田中さなえ/乳がん治療中

大分県別府市在住の主婦。乳がん治療の経験をもとにした小説を書いています。

田中さなえ/乳がん治療中

大分県別府市在住の主婦。乳がん治療の経験をもとにした小説を書いています。

マガジン

  • 守護霊のりおちゃん

    「まさかわたしが乳がんに?!」 大分県別府市に住む主婦の小百合には、普通の人間にはない能力が備わっていた。特定健診で右乳房に乳がんが見つかった小百合は、摘出手術を受けることに。順調に思えた治療は、とある出来事をきっかけに疑惑を呈し始める… ノベルデイズ(https://novel.daysneo.com/works/1976fb070b46da824b88df1bbebe7f96.html)でも連載中

最近の記事

崇徳天皇への願い文

福岡県朝倉市は、大分県日田市の隣に位置する。山や田畑が広がる、農業のさかんな地域だ。 美奈宜神社は、朝倉市に2つある。寺内の美奈宜神社と、林田の美奈宜神社だ。白峯神社があるのは、林田美奈宜神社のほうである。 白峯神社の祭神である崇徳天皇は、讃岐に流され雲井御所で過ごされた。雲井御所の住所は香川県坂出市“林田”である。同じ林田という地名のつながりで、白峯神社がここに建立されたのかもしれない。 メールで指定された正午よりも、30分ほど早く美奈宜神社に到着した。駐車場に車を停め

    • 死者からの電子メール

      わたしが大阪の実家から別府に帰った翌日。夫を送り出し、洗濯機を回しながら寝室でゴロゴロしていたわたしは、スマホでメールの整理をしていた。 整理とはいっても、ほとんどのメールをアーカイブフォルダに入れるだけなのだが。Gmailアプリを開くと、受信トレイの中身が表示される。着信メール一覧から、アーカイブしたいメールを選んで左にスライドすると、一覧から消えアーカイブフォルダに移動される。 アーカイブフォルダは、分かりやすくいうと「それほど重要ではないメールをとりあえずまとめてお

      • 當麻寺、小宇宙を旅して

        當麻寺は612年、聖徳太子の弟・麻呂子親王によって創建された。681年に孫の當麻国見が現在の場所に遷造し、豪族當麻氏の氏寺となった。現存する天平建築で、東・西に二基の三重塔が残っているのはここだけである。金堂・講堂は鎌倉時代の再建だが、白鳳(奈良時代)建築を今に伝える重要な建造物だ。 「當麻寺は中将姫の伝説が残っているんや」 車の中で母が教えてくれた。でも“中将姫”って言われても、ほとんど人はピンとこないと思う。わたしもこの日まで中将姫を知らなかった。幼少期に當麻寺に来た記

        • おじいちゃんはイケメン

          その日の夜。亡くなった祖父がわたしの夢に現れた。夢枕に立った祖父は黒髪で、まだ若かった。 「おじいちゃん!」 わたしの呼びかけに答えるように、祖父は微笑んだ。 若いころの祖父は、俳優並みの二枚目だった。わたしが物心ついたころには、白髪で禿げ頭になっていたが、それもダンディでかっこよかった。 祖父が若いころの写真を見るたび、わたしは惚れ惚れしてしまう。おじいちゃんみたいな人が身近にいたら、絶対好きになっちゃうだろう。 わたしが晩婚だったのは、祖父の存在も一因だったと思う。

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        • 守護霊のりおちゃん
          39本

        記事

          結びの宮

          那智勝浦ICで一般道に降りると、わたしは県道43号(那智山勝浦線)を那智山に向かって進んだ。空がすでに薄暗い。アクセルを踏む足に力が入る。 わたしの愛車は貨物用の軽バンだ。温泉めぐりが趣味だったわたしは、独身時代に日本各地の温泉をめぐっていた。車中泊に便利だろうと思い、軽バンを選んだのだ。 貨物車は乗り心地がよくない。エンジン音もうるさい。高速道路ではカーオーディオが聴こえないほどだ。長距離移動は乗用車のほうが楽である。今回の帰省は、夫のダイハツ・ムーブを借りてきた。

          神の山・あの世の入口

          わたしは那智の滝に向かう前に、熊野本宮にもお参りして行くことにした。富田川沿いの国道は、ソメイヨシノが満開だ。 熊野本宮大社は熊野三山のひとつだ。そして全国におよそ3000社ある熊野神社の総本宮である。 熊野信仰の中核をなす3つの神社を、熊野三山と呼ぶ。 ・本宮=熊野本宮大社 ・新宮=熊野速玉大社 ・那智の滝=熊野那智大社 熊野三山は、それぞれ個別の自然崇拝を持っていたが、密教や修験道と結びつけられ、同一の神を祀るようになった。神道の神様は目に見えない。神が仏の姿を借り

          神の山・あの世の入口

          おじいちゃんの墓参り

          大阪府太子町は、わたしの実家から車で小一時間の距離にある。二上山の山頂を境に、奈良県香芝市と隣接している。太子町にある叡福寺というお寺が、わが家の菩提寺だ。 墓参りに行く前に、わたしはスーパーで仏花を買った。 仏花は地方により備え方が異なる。関西では「関西仏花」と呼ばれるスタイルが主流だ。下草(ヒサカキ)を背当てにし、青、白、黄、赤の花が縦にならぶ。関東でサカキと呼ばれている植物が、関西のヒサカキ(非榊)である。 「“墓前用”と書いてある花を買わんとあかんで」 母がそう

          おじいちゃんの墓参り

          認知症 or 天然ボケ 

          帰省した日の翌朝。わたしは実家の隣家に住む祖母のところにあいさつに行った。祖母の家は二世帯住宅だ。姉の家族が同居している。祖母はリビングダイニングのソファに座ってテレビを見ていた。 「おばあちゃん!おはよう!」 引き戸を開けて、祖母に声をかけた。ハッとした表情で祖母はわたしの方を見た。そして力なく言った。 「ああ…、おはよう」 祖母は今年94歳だ。わたしが会うたびに祖母は背中が曲がり、体も小さくなっていく。若いころは165センチあった祖母の身長が、今は150ぐらいしかない。

          認知症 or 天然ボケ 

          抗うつ薬ってキレイになるの?

