見出し画像

#音の世界と音のない世界の狭間で 生きるわたしが、電話を握りしめて涙を流した日のこと。

人にはそれぞれ良い思い出があるように、また嫌な思い出というものあって。それは、あるスイッチをポンと押したそのタイミングから、ゆっくりジワジワと、でも確実にわたしの中に広がっていくんだと思う。

わたしのスイッチは、固定電話だった。あの、役所とかによくあるような、元はきっと白かったんだろうけど今は日に焼けて黄ばんだ色をした、あの固定電話。

最後にあの形の電話を使ったのは、確か大学1年生の頃で。当時のバイト先に置いてあって、新人だったわたしはいつもコールが鳴るとすぐに電話を取らないといけなかった。「聴覚障害があって……」と話をしても「内線で練習しましょう」と押し切られて、何度も練習して。で、なんとか断片的に聴き取れた言葉から覚えた電話のパターンを頭の中に並べてはこれだろうというカードを選び取るような受け答えの日々。

聴覚障害者の、特にわたしのような感音性難聴の聴こえというのは、ただ耳が遠いのではなくて聴き取れる周波数とそうでない周波数にも差があって。下の図のような感じ。(上はキコエル人の、下は感音性難聴の聴こえ方を表している)

補聴器専門店プロショップ大塚HPより

だもんだから、覚えているカード以外の言葉が電話の先から出てくると推測もできないことがよくあった。そして、電話の内容を間違えるたびに「こんな電話もできないの?こんなんじゃお給料あげられない。」との指導の口調が厳しくなっていって、それはごもっともだと思って半年くらいでそのバイトを辞めてしまった。

今思い返せば、キコエル側の左耳の聴力がグッと下がったタイミングで。わたしのなかの「できるだろう」とお耳の「聴き取れる」にちょっとずつ差が出てきた頃。わたしもまだまだ自分のきこえに慣れてなくて、上記の図のような説明だって思いもつかなかった。だから、諸々とタイミングが悪かったんだろうと思う。

その後10年間、聴き慣れた家族以外とは音声通話はしない。お友達や恋人との電話も、口の形や手話が見えるテレビ電話を。そして、お金が絡んだり仕事みたいな公的な場面では代理電話を使って過ごしてきた。

のだけれども。今使っている補聴器も2年目。この夏はついに蝉の声も聞き取れるくらい補聴器を活用できるようになってきたので、Bluetoothで iPhoneと補聴器を繋いで音楽を楽しんだり大人数のzoomなんかにも挑戦するようになってきていた。

だから、たぶんどこかで油断していたんだと思う。この前役所を訪れたときに、他の部署から電話がかかってきて「さんまりさんと直接話したいと言われたので、代わってくれないか」と尋ねられたもんだから恐る恐る「分かりました」と答えて受話器を受け取ってしまったわけ。

受話器を補聴器のマイクに当てながら一生懸命聴き取ろうとすると、相手の言っていることがなんとなく想像できる。だから「きっとこうだろう……」みたいなパーツを組み合わせながら受け答えをすれば、なんとなく会話が成立してしまって。

でも「じゃあその電話の主が何を言っているのか復唱しなさい」と言われても、たぶんそれはできないくらいにしか内容は理解できていなくて。

どうしよう。分からない……

そう思うと不安で不安で、わたしの声は小さくなっていって。それに比例して相手からは

「もしもし?」
「聞いてますか?」
「なんて言ってるんですか?」

みたいな問いかけが増えていって。絞り出すように「分からないです……」と答えても、どうやら相手は話の内容が理解できないと察したのか、長々とまた話し始めて。それも聴き取れなくて……

という完全に負のスパイラルに陥って、気付いたら、受話器を片手にポロポロと涙を流してしまった。役所の窓口で涙を流すアラサー。もう、すくいようがない。

見かねた窓口の人が電話を代わってくれて。その後は、落ち着いてから通訳をしてもらってことなきを得たのだけれども。

あの瞬間、サーっと思い出されたのが、あのバイトを辞めたときに電話応対の件でめちゃくちゃ怒られたエピソードで。この10年、正直あの日のエピソードなんて一ミリも思い出すことなくここまで生きてきたのに、役所でポロポロ涙を流してから、何度も何度もあの日のあの時間がエンドレスで流れてくる。

大学生のときも、この前の役所も
「これくらいなら、わたしにもできるかもしれない」
というわたしの謎な自意識過剰が招いた話なので。きっと相手は、ペラペラ喋る聴覚障害者がこんなにも聴き取れていないとは知らなかっただろうし、わたしも友達と雑談を楽しむ感覚で受話器を握ってしまったことが悪かった。

いつもの職場やお金のやり取りのある場では絶対に筆談をするのに、その日はちょっと急いでいたから。聴覚障害があることと補聴器の存在だけ説明して、あとは声出した方が早いしな……とペラペラ喋って応対したから。窓口の人もわたしに聴覚障害があるということは認識していても【聴覚障害=機械音声が苦手】なんて知識をもっているわけじゃないから。
マスクを外して今会話ができてるんだから、電話だってできるだろうと思ったんだろう。

30年近く生きてきて、わたしの聴覚障害について説明するたびに「身近に聴覚障害者がいたことがなくて。さんまりちゃんの話が新鮮!」と何度言われてきただろう。そのたびに、noteを書いてきてよかった。ちゃんと説明して理解してもらえてよかったと何度嬉しい思いをしただろう。

それなのに。ちょっと急いでいたからと説明を省いたせいで、結局悲しい思い出に再会して今ちょっと落ち込んでいるわけで。ひゃーん。気を抜きすぎたなぁと猛省。

改めて、謙虚に、音の世界とその狭間は似ているようで違うことを、わたし自身がちゃんと自覚して生きていなかきゃなって。わたし自身が気持ちよく生きていくために、めんどくさがってはいけないこと。

なんせ、わたしが音の世界の住人に会う頻度と、音の世界の住人がこの狭間の世界に出会う頻度を考えたら、圧倒的に前者が多いので。わたしの方が、説明に慣れているんだもの。場数踏んだ分、先輩ヅラさせてよね!くらいの精神で生きていくんだぞ。えへん。

音の世界の人でも音のない世界の人でも、その狭間の人でも。一人でも多くの人がこのnoteを読んでくれたら将来のわたしが助けてもらえるかもしれないし、お耳の仲間が助かるかもしれない。だから、わたしは今日もnoteを書き続けるんだ。

この記事が参加している募集

noteのつづけ方

多様性を考える

見に来てくださりありがとうございます。サポート、とっても心の励みになります。みなさまからのサポートで、わたしの「ときめき」を探してまたnoteにつらつらと書いていきます。