。人間の暮らしというのは本来こういうものなのかもしれません。

救いの言葉よりも笑いを求める

僕は23歳の頃に胃がんと診断されてしまい、明確に死を意識した経験をしています。

最も精神的にしんどかった時期は診断されてから手術をするまでの期間です。

この期間は手術に向けての検査期間であり、がんの進行具合が詳しくわかっていなかったことから、自分がこの先どうなるのかもわからず、衰弱していく身体で過ごしながら死を意識しつつ不安と向き合う必要がありました。

こういった時には、勇気を与えてくれる名言や、不安に寄り添ってくれる優しい言葉が必要とされそうに思えますが、僕の実体験から思い返してみると、どれだけ崇高な言葉を掛けられても死に対する不安は消えることはありませんでした。(僕が素直な性格ではなかっただけかもしれませんが)

こういった極度の不安と対峙するべく、当時の僕はお笑いの動画をよく観ていました。調べてみたところ編集されて短くはなっていましたが、当時よく観ていたバナナマンのコントがまだYOUTUBEに掲載されているようです。

観ていただければわかりますが、深刻さとはかけ離れた全く関係のない芸は、本能的に笑えるものです。これは死を意識した不安な時にも同じでした。

これを観てほんの一瞬だけでも病気のことを忘れることができたので、結果的に何度も何度も繰り返し観ることとなりました。(今回久しぶりに観たところやっぱり面白い)

仕事や人間関係、健康と人生設計、生きていると面倒なことが溢れんばかりに起こってしまいますが、それらは全て解決するのではなく、時には思い切って「どうでもよくなる」のも必要なのではないかと思うのです。

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