ホモエロ小説書きが影響を受けた活字もの

 自分の人となりの形成史の一部なのかな?
 考え方や思考の方法に影響を受けた小説のことなどを少し。
 いわゆる活字物を取り上げてますが、漫画についても色々あるので次回にでも。
 個々の作家さんや作品はまた別に感想書かせてもらうかもです。

 亡くなった父が活字好きで、当時の直木賞ベースの月刊誌はほぼ定期購読していたと思います。オール読物、小説新潮、小説現代、小説宝石あたりだったでしょうか。
 当時の宝石はエッチなグラビア?なども載っていて、好きな作家さんのページにたどり着く前にドキドキしたものでした。

 そのような家の雰囲気もあり、本を買うと言うと母は気前よく小遣いをくれてました。
 小学生高学年からほぼ毎週だったと思います。土曜日の午後にお金をもらってバスに乗り、家から30分ほどのバスセンターで下車。そのバスセンター地下の本屋さんか、当時街中にあった紀伊国屋書店で文庫本を4、5冊購入。帰ってきたらすぐに寝転んで読みふける週末。
 ジャンルはSF、伝奇物、いわゆる文学作品(当時の「○○文庫の100冊」とかになってるメジャー物)。

 なぜかミステリー系にはほとんど食指が動かず、コナン・ドイルぐらいでした。
 4歳上の姉も本好きだったこともあり、2人して同じ物を買ってしまっていたりしたことも。自分の学生時代、夏休みに姉と本棚を統合しようと計画したら、2人合わせて文庫本の蔵書が2000冊越えてて断念した覚えがあります。
 数が多かったのはSFのペリーローダンシリーズで、250巻ぐらいまでは追っかけてました。


 最初はホモエロ小説書きらしく、ズリネタ記録から。

 中学では部活を始めてしまって物理的に本を読む時間は減りましたが、それでもそれなりには読んでいたかと。
 一年生の後半に精通迎えた記憶。当時の文字抜きネタは西村寿行氏のバイオレンス系作品。監禁された男達が嫌々ながら肛門を犯しあうとかの描写があって、もう使いまくってました。
 射精に繋がる興奮とは違う意味でしたが性的にワクワクしたのは、ハヤカワの銀河辺境シリーズ、山田風太郎氏の作品群、筒井康隆氏の作品の一部など。

 銀河辺境シリーズでは主人公のグライムズ君があちこちで流す浮き名がかっこよく、ついには他星のセレブお嬢様との間に子どもまで作ってしまうというなかなかなストーリーを楽しんでました。
 ハヤカワのシリーズではこのグライムズ君が主人公でしたが、本国でのシリーズ順としては確か本編での脇役だった老将校の若かりし頃の大活躍!みたいな位置付けだったかと。
 オーストラリア出身の作者のため、ワルチング・マチルダの扱い方などに新鮮味を感じてました。
 不倫?不貞?で生まれた赤ちゃんの耳の形がそっくりという落とし所が、じつに見事な作品でしたね。

 山田風太郎氏の作品はとにかく面白い!の一言ですが、作中に描かれる忍法の解説が大好きで、自分の小説の蘊蓄臭さにも影響してしまっているなと思ってます。
 氏の作品群の中で忍法帳シリーズの面白さはもちろんですが、中編シリーズの「忍法笑い陰陽師」のなんとも言えないペーソスが一番の好み&ちょっとエッチな技のあれやこれやで笑わせてもらった覚えがあります。

 筒井康隆氏については私が書く必要も無いくらい色々な方が論ぜられておられるとは思いますが、ホモエロ小説書きとしてはやはり「男たちのかいた絵」でしょうか。
 各編の題名がジャズのスタンダードから取られたものと知って、わざわざレコードやラジオで探して聴いたのもいい思い出です。
 氏の作品では「ポルノ惑星のサルモネラ人間」も記憶に残っています。異星のジャングルの中で蔦に捕まった学者や沼の中で下半身露出した男が動植物に強制的にイかされる描写はとにかく強烈でした。
「家族八景」から「七瀬ふたたび」への流れとともに、「1人の作家がこれほどまでに振れ幅の広いものを書け
るのか」という驚きと、読む喜びを感じさせてもらったと感謝しています。


