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「エッセイ」東京タワー

東京タワーに初めて登ったのは、小学校の修学旅行の時だった。当時は幼かったこともあり、私の記憶の中の東京タワーは衝撃的な高さだった。
展望台で、同級生の行列の後ろに並び、やっと自分の番になってワクワクしながら望遠鏡にお金を入れた。
私の目に飛び込んで来たのは、霞んだ空の下に沢山の建物が建ち並ぶ大都会 東京の姿だった。
私にとっての東京タワーは国会議事堂や皇居と並ぶ東京の象徴だ。
それが電波塔だと知ったのは、多分ずっと後のことだ。いや、あの時説明を受けていたと思うが、初めての修学旅行に興奮していて何も聞いてはいなかった。現在では東京タワーよりも高い「スカイツリー」が出来ている。東京タワーよりも近代的なデザインでスマートに空に向かってそびえ建つスカイツリー。

でも私は昭和の人間だからなのか、東京へ遊びに行くとやっぱり「スカイツリー」よりも「東京タワー」を見た時に親しみや感動を覚える。
いや「スカイツリー」の高さや現代の構造物の進歩にはもちろん驚嘆するが、ただ単に私は「東京タワー」の方が好きなのだ。

「ALWAYS三丁目の夕日」という有名な映画がある。東京タワーが出来る前を描いた映画で人々は皆、東京タワーの完成を心待ちにしている。テレビは白黒テレビが、やっと普及し始めた時代、人々は今よりも不便だった筈なのに、心に夢や希望を持って生活していたように私の目には映った。
あのセピアカラーの世界観が好きだ。

何故、スカイツリーを引き合いに出して東京タワーの方が好きだと言い出したのかと言うと先日、人気noterのMOHさんから頂いたコメントで気付いた事があったからだ。

>今の紙の本だと保って数十年、デジタルデータなら(地球がなくならない限り)ほぼ永遠

これは私が何かを「残したい」と言ったので、Kindle出版の事を丁寧に教えてくださった時のコメントだ(MOHさん、ありがとうございます)
その主旨に反して、私は「残る」と言う方に反応してしまった(ごめんなさい)

例えば、NHK大河ドラマ「光る君へ」では、紫式部の事が描かれているが、それは紫式部が後世に残る作品を書いたからだ。
昭和文学の夏目漱石や川端康成、芥川龍之介、三島由紀夫……も令和の今の時代にも残り読まれている。
音楽もそうだ。バッハやシューベルト、ベートーヴェンは、遥か昔の偉人なのに今現在も演奏されて聴かれている。
そしてZ世代と呼ばれる人達は、昭和歌謡をカラオケで歌う。ユーミンだったりサザンだったり、松田聖子や中森明菜……
その事に関して「両親が聴いていたから」とか「歌い易い」からと言う理由づけを彼らはするが、令和の歌が歌い辛いからに他ならないのではないか?と私は思う。アーティストのプロ意識が強過ぎて、ボーカルの声は高いしテンポも速い。とても鼻歌で口ずさめるようなレベルの歌ではない。殆どが「聴く」為だけの音楽になっている。
果たして、この令和の音楽が楽曲としてではなく、どのくらい後世に歌い繋がれるのだろうか。

小説にしてもそうだ。昭和の小説は今も我々の身近に沢山残っている。令和でも、これから後世に残る名作は生まれるだろうが、数としては昭和時代の方が多いのではないだろうか(時間的長さも、もちろんあるが)
私は推理小説が好きだから、例に上げると松本清張のトリックは現在では通用しない。文明の利器の発達によって、直ぐに見破られてしまうだろう。それでも今も、其処だけを現代風にアレンジしてドラマ化や映画化がされている。
そこまでして、どうして?
今の推理小説で良いではないか?
と思う人は少ないのではないだろうか。それだけ松本清張の推理小説が優れていて推理小説なのに、人物を描いているから心に響くのではないかと私は思う。

まぁ、残れば良いと言うだけではないが……

生花は枯れる。
花火は夜空に絵を描き、燃えて消える。

でも生花は「枯れる」から、花火も「消える」からいいのだ。
その一瞬の美しさを目に焼きつけるから、人は尊いと思うのではないだろうか。

何を言いたかったのだろう。
残るもの、残らないもの、残らないから良いと感じるもの…

とにかく私は同じ電波塔なのに、優れているスカイツリーよりも自分の思いが残る東京タワーが好きなのだ。




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