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今年の下らない抱負と大事にしたいこと

ツイッターで、保育士VS保護者になってると悲しい。保育士時代の最初の職場を思い出す。「あのお母さんいつも買い物してからお迎えきてる」
窓の外を見ながら先輩が言った。
新人の私はそういうものかと思っていた。なぜ、それがいけないのか分からないまま、これは子どもが可哀想だということなんだなと、先輩の言葉を理解した。
今、働きながら娘を預けていると、早く上がれたときくらい買い物したって、良いじゃないと思う。

次の保育園では、買い物したっていいじゃないという感じだったから、(全員5時お迎えだったけど)、園によって考え方は様々だ。

私だけかもしれないが、なんていうか、復職後保育園に預ける毎日は、ピンと張った布のうえで生活しているみたいだ。
朝おこす、朝ごはん、保育園、出社、仕事、退社、保育園、帰り、夕食、お風呂寝かし付け。
終わったときには寝落ちか、起きても何もしたくないと思ってしまう。
弛みのまっかくない『時間』という布の上で、幼い頃無限にあった『私のための時間』が、「いつ休むの、いつ一人になるの、いつ好きなところへ出掛けるの」と言ってもがいている。
仕事は好きだし、もっとやりたい。娘ともっと遊びたい。
でも、『私のためだけの時間』がほしい。
そんな時間は人間には必要なんじゃないかなと思う。

働いてない時も感じていたこと。
こどもと離れるのに理由が必要。夜中対応も必要。その中で、大切な誰かのためにある毎日。


ひろばスタッフとして、いつも思うのは、
『母も父もみんな楽をしたらいいし、子どもはのびのび育てばいい』ということ。楽だと思えると、緩みの中から楽しいが出てくるから。親が楽しいは、子どもも楽しいに繋がるから。

『親は楽していいし、子はのびのびしていい』それに加えて、
『保育士は保育を楽しめるくらいに、楽していい』
と思う。敵は保護者じゃない。体制と思考にある。

わたしはやっぱり子育て支援ひろばで、親子共に、楽しく過ごせることを考えたい。だって、我が子のために頑張ってない人なんていない。大変さがあるなら、もっとほっとしてほしい。

子育て支援ひろばのなかで、私たちは保護者の方もお名前で呼ぶ。『母』『父』という肩書き
から○○さんになってほしいからだ。
そして、子ども達の素敵なところをいっぱい母と共有する。のんびりさんもアグレッシブさんも、みんな良いねと伝えていく。

保育士時代、「可愛い」という言葉は安易なので使わなかったが、私は今「可愛い」をよく呟く。「かわいい」は「あなたのこと肯定的にみてますよ。どんな行動も、ステキですよ」というメッセージがこめられていることに気づいたからだ。母になったとき、我が子をかわいいと言われて嬉しかった。我が子が他の人に愛されてるのを感じるのが好きだった。

そして、子育て支援ひろば2年やってきて気づいたことがある。
利用者親子の皆さんになんと助けられていることか。
みんな、あったかい。泣けるくらいに優しい。
ありがたい。その気持ちを忘れずに、来年も過ごしていきたいなと思う。


そして、下らない抱負の方は………
私も推しを作りたい!
思えば、『娘』という推し以外、誰かをずっと応援するということがなかった。コンサートとか、サイン会(作家さん)にも、いったことはあるけれど、追っかけはしない自分。

去年、妹に誘われてNiziUのライブに行ったのをきっかけに、今年は私も推しを作りたいなー!と思っているのだ。
推しって、作りたいと思って出来るものではないのだろうけど。(だから、去年過去のオーディション番組まで全部みて、好きになったと思ってたのにNiziUのメンバー覚えられないのだが……)
まぁ、これも、『私だけのために』私が行動したい。という表れなのかもしれない。

そのために、もう少し緩みと張りを、意識的につけていきたいな。
#note書き初め

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