          「いやぁ~!いいやんその髪型」 姉の甲高い声が、勝手口から響いた。わたしは実家のダイニングで母と夕飯を食べていた。姉と顔を合わせるのは約一年ぶりである。 「お母さんも思っててん。雰囲気が柔らかくなったような。顔も前と違うわ」 勝手口から上がってきた姉はダイニングチェアに腰掛け、わたしの顔を覗き込んだ。 「アンタ、なんかキレイになったな。それも抗うつ薬の力なん?」 わたしは面食らった。人からそんなことを言われたのは初めてだったのだ。しかしわたしも実を言うと、鏡に映る自分の顔が

          抗うつ薬ってキレイになるの?

          のつはる寿司ドライブ

          ホルモン治療が始まってから4ヶ月が経つ。わたしは元気を取り戻しつつあった。抗うつ薬のパロキセチンが効いてきたのだろう。沈み込む日もだんだん少なくなっていた。 天気のよい日、わたしは車でよく野津原へ行く。野津原は、わさだタウンの南西の山間部に位置する。以前は“野津原町”だったが、2005年に大分市に編入された。「道の駅のつはる」で買い物をして帰るのが、わたしの定番ドライブコースだ。 道の駅のつはるは比較的新しい道の駅である。2019年、七瀬ダムの湖畔にオープンした。道の駅で

          のつはる寿司ドライブ

          恐怖!迫りくる老化現象

          大谷先生への手紙を、わたしは改めて読み返した。 いろいろあった後なので、「読みたくないなぁ」と先生に思わせないよう苦心した。冒頭に「果たし状でも来たか」とぶち込んだのは、クスっと笑ってリラックスして欲しかったからだった。 先生の笑顔にわたし弱いんです。私は先生の言うことならなんでも聞きます、御しやすい女です。 冒頭、文中、文末で繰り返しそのことを伝えた。手紙全体から、先生への好意をほんのりにじませることに心を配った。先生は仕事で女性ばかりを相手にしている。患者から告白され

          恐怖!迫りくる老化現象

          大谷先生への手紙

          2024年3月11日 国立別府病院 乳腺外科 大谷先生 菊池小百合 前略 先生は今、患者からの郵便物にしては大きすぎる茶封筒を手に「果たし状でも来たか」と恐れおののいておられるかもしれません。 先日、注射の跡にできたアザの診察をしていただき、ニッコニコの先生のお顔(私にはそのように見えました)を拝見した私は、例の件はもう終了でいいな、という気持ちになりました。この手紙は、先生に「謝罪しろ」「説明しろ」と要求するものではないことを、最初に申し上げておきます。 この手紙は他

          鈴木さんを締め出したい!

          「うっっわ、なんこれ?」 わたしは思わず大声をあげた。下腹部の左側に巨大なアザができていたのだ。アザの大きさは直径10センチぐらいあろうか。皮下には大きなしこりができている。 前回の診察から、3日が経過していた。診察のとき、3ヶ月に一度のリュープリン注射を打った。リュープリンは上腕部、腹部、臀部のいずれかの皮下に注射する。別府病院では下腹部に注射することになっていた。 皮下に入った薬剤は、身体から異物と認識され、周りに肉芽腫(にくげしゅ)が形成される。これがしこりの正体だ

          鈴木さんを締め出したい!

          のりおちゃんの幻視

          診察室の扉を開けたわたしに視線をやり、大谷先生はぎょっとしたように目を見開いた。髪型を話題にすることさえセクハラになるご時世である。先生はわたしのツーブロックには触れず、鈴木さんに会釈した。 令和6年2月29日。院長先生にわたしが手紙を出してから、最初の診察の日である。鈴木さんをともなって診察室に入ったわたしは、鈴木さんと並んで椅子に腰を掛けた。 (先生はこういう髪型の女、苦手でしょうね) 今回のトラブルがなかったとしても、わたしと先生が男女の関係になるようなことはあり

          三歳の軍神

          大分県中津市は、県の北端に位置する中核都市である。わたしは中津市にある「薦(こも)神社」を訪れていた。 薦神社は別名「大貞八幡宮」とも呼ばれている。八幡宮は日本でもっとも多い神社だ。その数は4万社以上とも言われる。「身近に八幡宮がない」という日本人を探す方が難しいだろう。別府病院の近くにある竈門神社も八幡宮だ。 我々にとって身近な八幡様だが、どんな神様なのかわたしはよく知らない。調べても分からないのだ。世の中的にも結論はおそらく出ていないと思う。 大分県には、八幡宮の総

          吉田先生に助けられた話

          その日の夜。夕食の洗い物を済ませたわたしは、ダイニングでひとり椅子に腰掛けていた。焼酎の炭酸割りを飲みながら、鈴木さんの電話の内容を反芻する。大谷先生があの時、何を思っていたのか。聞き取りからは全く伝わってこない。しかし、鈴木さんの言い草を頭の中でまとめると、こんな結論になってしまうのだ。 「おとなしそうなわたしがやり返してくると大谷先生は思っていなかった。正面からクレームで殴り返され、保身のために大谷先生はとっさにそれっぽい言い訳を返した」 わたしの処遇を迷うあまり、大

          吉田先生に助けられた話