満たされない心と体、空虚感と沈黙の力、信頼について/笹塚「南蛮茶館」にて☕
一瞬一瞬が
かけがえのない贈り物
先日は病院へ行きました。検査結果がよくないので、急遽、心電図などとり、この日から2科で診察なこともあって、少し疲れてしまいました。
ですが、病院の方たちはとても親切でやさしく接してくださり、こうして丁寧に診てもらえることは本当にありがたいことですね☺️
治療が難しい病気については、やっぱり苦しいと思うことが多くて、ずっと昔からあった空虚感も増すばかり…
私の中のこの空っぽを埋めたくて、不安や満たされない気持ち、退屈やつまらなさを感じている今の状況を変えたくて、刺激を求めては何かで埋めようとする私も、変わらずいます。
痛みを感じる体験をするのは、誰にとってもしょうがないことですよね。
だけど、「痛み」と「苦しみ」は違って、痛みを感じる体験をしたときに、「こんなはずじゃない」「こうあるべきではない」という判断や解釈をするから苦しみが生まれてしまう…
エックハルト・トールのこんな言葉が、今の私に響いています。
人生のどんな状況も·····そこにはどんなに過酷に見えても深く見つめれば「善」があるのですが·····「イエス」と受け入れたなら、沈黙の豊かさに在ることができたなら、どんな一瞬一瞬も奇跡だということがわかります。
朝起きて、まあたらしい二四時間が与えられていること、私が今ここにこうして在るその瞬間は、宇宙が生まれ連綿と継続してきたすべての連なりがあるからで、何ひとつ欠けても、今の呼吸も、足が感じる大地も、喫茶店でおばあさんがめくるスポーツ紙の音も、ありえなかったから·····
前に人が幸せになれない理由について…解釈や価値判断をしてしまうお話も書きました。よろしかったら、見てみてくださいね😊
暗闇に誘われるように…
南蛮茶館へ
病院が終わり、訪ねてみたかった笹塚の「南蛮茶館」へ。
東京の街は明るくなって、暗闇というものが少なくなりましたけれど、昔の日本では暗闇には妖怪が棲んでいたり、異界に通じる穴があったり、また「黄昏時」や「陰翳礼讃」など、暗がりへの意識はかなりあったのではないかと思います。
私はそんなひとり…
妖怪も好きですが、少し暗い落ち着いた喫茶店ですごすのがとても好きです😊
古びた階段をのぼると真鍮のドアノブと暗がりに沈んだ扉…
安らぎに誘われるように扉を開くと、とたん、深い呼吸がもたらされました。冬の日のやさしい光に照らされた南蛮茶館の店内、ここで羽を休められる喜び。。
メニューやサービス、訪れる客たちやマスター、その在り方がとても無理なく自然に調和をしています。
南蛮茶館という宇宙との交歓
いただいたのはクラブハウスサンドとアイスコーヒー。
美しい断面のクラブハウスサンドをじっと見つめていました…(*/ω\*)
店内の絵画、ランプや明かりの仄暗さ、椅子がたてる軋む音、インテリア、マスターと客のやりとり、際立つ味の鋭さがないまろやかなサンドイッチ、卵の茹で加減やベーコンの燻した風味…
マスターは画家でもあるそうですが、調和した南蛮茶館はひとつの宇宙でした。
宇宙…COSMOSといいますが、「調和」という意味です。この日、南蛮茶館という宇宙と響きあうように交歓してすごせたことが本当に嬉しかったです😊
人生の流れが欲しているものを叶えてくれると信頼しよう
氷は自然に溶けて液体になる…
そのように思いますが、熱力学のエントロピー増大の法則とかいうもので(詳しくないのでよくわかりませんが)、氷は自身の力では自然に液体になることはできないそうです。
液体から個体へ、気体から液体へと、エネルギーの高い方からの働きかけがなければ、すべては変化して循環していくことはできない。
だから、高い方からの働きかけがあったから、今目の前のそれは在る…
今この瞬間に起こったことは、すべてが愛なのですね。。
苦しいとき、心も体も痛むとき、自分が変われなくて悲しいとき、どうすればいいかもうわからないと打ちひしがれるとき…
だけど、自分の力では変わることはでかななくて。
それでも、すべてを包含するひとつのいのちの流れ、ライフと呼ばれるものを信頼するのなら、どんなに苦しいと感じる瞬間も贈り物だと思うこともできる。
自分が欲しているものはなんだろう?
無理やりそれを求めるのではなく、人生の流れがおのずとそれを叶えてくれると信頼しよう…
そんなふうに思いながら、喫茶店ですごす今日この頃です。
南蛮茶館の場所などは
こちらからどうぞ🍀
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