 ある意味自分の中で別格なのは星新一氏のショートショート。おそらく文庫本で出されたものはほとんど入手していると思います。
 初読の際にはまったく分かってませんでしたが、こちらが年を重ねて作中の文字ひとつ欠けても意味をなさない構成力に気がついたときは、その凄さに鳥肌が立ったなあ・・・。


 ものの考え方、思考の方法という点で影響を受けたのは、サミュエル・R.ディレイニーの「バベルー17」と、半村良の「妖星伝」シリーズ。

 ディレイニーの初読は中学生時になぜか学級文庫に置いてあり、手に取ることになりました。半村良はもともと伝奇物が好きでぶち当たった感じです。

 バベルー17はなんと私が生まれた年のネビュラ賞受賞作品。
 この小説では言語が使用者の思考とその組み立て方に及ぼす影響があるのでは、という考え方そのものがとても面白く、一般に読みづらいとされる筆者の作品の中で、最初に手にしたのがこの作品だったのは幸運だったのかなと。
 作中での「言語が思考を規定する」様を表す宇宙戦闘の描写や「『私』という一人称(とその概念)を持たない言語体系」が、いったい思考に何をもたらすかという考察、そして主人公である女性の言語学者と、ブッチャーという粗野でありかつ王子様という筋肉ガチデブが宇宙船内で交わす「私」と「あなた」を巡る会話は、翻訳された方の力量とも相まって、自分の中で「文章」というものの到達しうる最高峰になっています。
 この「利用する言語が思考を規定する」という概念は、後年のテッド・チャンの「あなたの人生の物語」で更なる飛躍&深化をしていますので、気になった方はぜひ目を通されてみてください。
 ちなみにテッド・チャン氏のこの作品は「メッセージ」という邦題で映画化もされています。こちらは言語体系と時間認識との説明が思い切って省かれてしまっていたためか、どちらかというと映像を楽しむ作品になってしまっていたようですね。
 ディレイニーの作品では「アインシュタイン交点」「ノヴァ」と読みすすめたんですが、前著については多くの解説論で言及されている「物語の二重性」が何度読んでも分からず仕舞い。自分の読解力の低さを痛感しています。

 半村良氏の「妖星伝」シリーズは、SF伝奇小説という感じでしょうか。
 地球という「異常に」生命に溢れた惑星の有り様を「壊し犯し滅ぼす」ことを旨として生きる「鬼道衆」という忍者的な集団と、その周辺で生きる僧侶、集団を必要とした宇宙生命体の動きを描写することで、少しずつ謎解きのように真実が明らかになっていく快感。
 あらすじだけみると突拍子も無い物語ですが、作者の筆力がまったく飽きさせずに読ませてしまいます。うろ覚えですが作中で「白死丹」という名前で作られていた鬼道衆独自の毒薬の描写の美しさには心震えた記憶も。
 この小説では自分の生命に対する価値観というものを根本的に揺さぶられました。
 あ、この作品や氏の「産霊山(むすびのやま)秘録」でも抜いたことあります(笑)。
 20年近くかかって出版された最終章にはかなり色々な意見があったようですが、やはり名作の一つには違いないと思ってます。

 ここまで書いてきて、頭にふっと上ったのは小松左京氏の「復活の日」。
 作中の無線会議にての決めゼリフ「マスでもかいとけ!」は、南極中どころか当時の日本の片隅の少年の心にも「困難な中での笑いの重要性」を教えてくれたように思います(笑)。

#読書 #伝奇小説 #SF #ハヤカワ #筒井康隆 #星新一 #小松左京 #西村寿行 #半村良 #サミュエル・R・ディレイニー #テッド・チャン #山田風太郎 #ゲイ