音の世界と音のない世界と「みる」力。
「聴覚障害があるんです」
とカミングアウトすると、ときたまこんな返事が返ってくる。
「ってことは、そのぶんみる能力が優れているんですか?」
視覚障害のあるピアニスト、知的障害のあるアーティスト、ダウン症の書道家……。世の中は、障害者には特別な才能があると思い込みすぎなんじゃないだろうか。まぁ確かに、特に秀でた才能のない障害者なんて掬いようがないと言われればそれまでなのだけれども。
ちなみに、わたしは裸眼視力0.03で幼少期には斜視もあった。今でも補聴器とコンタクトを外したら、聴こえないし見えない。
それじゃあみる力がないのかというと、そこは難しくて。視力としてはヨワヨワだけれども、視野が広い方だと思う。
例えば、ショッピングモールで相手の口の形や手話を読み取って歩きながら目的のお店を見つけることができる。お店の奥の方にあるディスプレイとかもみえているので、会話の途中で「あのお店の雑貨かわいいねぇ」とか「あのコインロッカーって、意外と奥行きがあるのねぇ」なんて横槍を入れると周りにびっくりされる。
「会話しながら、そんな遠くのものまでみえてるの?」
と。
別に話を見ていないわけではなくてちゃんとみているんだけど、その周辺にあるものたちも同じくよくみている。だって、情報量は少しでも多い方が良いじゃない。
実は、わたしの周りの聴覚障害者の多くがこんな感じで。ファミレスで手話をしながらお喋りしていても、知り合いが入ってきたらすぐに気づくとか手話でおしゃべりしながら相手のiPhoneの画面で検索されているワードまで見えてしまっていたり。
後者については、こっそり黙っているけれどもみる気がなくても自然に視野に入ってきてしまう。(だから、見なかったことにしているよ。わたしは。)がしかし、結構な割合で視力は悪い人が多い印象。
そもそも、わたしたちの使う言語である手話がかなり広い視野を必要としていて。手だけで喋っているように見えるかもしれないけれども、頷きや眉の上げ下げも文法の一部。
聴こえる人が手話を始めて一番に躓くのもやっぱりここのような気がしていて。「手話読み取れない!」と言う人は高確率で手しか見ていないので、頭の上から胸の辺りまでを一つの手話の形だと思ってみてみると、読み取りやすくなるかも。
あと、「〇〇したい」と「好き」とか「〇〇みたい(のようだ)」と「似ている」のように手指表現の似ている単語もあるので、やっぱり口形も併せてひとつの単語として表現していることもあって。手の動きと口の形は少なくともマストで両方みているんだと思う。
だから、「聴こえないってことは、みる力能力が優れているんですか?」という質問については「視野の広さ」という点において「そうかもしれない」と答えている。
ちなみに、広い視野を大まかに捉えがちなので灯台下暗しな面は否めない。例えば、手話をしながら歩いていて電柱にぶつかったり階段を踏み外したりする人はよくいる。わたしも、そのうちのひとり。
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