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音の世界と音のない世界の狭間で

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聴覚障害のこと。わたしのきこえのことを、つらつらと。
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#多様性を考える

どうかどうか。初日の出を美しいと言える朝が、やってきますように。

本当だったら あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします! のひとことから始めて、年末に書いたBUCKET LISTをここに書いて宣言でもしようかと思っていた。少なくとも、サッカー日本代表の試合が終わって伊東純也選手が「キャプテンマークをつけていましたね」という記者の問いかけにハニカム姿をテレビ越しに見て「かわいい……‼︎」と悶絶していた頃までは。 ところがどっこい、その数分後にテレビから緊急地震速報が流れてきた。観測したのは、石川県。だというのに、テ

ほろ酔いの 夜道のライトは あったかい。

ほろ酔いの帰り道、隣の人がライトで足元を照らしてくれた。 その横で、わたしはライトを相手の口元のちょいと先へと向けた。 隣の人が、数m進んだところで、ふふふと笑う。【なに?】と人差し指を揺らして尋ねると 「ねぇ、さんまりちゃん酔っ払っているでしょう」 とさらに大きく、ケラケラ笑い始めた。 「えええー。そんなことないですよ。あれくらいじゃ酔いませんって」 とおどけて返事をしたものの、隣の人はずっと笑ったまま。 おかしいなぁ。 今日はワインをグラスで3杯飲んだくらい。

noteはわたしのトリセツです。

初めましての方に会うたびに、わたしはわたしのことをこんなふうに説明する。 左耳に補聴器をつけているから、聴覚障害があるなんて一目瞭然じゃないか。 聴覚障害者に口元を見せるなんて、当たり前じゃないか。 なんてことを内心思っていないかと言われると、ドキリとしてしまう。まがりなりにも誰かに何かを伝えるという仕事をしているというのに、初めましてが続くと「ほかの数人はわたしのお耳のことを知っているしな……」と思って伝えることを諦めてしまうことが、わりとある。 そして、伝えるのを諦

秋。あともう少し、わたしたちに穏やかな時間を。

週末の昼下がり。朝ご飯というべきなのか、昼ご飯と呼ぶべきなのかよく分からない、でもブランチと呼ぶには洒落っ気のない平日の残り物を炒めたモノは想像以上にたっぷりで。それらをお腹に詰め込んだらふわっと眠気が襲ってきて、気付いたら西日が差し込んでいた。 隣の人が、寝ぼけ眼なわたしをみてニヤッと笑う。そしてその人の指が近づいてきて「ちょっと目を瞑ってごらん」と言われたので、仰せのままに目を閉じると、大きな指がわたしの頬をちょぴっと強くこすった。 あらまぁ恥ずかしい。食べ物でもつい

トントンと、愛が伝わってきた日。

わたしは #音の世界と音のない世界の狭間で 生きている、いわゆる聴覚障害者。補聴器をしてそれなりに生活はできるけれども、わたしに聴き取れる音というのは、視界に入っているもののみ。 例えば、後ろの方で救急車のサイレンが鳴っていても全然分からないのに、視界に入る前方でピカピカ光る赤いパトライトが見えると、ちょっと遠くても聴き取れる。補聴器のスピーカーは耳の後ろについているから、後ろの方で鳴っているサイレンの方が聴き取りやすいはず……とも思うのだけれども、経験的に見えるものの方が

今日もわたしは #音の世界と音のない世界の狭間で という見栄に生かされている。

わたしの右耳は全くきこえなくて、左耳も補聴器を使用して生活する程度の難聴で。そんなわたしのみる世界を #音の世界と音のない世界の狭間で と名付けてnoteを書いている。 生まれつき右耳は全くキコエナイのでわたし耳は完全にキコエルということを知らないし、左耳の残存聴力があるので完全にキコエナイということも、また知らない。365日生きていれば、330日はわたしの生きるこの狭間の世界が好きだけれども、残りの30日ちょっとくらいは劣等感というか不平等感というかそういうマイナスな気持

#音の世界と音のない世界の狭間で 生きるわたしが、電話を握りしめて涙を流した日のこと。

人にはそれぞれ良い思い出があるように、また嫌な思い出というものあって。それは、あるスイッチをポンと押したそのタイミングから、ゆっくりジワジワと、でも確実にわたしの中に広がっていくんだと思う。 わたしのスイッチは、固定電話だった。あの、役所とかによくあるような、元はきっと白かったんだろうけど今は日に焼けて黄ばんだ色をした、あの固定電話。 最後にあの形の電話を使ったのは、確か大学1年生の頃で。当時のバイト先に置いてあって、新人だったわたしはいつもコールが鳴るとすぐに電話を取ら

