sansanzizo

浦和レッズサポです❗️

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最近の記事

7月2日(2022年) あまりにも酷い

あまりに酷いことが重なりました。 まずはガンバ側の試合運営。チケットが全く売れていないにも関わらず、アウェイ側はかなり限定されたエリアに押し込まれました。まあ、これは仕方ないと思います。うちも座席数に関しては、他所のことは言えません。でも、問題はその場所です。なぜ3階席に押し込めたのか、本当に腹が立ちます。 何故なら感染症対策と熱中症対策をダブルでやらなければいけないのは主催者の義務です。それなのに最も風通しの悪いところにあえて密を作らせるなんて主催義務放棄だと自分は思います

    • 6月30日(2002年) 天皇陛下に一番近づいた日

      2002年6月30日は日韓ワールドカップの決勝の日でした。 この日韓ワールドカップ、自分は全部で7試合観戦することができました。 埼スタでのイングランド対スウェーデン(6/2)、日本対ベルギー(6/4)、準決勝のドイツ対トルコ(6/26)、仙台でのアルゼンチン対スウェーデン(6/12)、新潟でのイングランド対デンマーク(6/15)、横浜で行われた日本対ロシア(6/9)、そして決勝のブラジル対ドイツです。 今にして思うと、よくこんなに行けたなぁと思います。 当時、チケット取りの

      • 6月27日(2015年) 年間一位を信じて

        今にして思えば割を食った2年間ではありました。そして、こういうところにミシャの勝負運のなさみたいなものもあるのかなと。 ただ、ミシャのおかげでサッカーを戦術的に見られるようになりました。 この頃の監督、コーチ、選手達には感謝の気持ちしかありません。今でも他チームで現役の選手にはエールを送ってしまいます。

        • 6月26日(2022年) モーやん渾身の一撃

          予告通り去年の借りを返せました。妙に相性の悪いノエスタで勝利。例年になく芝の状態がいいように見えました。このハイブリッド芝は一見良さそうでも本当にポンコツでしたからw。 今回、ゴール裏も指定だったので、どこら辺に中心が来るのか分からずドキドキしました(笑)。幸い3ブロックほど向こうだったので安心。でもちゃんと気合い入れて応援しましたよ! 最後のモーベルグのフリーキックは平野が上手くファールを取ってくれました。 1本目からいい感じで枠に行っていたので、もうここは決めるしかない!

        7月2日(2022年) あまりにも酷い

          6月25日(2016年)神戸粉砕・(2022年)淡路島上陸

          清尾さんの記事を読んでゆりかごエピソード思い出しました。 勝った試合なのに珍しく写真を撮っていない試合でした。 慎三くんって自らのハットトリックよりもこういうことを大切にする人なのでレッズサポの心を掴んだのでしょうね。 今年の6月25日は、翌日の神戸戦が日曜夜試合なので久しぶりに前乗りとなりました。 去年も行った淡路島のニジゲンノモリに行って来ました。前回はドラクエアイランドにたっぷり時間を使いました。 アトラクションは変更されていないので、今年は期間限定の鬼滅の刃ウォー

          6月25日(2016年)神戸粉砕・(2022年)淡路島上陸

          6月24日(1995年) 安全神話の崩れた年

          1995年、平成7年というのは自分にとって特別な年です。 まず、バンコク赴任の年であることが一番です。そして、日本にとって大転換となった年でもあります。1月の阪神・淡路大震災から始まり、3月の地下鉄サリン事件、そして大手証券会社や銀行の倒産も相次ぎました。日本の安全神話が崩れた年とされています。 当時はインターネットもなく、海外から日本の情報を入手する手段は限られていたので、これから日本はどうなってしまうのだろうととても不安に思っていました。 そして、次男坊の誕生もありました

          6月24日(1995年) 安全神話の崩れた年

          6月23日(2013年) 夜行バスで帰ってくる価値のあった試合

          2013年の6月23日はナビスコカップ決勝トーナメントの準々決勝第1戦でした。 ただ、この日は日曜日でしかも19時キックオフ。試合終了後、帰りの最終新幹線は間に合いません。この時は確か新宿着の夜行バスで帰ってきて、歌舞伎町の銭湯に入ってからそのまま仕事に行った記憶があります。 以前は車で行くこともありましたが、もうそんな気力体力はないので、新幹線か飛行機で往復することが普通です。 ただし、この日のように日曜夜試合や平日開催だとその日の最終新幹線に間に合わない場合も多々ありま

          6月23日(2013年) 夜行バスで帰ってくる価値のあった試合

          6月22日(2016年) 大っ嫌いなのは?

          一般的に、レッズサポが一番嫌いなのは鹿島でしょう(レッズに限らずかも)。なんなら所属する選手すら嫌いになります。ただ鹿島のスタグルはみんな大好きです。 大宮は大っ嫌いですが、同じ市内にあるからで、所属してる選手には別にそこまでの思いはないのでは。 それでは東京は? 多分、チームはそこまで嫌いでもないし、所属選手も別に嫌ってはいないけれど、あのゴール裏サポーターが大っ嫌いという感じではないでしょうか。 この試合、前半で0-2と東京がリードし、あっちのゴール裏はお祭り騒ぎ。本当に

          6月22日(2016年) 大っ嫌いなのは?

