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【665球目】山梨県

先日、三陽工業として初めて山梨県のお客様とお取引が始まりました。
今日は山梨県について書いていきます。


第3の故郷

山梨県は第3の故郷と言って良いほど影響を受けた場所です。
前職では名古屋が本社の企業で本社勤務でした。名古屋に家がありましたが、そのほとんどを山梨県で過ごしています。山梨県の甲府市にレオパレスを借りてもらって住んでいた時期もあります。

前職では本社の営業本部という部署に所属していました。今の三陽工業の新規営業グループの様な部署です。営業所に赴いて新規のアポイントを取り新規営業を行う。ひたすらそれをやり続けます。約20年前のことですから、人は集まりました。人が集まるので新規営業は難しい様な気がしますが、そんなことはありません。

新規営業で大切なことはタイミングです。限られた企業の中でそのタイミングを掴むためにひたすら営業活動を行っていました。

様々な経験

前職の甲府営業所では様々な経験をさせて頂きました。新規営業のみならず、多くの経験をさせて頂いたことには心から感謝しています。そして、25-27才という、今考えるととんでもなく若い時代でしたから仕事も一生懸命、仕事終わりも一生懸命でしたね。

言葉使いも山梨での影響を受けています。山梨県、私がいた所は標準語でした。少なくとも私は標準語に感じていました。(本当に標準語なのかどうかは分かりませんが)神戸→佐賀→山梨と過ごしていた私ですが、佐賀の時は関西弁が全然抜けていなかったはずです。山梨の標準語体験が、私の関西弁を壊した気がします。

今では、似非関西弁の様になっています。関西弁ではないですよねと言われる時もあります。どこの言葉でもありません、ちょっとしたオリジナルになっている気がします。

感謝

多くの経験の中には成功体験もあります。ひたすら新規営業に取り組んでいた中で、大きな成果が出ました。30人ほどの在籍数だった拠点が約100名へと向かっていきました。100名超える前に三陽工業へと旅立っていったので、その瞬間は見ることができなかったのは残念です。

名古屋から車で向かっていた時に中央道で大雪に見舞われました。ノーマルタイヤでしたので、危険極まりないです。すぐさま近くのスタンドに立ち寄りましたが、チェーンを売っていません。長野県のスタンドだったと思いますが、近くのお店に電話してくれて持って来てくれました。

その優しさに心から感謝です。鉄のチェーンが山梨県に入って雪がなくなるととてもうるさかった事と、その時横に座っていたのが、当時39才の小杉さんだったのは良い思い出です。良いこともそうでないことも、この山梨の地で味わうことが出来ました。そんな場所ですから、感謝しかありません。

最後に

神戸も明石も佐賀も山梨も名古屋も、全て良い場所です。先日、兵庫県立大学で講義をしましたが、もし、あの時試験に落ちていなかったら、少なくとも佐賀での生活は無かったと思います。落ちて良かった。(ただただ自分の力不足ですが)本当にそう思います。

その瞬間にマイナスな出来事も、その後の思考と行動でプラスに変えることができる。仕事でも同じだと思います。

全ての経験をプラスに出来る様に、これからもシンカをしていきます。

本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。


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最後まで読んでいただき、ありがとうございました!