わたしたちはどう待つか。

とかく物価高騰が叫ばれる日々、ついに映画館も値上げをするとかしないとかそんなニュースを目にするけれども、障害者割引料金は1,000円のまま継続するらしい。ちなみに、同行者も1,000円。 もうこれは、めちゃくちゃラッキーじゃないですか。特にそれが、ハリーポッターとかタイタニックとかで、一緒に観にいく人がある程度文字の読める大人だったらもうバッチリ。だいたいの洋画は、日本語字幕上映か日本語吹き替え上映かを選べて、前者のほうが上映数が多い。 でも、邦画、特にアニメなんかはお手

それでもわたしたちは #音の世界と音のない世界の狭間で 生きることをやめられないから。

誰かの肩にそっともたれ掛かりたい夜がある。そんな日は、ちょぴっとだけアルコールを。 大学時代に真冬の北海道で出会ったわたしたちは、1994年の2月に音のない世界に生まれ、音の世界で育って、出会ったちょうどその頃に手話を覚え始めて、いま、電車で数分の距離に暮らしている。 補聴器をつけているけれどもよく喋り、音楽も好き。でも一方で、よく喋るし音楽も知っているからこそ、音の世界の人たちにわたしたちの感じる世界を知ってもらうことの難しさも抱えていて。 全く聴き取れないし、発音も

聴覚障害のあるわたしが、藤原さくらちゃんのライブにひとりで参戦した話。

いま、わたしは、とても夢見心地な気分です。 遡ること、6時間半前。とにかく「暑い」以外の台詞が何ひとつ思い浮かばない。そんな、気温30℃越えの東京は、八重洲ミッドタウン。数日前に、TwitterだかInstagramのお知らせで見つけたFUJI ROCK WEEK へ、藤原さくらちゃんのうたを聴きたくて、この地へ。 正直、会場に行くかどうかは昨夜までずっと悩んでいた。というのも、わたしは聴覚障害者で補聴器を付けていて。思いのほかペラペラ喋るので誤解されやすいけれども、機械

線と線が交わる瞬間を、日々紡いでいきたいだけで。

わたしの聴力は、補聴器を外すと右耳が120dB↑で左耳が70dBくらい。0dBが、キコエル人が聴き取れる最小の音量と言われているので、数字が大きければ大きいほどキコエナイということ。 つまり、右耳は耳元で飛行機のエンジンが鳴ってても音が分からないくらいの最重度の難聴で、左耳は救急車のサイレンがキコエル程度。と言っても、わたしは救急車のサイレンもよっぽど周りが静かで目の前を通るタイミングじゃないと聴き取れない。蝉の鳴き声だって、分からないぞ。と、今この表を眺めては首を傾げてい

補聴器ユーザーが観劇をより楽しめる方法、募集中です!

「ねぇねぇ、これ観に行こうよ」 と送られてきたURLをタップすると、それは舞台の案内だった。実はずっとずっと気になっていた舞台だったので、誘ってもらえたことは、とっても嬉しい。 「わーー。わたしも、気になっていたの。行きたい!」 と返事をすると 「情報保障、どうしよっかね」 と返事がきた。一番にここを気にしてくれる人がわたしを誘ってくれているというところが、とてもうれしいポイント。 ちなみに、情報保障というのは、障害のある人が情報を入手するにあたり必要なサポートの

音の世界と音のない世界と「みる」力。

「聴覚障害があるんです」 とカミングアウトすると、ときたまこんな返事が返ってくる。 「ってことは、そのぶんみる能力が優れているんですか?」 視覚障害のあるピアニスト、知的障害のあるアーティスト、ダウン症の書道家……。世の中は、障害者には特別な才能があると思い込みすぎなんじゃないだろうか。まぁ確かに、特に秀でた才能のない障害者なんて掬いようがないと言われればそれまでなのだけれども。 ちなみに、わたしは裸眼視力0.03で幼少期には斜視もあった。今でも補聴器とコンタクトを外

身体障害者手帳を片手に「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ」行ってきました。

平日も休日も、どこから人が湧いてくるのだろうかとびっくりするくらい清澄白河に人が集まるようになったのは、「クリスチャン・ディオール」の展覧会が行われているから。地元仙台のお友達も、このためにわざわざ上京したというので、これは見ておこうとお散歩ついでにのぞいてきました。 今回の展覧会も身体障害者手帳の提示で、予約なし・いつでも無料で入場できるので、ありがたく利用させてもらいました。今回は本当に人がたくさんいたので、夕方の閉館間際の時間を狙って3回に分けてゆっくりと。毎回見たい