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コメントに溢れる物語 /短編エッセイ

高校生の時の記憶がない。
記憶がないというよりかは、思い出さないように封印された。
そう言った方がいいような気がする。

10年経った今も断片的にしか思い出せないけれど
よくやっていた行動をふと思い出した。


高校生の頃、
家庭崩壊の起きていた場所で私は生活していたせいか
眠れない毎日を過ごしていた。

いつのまにか眠れない夜が続くようになってから、
真っ暗な部屋で音楽を聴くことが癖になったのはいつからだろう。

ただ切ない曲や励ますような曲、
生活音から入り離された時だけは、
私は自由だった。

だから音楽を聴いていたのだと思う。

人間を辞めたくなるような毎日であっても
どれだけ辛くても、
優しい曲と、その曲のコメント欄をみれば
生きている実感がしたのだ。


「死」に対して遠回しに優しく寄り添う曲のコメント欄には
様々な人の物語が語られる。
見たことはないだろうか?


知らない人にだからこそ打ち明けられる、
顔も分からないからこそ本音を発散できる。
そんな人達があそこには溢れていた。
現に私もその一人だった。


そんなコメントを読みながら何度泣いただろうか。
何度自分が変わってあげたいと思っただろうか。

あれから10年、
眠れるようになった自分を見て思う。



あの頃の私よ。
コメント欄で未来を望まなかった君は今、
未来をちゃんと生きているよ。と。


今日もまた、多くの人の物語がコメント欄で語られる。
その人たちの未来がどうか
あたたかいものでありますように。

そっと願いを込めて


おやすみなさい。

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