【201球目】この仕事を選んだ訳
201球目になりました。
野球のピッチャーならば明らかに投げすぎですが、これからさらにエンジン全開でやっていきます。
今日は久しぶりに、noteで募集している内容で書いていこうと思います。
小学校3年生
「いつから会社を継ごうと思っていましたか?」
前はこんな質問をよく受けました。最近はあまりありませんが。
いつからという質問に対しては「小学校3年生」と答えています。
何となくですよ。
しかも「やりたい!」ではなく、何となく「やらなければならないのだろうな」という責任感に似た様な感じでぼやっと意識したのが小学校3年生の時です。
その頃は三陽工業が何をしているかといった理解は全くない状態です。
周りからの期待の様なものもあったのかもしれませんね。
祖父から見ると長男の長男でしたから、そういう想いも強かったのかな?
想像でしかありませんが、とにかく小さい時から意識はしていました。
そして、その意識は小学校3年生から始まっています。
この仕事について
日本の製造現場を元気にするために、三陽工業に入社をしました。
と言いたい所ですが、そんなことはありません。
三陽工業に入社した時は、27才です。
自分自身が目の前の仕事を覚えることで精一杯。
でも三陽工業に入社して良かったと思っています。
入社時には、川重明石工場が過去最高の生産台数。
その3年後にリーマンショックで大打撃。
無我夢中で走り続けていたら多くの仲間に出会えて、試行錯誤の末に出来上がった生産推進グループ。
そして、そこからの急上昇と思いきやコロナ禍での打撃。
しかし、このコロナ禍は三陽工業にとってとても良い期間だと考えています。
もちろん、さっさと終わって欲しいですが、この約2年間で売上は落ちましたが、中身はシンカしています。
ここから改めてホップステップジャンプの準備を今整えている所です。
全ての状況が三陽工業という会社を良くしていくために必要なことでした。私自身も成長するために必要なことでした。
全てが良い経験となって自分の糧になっています。
日本の製造現場を元気にする、この仕事はそういうものです。
一歩一歩ではありますが、着実にそこへ向かって歩みを進めていることを実感しています。
この仕事に携われていることをとても幸せに思います。
この仕事を選んだ訳
ここで本題です。
この仕事を選んだ訳ですが、一言で言うならば夢中になることができたからですかね。
最初に入った会社も夢中になって仕事をしていました。
2つ目の会社も夢中になって仕事をしていました。
しかし、三陽工業とこの2社を比較すると夢中になるレベルが違う気がします。
もちろん、年齢も違いますし、環境も違います。
何だろう?当事者意識?
いや、以前の仕事でもあった気がします。
では、責任感?
それもあったと思います。
何が違うのか。
私の立場が違います。
社長になる前から社長のつもりで仕事をしていました。
社長になってからの変化も色々とありますが、この立場で今の仲間と仕事が出来ていることに感謝です。
そして、仲間の思考や行動が私に勇気をくれます。
三陽工業本社から数百キロ離れている熊本や栃木で日本の製造現場を元気にするために行動してくれている仲間がいます。
このnoteを書いている今も夜勤で頑張ってくれている仲間がいます。
そんな仲間と共に一緒に成長していき、人生を豊かにすることが出来ればどんなに面白いだろう、そんな感じで考えています。
仲間と共に成長して、人生を豊かにしていく。
そして、それが日本の製造現場を元気にすることに繋がっていく。
私が三陽工業を選んだ訳です。
そんな想いを持った人の集団が三陽工業であり続ければ、どんな危機も怖くありません。全ての変化は成長するために必要な経験です。
過去の自分を超えていくために思考し、行動していく。
ちょっとした正しい行動を積み重ねていく。
合言葉は「やったことがないことをやってみよう」です。
三陽工業が三陽工業であり続けていくために、自分自身も仲間に負けずにシンカしていきます。
本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!