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トントンと、愛が伝わってきた日。

わたしは #音の世界と音のない世界の狭間で 生きている、いわゆる聴覚障害者。補聴器をしてそれなりに生活はできるけれども、わたしに聴き取れる音というのは、視界に入っているもののみ。

例えば、後ろの方で救急車のサイレンが鳴っていても全然分からないのに、視界に入る前方でピカピカ光る赤いパトライトが見えると、ちょっと遠くても聴き取れる。補聴器のスピーカーは耳の後ろについているから、後ろの方で鳴っているサイレンの方が聴き取りやすいはず……とも思うのだけれども、経験的に見えるものの方が聴き取りやすい。

つまり、街中で誰かに「ねぇねぇ」と声を掛けられてもほとんど気づかない。無視しているわけではないので周りの人たちには「呼んでもわたしが振り向かなかったら、肩とか叩いて教えてください!」とお願いするようにしている。一応わたしもオンナノコなので、身体に触れられることは同意だと伝えなきゃいけないしね。

だからこのときも、わたしとその人は同じ空間でそれぞれ好きなことをしていて。わたしは読書を、隣の人はYoutube鑑賞を。で、そろそろ夕食というタイミングでその人は多分、わたしを呼んだんだと思う。

「思う」というのは、1回目のそれには読書に夢中で気付かなかったからで。もちろん、わたしが聴覚障害者であることはその人も了解済み。でも、肩は叩かれなかった。じゃあなにをしたって。

わたしの目線の先にある机を指先で2回、トントンっと

その指先がわたしの視線の延長線上にあって、しかも、本をも支えていた方の手がその机に触れていたこともあって。目線の先で何かが動いて振動が伝わってきて

あ、わたし今呼ばれたんだ!

と、自然に目線を上げることができた。そしたらやっぱり「そろそろ、ご飯にしない?」と声を掛けられて。

ふぅむ。確かにお腹が空いてきたかもしれない。と、本を閉じてキッチンへ。

いくら心を許している相手でも、何かに集中しているときにいきなり身体に触れられるとびっくりしてしまう。それでも。わたしは聴き取りにくいし、周りもどう声を掛けたらいいか分からないだろうなぁと「気付かないときは、遠慮なく肩を叩いてください!」と伝えていたけれども。

夢中になって読書をしていても、目線の先で何かが動くのに気付ける程度には目で見て生きているので。先に指先が動くから、ちょっと心の準備ができて、ちょうどそのタイミングで振動が優しく伝わってきて、顔をあげる。その場には、わたしともう一人しかいなかったしね。

もちろん、初対面ではなくて、日々を重ねてきた経験があったからこそのファインプレー。でも、そういう周りのファインプレーに支えられて今日もわたしは優しい世界に生きているのだなぁと思うと、やっぱりとても良い気分。

ありがとうね。これからも、よろしくね。

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