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旅のはじまり@青森

この旅のはじまりに、青森という場所を選んだのは、必然だったのかもしれない。

盆と正月が近づくと、どちらからともなく連絡を取り合う友人がいる。彼女は大学時代の同級生で、大学と我が家のちょうど中間あたりに下宿していたもんだから、学生時代は家で夜ご飯とお風呂まで済ませてあとは寝るだけ!の状態でお泊まりに行っては夜な夜な彼女の家でお喋りをしていた、大切な友人。

この夏は彼女の仕事が立て込んでいるらしく、「これは憧れのグランクラスデビューのタイミングなのでは」といそいそとチケットを手配した。

これは、青森時代のわたしです。

自己紹介で出身地を尋ねられるたびに

「生まれは仙台です。転勤族育ちで、東は青森・西は北九州の小倉で育ちました」

と答えている、あの青森にやってきた。実に、約15年ぶり。 

JRは、いつも丁寧に筆談してくれる。

朝方だというのに蒸し暑くて最寄駅に着くまでにキャミソールが肌にベッタリとつくような東京から、ふかふかの座席に包まれて軽食どころかおやつやお酒も嗜んで、前を走っていた片割れの赤い新幹線とも気づいたらお別れして3時間半。警報級の大雨という天気予報は見間違いだったのかと思うほどカラッと晴れた新青森。

「帰青しちゃったよ」と笑うわたしに「おかえりなさい」と両手を広げて彼女は出迎えてくれた。

臨時ダイヤで乗れたリゾートしらかみ
リゾートしらかみと、青い森鉄道の11ぴきのねこ電車

15年ぶりに訪れたこの街は、0歳から幼稚園の最初の頃までというギリ記憶に残っているかも……くらいの遠い記憶の断片のような街で、既視感のある風景はこの橋くらい。

県立美術館で「ミナペルホネン/皆川明 つづく」を見てきました。


もはや「懐かしさとは」レベルで何も覚えていないはずの街だけれども、なぜかどこか居心地が良い。それはここがわたしの育った街だからなのか、隣にいるのが大好きな友人だからなのか、おそらくその両方なんだろうな、なんて思いながら夕暮れのビーチを歩く。

ビーチとモニュメントが地域活性化に繋がると信じて疑わないこの地方都市の愛おしさよ。


一夜明けて空港に向かいながら、母へ懐かしの地の写真を送る。わたしの記憶にはなくても、人生初めての子育てをしたこの街を、母はきっと色濃く覚えていることだろう。

程なくして「この橋、あなたと一緒に渡ったことあるわよ」と嬉しそうなメッセージが届いた。

どうやら、青森空港は母のお腹の中にいる頃から利用していて、わたしの飛行機デビューも、もれなくこの青森空港だったとのこと。

あの頃から三半規管が弱くて乗り物酔いがひどかったこと、空港に向かう道中にあるスケートリンクでディズニーオンアイスを観に行ったのにショーよりグッズに夢中な子だったこと、空港のロビーに出張帰りの父をよく迎えにきていたこと……空港の様子を動画や写真を実況中継のように母に送りながら、思い出話を教えてもらう。

ひとつひとつの場所に、わたしがいたその軌跡があるような気がして、この光景をちゃんと目に焼き付けて、心に焼き付けて、シャッターをきろう。

喋りはじめた頃のわたしは、津軽弁だったらしい。
人は心が揺れ動いたときに写真を撮る。写真に残したい光景こそしっかり体感しないともったいない(幡野広志のことばと写真展 familyより)

お腹の中にいる頃から飛行機乗ってたのならば、わたしの飛行機好きは、旅好きは、もはや生まれもったもので。

だから、この旅の始まりに青森という地を選んだことは、空港から飛ぶことにしたことは、必然だったのかもしれない。

そんなことを思いながら、今、空を飛んでいます。

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