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【77球目】会長がいる時、いない時

会長が退任してから3年目を迎えています。
よく事業承継である父親が会長、息子が社長の状態。
その状態ではなくなって3期目を迎えています。
今日はこんなことについて書いていきます。

会長がいた時

そもそも、会長がいた時から良い距離感でした。
リーマンショック後の動きについては何一つ反対されることもありませんでしたし、よほど大きな金額でなければ勝手に決めていました。
逆に、相談してくれることの方が多かった様な気がします。

ある人に言われたことがあります。

そもそも前へ前へと事業を進めていたので、会長がいなくなったら歯止めが利かなくなって暴走しないように気をつけないとね。

それを言われた時。そうですね。

ただ、いなくなると暴走の可能性は今よりも低くなります。
今は会長がいるからという安心感で走っている部分がありますが、いなくなると、その安心感は無くなるので、自分の中で全て完結しますから、逆に前へ行くスピードが落ちないように気をつけないといけないです。

これは人によって異なるとは思いますが、どんな役職がつこうとNo.2とNo.1には大きな違いがあります。

感覚的なものですが、全然違います。恐怖感が違う
リーマンショックの時とコロナの時と感じた恐怖感は、全く違いました。
リーマンショックの時は、まだまだ守られている環境の中でもがいていただけなんですよね。

会長がいなくなったら

私の場合は、会長がいなくなるのと同時に、多くの仲間が増えました。
なので、業務的な部分では全く問題はありません。
自分がやっていたこともドンドンやれる人にやってもらっていましたから、オペレーションについては問題なしです。

何が変わったかというと感性です。

今までより慎重さは出ます。
誰もいなくなったから暴走するタイプの人もいるかもしれませんが、誰もいないからこそより慎重になるタイプです。

そうなることは分かっていたので、全く違和感はありません。
その中で微調整すれば問題なしです。

高校野球大学野球もそうでした。

先輩たちがいる状況の中では、ある程度好き勝手することができます。
「責任は俺が取るから」、そんなことを言ってくれる先輩は大好きでした。暴れるだけ暴れればいい。特攻隊長の気分です。

ただ、大将になるとそうはいかない

自分たちの学年になると、慎重さが出てきます。
高校も大学も、それによる反省点がありました。
慎重になりすぎた部分がありました。その経験があったからこそ、今は全く違和感なく前を向いています

事業承継者問題は現在の日本の社会問題の1つです。
製造業においては約57%の会社が後継者がいないというデータもあります。

後継者がいても、うまく事業承継できるとは限らない。

社長が交代して父親が会長に。会長の肩書は代表取締役会長

よくあることですが、その肩書は「自身の息子のことを信用していませんよ」と言っているようなものだと感じてしまいます。

事業承継

幸運なことに私の父親は会長でした。
今の状況を作ることができているのは、会長の理解があってこそです。
世の中には、いつまでも会長、社長の状態で2代が継続されることがあります。

息子の立場からすると、父親に納得して引退してもらうだけの思考と行動する力を持つ必要がある、そう言いたいです。

会長が元気なうちに1人になってみるべき。

病気等で亡くなってから急に1人になると、絶対にしんどいですから。
そこにいるだけで、無意識に頼ってしまっています。

私は718百万の会社を引き継いだと考えています。
それをどれだけ成長させることができるか、そして、働く社員にとってどれだけ必要不可欠な会社にできるか、そういう仲間と共に、日本の製造現場を元気にする会社として存在し続けることができるか、それが私の使命です。

日本には解決すべき課題が数多くあります。

事業承継者問題と並行して、技能承継者問題も製造業においては存在します。事業承継者問題は、決断すればすぐにできるものです。
時間のかかる技能承継者問題に取り組んでいかなければなりません。

私たちは日本の製造現場を元気にする為に、この事業承継者問題技能承継者問題にも取り組んでいます。

本日もありがとうございました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!