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【355球目】高校野球

優勝候補の最有力だった大阪桐蔭が下関国際に敗れました。

単純に下関国際が強かったという話です。大阪桐蔭からすると、この敗戦は悔しいとは思いますが、そこに関わる1人1人の人生を長い目で考えた時にはとても価値のあるものではないかと考えています。よく高校野球は教育の一環だと言われます。それに対しての反論もあります。今日は、教育の一環であるということを少し考えていきます。教育の一環ということはそれを手段として捉えた時に、その向こうに目的があるはずです。高校野球を通じての人格形成がその目的になるとは思いますが、どういった所がより良い人格形成に繋がるのか、具体的に挙げていきます。

努力が成果に繋がらない時がある

対戦相手がいます。

当然、試合が終わるとそこには勝者と敗者が存在します。勝つことを成果とするならば、成果が出たチームと同数の成果が出ないチームが存在する訳です。仕事とよく似ています。正しい思考と行動が成果に繋がる。そしてそこにはタイムラグが存在する。普段からこういうことをよく言っていますが、高校野球という短い期間の中では成果が必ず出るとは限りません。努力という正しい行動がすぐに成果に結びつくとは限らないのです。それを受け止める力が必要です。成果が出なくとも努力を継続していく力が必要です。そして、そういった力を付ける事が教育の一環に結びつくのだと考えています。

個の力量とチーム力

野球というスポーツは9人対9人でゲームをします。

守備側9人対攻撃側1人。この状態からスタートです。9対1って凄い差ですよね。この場合は攻撃側1人の個の力量が大切になってきます。1人が塁に出ると、攻撃側は2人に、2人が塁に出ると3人に、3人が塁に出ると4人で攻撃することができます。そうなるとチームとしての攻撃も可能になってきます。個人競技的な側面があり、その場合は個の力量が試されます。チーム競技的な側面ももちろんありますので、その場合は自分が犠牲になって他の人を生かしたりと全体最適の為に動く必要性が出てきます。

これ、仕事でも全く同じですよね。

個の力量はとても大切です。チームとしての力はもっと大切です。チームの為に自分の役割は何なのか。その為に自分が出来ることは何か。そういったことを考えていく疑似体験を積むことができます。その疑似体験の中で、気づいたり学んだりしていく訳ですね。

指揮命令系統

野球というスポーツには間があります。

1球と1球の感覚が空く、その間がありますので、極論をすると全てのプレーに対してベンチから指示を行うことも可能です。投手に何を投げさせるか、打者に待てのサインを出したりすることも可能になります。これがサッカーやバスケの様なスポーツだと、全てのプレーにベンチから指示を行うことが出来ません。目まぐるしく変化する環境の中で選手自身が最適な判断をしていく必要があります。選手交代の様な意思決定は出来ても、1つずつのプレーに対しての細かな指示がなかなかできません。私は野球を通じて、このサッカー型を学びました。自分で考えるということ、考えないといけない環境下にありましたのでその環境に感謝です。

指揮命令系統がしっかりし過ぎると受け身の人を育ててしまいます。最近では以前と比較して考えることが大切にされていると思っています。とても素晴らしいことですね。考えて行動するからこそ、それがもし失敗したとしても、そこでまた考えることができる。結果、次に生きてきますのでその失敗は失敗ではなく経験に変わります。

そういったことを学ぶことができますね。

まとめ

高校野球は教育の一環です。

その言葉は正しいです。ただし、その環境下において1人1人がどう考えて行動するかで、その教育の深みが変わってくると考えています。野球のみならず全てのスポーツや文化的活動においても同様の事が言えます。どんな環境下であっても学ぶことも気づくこともできます。大切なことは環境の責任にしないことですね。自分がその中で目一杯気づいて考えることが必要になってきます。考えること、思考することがとても大切であるという結論です。

本日もありがとうございました。

明日もよろしくお願いします。


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