          6月21日(2009年) 直輝のチャントに興奮した日

          この日の試合はとてもよく覚えています。 中断期間中に行われたナビスコカップで直輝が活躍して、チャントがお披露目された日でした。 ゴール裏にいたら新しいチャントの練習が始まって、おー直輝のチャントだ!って興奮しました。 ただ試合は代表から戻ってきた選手との融合がうまくいかないように感じました。あまりいいところなくマリノスに負けてガッカリした記憶が蘇ってきました。 そう言えばこの頃、一緒の職場に北浦和サッカー少年団の指導に関わっていた人がいて、直輝の小学生時代をよく知ってました。

          6月21日(2009年) 直輝のチャントに興奮した日

          6月20日(2015年) 見事な無敗優勝

          今度の日曜日6月26日にノエビアスタジアムで神戸とのリーグ戦が行われます。このスタジアムではいい思い出がほとんどありません。(最たる例が去年の惨敗ですが、今年は勝ちますよ!) そんな中で、2015年の1stステージ優勝を決めた試合は、ノエスタで珍しくいい思いをできた試合です。 試合は梅ちゃんの体を張ったシュートで先制。追いつかれるも引き分けで終わり、見事無敗でステージ優勝を成し遂げました。メインスタンドにいたので、いい写真がたくさん撮れたのもうれしかったですね。

          6月20日(2015年) 見事な無敗優勝

          6月19日(1993年) 隔世の感

          特に思い当たることがにないし、他の年も試合を観に行った記録がないので、1993年ってどんな年だったのか調べてみました。 この10日前の6月9日に現在の天皇陛下である当時の皇太子殿下と雅子妃殿下の結婚の儀が行われていました。 また、この年の夏は記録的な冷夏で、米の不作が発生し、平成の米騒動が起こりました。海外から米が緊急輸入され、タイ米が一方的に悪者になってました。 我が家はこの輸入されたタイ米を美味しくいただいてました。まだバンコク赴任が決まる前のことだったので、タイとは何か

          6月19日(1993年) 隔世の感

          6月18日(2022年) 本当に久しぶりの勝利

          今シーズン、国内戦は全て参戦しています。なかなか苦しい戦いを強いられていますが、とにかく頑張っています! リーグ戦は3ヶ月勝ち星がなく、後ろも気になるくらいに。いつか結果が出るはずと信じてサポートするしかありません。 そんな中で迎えた代表ウィーク明けのリーグ戦再開。相手は今シーズン初対戦となる名古屋グランパス。 苦しい戦いになることを覚悟していましたが、先制点が取れると畳み掛けるように連続得点。前半で3-0としました。 名古屋は3バックの両サイドがあまりにも前プレに弱く、バタ

          6月18日(2022年) 本当に久しぶりの勝利

          6月17日(1995年) どこでもゴルフ場

          バンコクに住んでいた当時、スワンナプーム国際空港はまだ影も形もありませんでした。 ムアントン・ユナイテッドの本拠地に近いドンムアン空港がバンコク唯一の国際空港で、国内線の空港も兼ねていました。 このドンムアン空港の滑走路と滑走路の間には何とゴルフ場があるのです。 元々は空軍のための施設だったみたいなのですが、普通に一般人も入れました。しかも何のセキュリティチェックもなしに(笑) このコースの中にある休憩所のタイ料理がことの他美味しい。パットシーユー(岸麺の醤油炒め)が特に好

          6月17日(1995年) どこでもゴルフ場

          6月16日(2012年) アレアレ〜梅崎〜アレアレ司

          この日の試合はとてもよく覚えています。 メインスタンドで観戦していましたが、万博競技場はメインでも屋根がほとんどないので雨に濡れます。そしてこの時は、雨具に染み込んでくるほどの豪雨で、ずぶ濡れになりました。 でもその分変なテンションになって応援にも熱が入ってましたね。そして、梅ちゃんのゴール。今でも光景が甦ります。 この後発行されたエルゴラで、梅ちゃんは表紙になったんですけど、その隣でマネージャーの水上さんも並んで写っていました。いい写真だったなぁ。スクラップして取ってあるは

          6月16日(2012年) アレアレ〜梅崎〜アレアレ司

          6月15日(2003年) なってほしいような、ほしくないような

          福さんの現役として最後のシーズンである2002年から自分は浦和の試合をきちんと見るようになりました。この引退試合も行ったような気がするのですがよく覚えていないです。 福さんは引退してからハートフルのコーチ、フィンケさんの下ではトップチームのコーチもして、指導者の道を選ぶのかと思っていましたが、すっかり遠ざかってしまいましたね。トークは抜群に面白いですがw 何回か復帰オファーはされたみたいですが、自分には監督は合わないと常々言っているので、よっぽどのことがない限りもう戻ってくる

          6月15日(2003年) なってほしいような、ほしくないような

          6月14日(1998年) 日本が初めてW杯で戦った日

          6月14日は、ワールドカップの日本戦だったらたくさんあるんですね。 98年アルゼンチン戦 02年チュニジア戦 10年カメルーン戦 14年コートジボワール戦 ワールドカップ以外の年も代表ウィークであることが多いようです。 この中で特に思い入れのある試合は、やはり1998年の日本対アルゼンチン戦ですね。 当時のアルゼンチンは世界最高FWバティストゥータ擁する優勝候補のチームでした。日本は前半にそのバティストゥータにきっちり点を決められて、そのまま敗戦しました。 世界との差を痛感す

          6月14日(1998年) 日本が初めてW杯で戦った日