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結びの宮

那智勝浦ICで一般道に降りると、わたしは県道43号(那智山勝浦線)を那智山に向かって進んだ。空がすでに薄暗い。アクセルを踏む足に力が入る。

わたしの愛車は貨物用の軽バンだ。温泉めぐりが趣味だったわたしは、独身時代に日本各地の温泉をめぐっていた。車中泊に便利だろうと思い、軽バンを選んだのだ。

貨物車は乗り心地がよくない。エンジン音もうるさい。高速道路ではカーオーディオが聴こえないほどだ。長距離移動は乗用車のほうが楽である。今回の帰省は、夫のダイハツ・ムーブを借りてきた。

普段、わたしがムーブに乗るときは夫が運転してくれる。だから今回の帰省で、わたしはほぼ初めてムーブをまともに運転した。15年落ちの中古車だ。でも、高速道路でちょっと踏めば100キロぐらい出るし、山道では小回りが効く。貨物用からムーブに乗り換えると、自分のドライビングテクニックが向上したような錯覚を覚える。

(これは危険なやつやで…)

バイク便時代、スズキのアドレスVに事故が多かったことを思い出した。車体価格や維持費の安さが、事故率の母数を上げていたと思う。エンジンがパワフル、かつ車体が小さいところも、アドレスVとムーブはよく似ている。
「どこまで踏み込みながらカーブを曲がりきるか」
そんなチキンレースに挑戦したくなる気持ちを、わたしはグッとこらえた。

那智の滝へむかう途中、通り沿いに「黒あめ 那智黒」と書かれた黄色い看板が立っていた。
「うぉ~!懐かしいやんけ~!」
思わず声が出る。

那智黒を知らない関西人はほとんどいないだろう。和歌山土産の定番中の定番である。仙台の「萩の月」、福岡の「博多通りもん」、北海道の「白い恋人」、そして和歌山の「那智黒」である。

・・・しかし、和歌山県は全国的にみるとマイナーな県だ。わたしは東京に進学するまでそのことを知らなかった。関西人にとって和歌山県は、白浜温泉・アドベンチャーワールド・高野山・那智の滝などを有する一大観光地だ。東京で例えるなら、千葉と北関東を足したような存在である。東京で那智黒の知名度がほぼゼロなことに、わたしは衝撃を受けた。

えっ?じゃあキン肉マンに出てくるナチグロンのことは、みんなどう思っているの?ミート君の友達のナチグロン。そういえば、ゆでたまごの二人も大阪出身だ。

和歌山県のお土産がなぜ黒あめなのか。それは那智が黒石の産地だからである。今も碁石の99%は那智黒石らしい。かつては那智黒石でできた碁石やすずりが、お土産として珍重されていた。那智黒石を模した銘菓が“那智黒”なのだ。

大阪を離れてから食べてないな、那智黒。久しぶりに食べたいな。そんなことを考えているうちに、熊野那智大社に到着した。

熊野那智大社は、県道を挟んで山側と谷側に社がある。山側には熊野那智大社・三重塔・青岸渡寺がある。谷側は那智の滝と、滝を祀った「飛瀧神社」だ。時計は16時30分を過ぎていた。閉山は17時。山側に詣でる時間はない。

那智の滝は、華厳の滝・袋田の滝とならび“日本三名瀑”に数えられる。落ち口の幅13m、滝壺までの落差は133m。一段の滝としては日本一の落差をほこる。そそり立つ断崖絶壁を切り裂くように流れ落ちる光景は圧巻だ。

飛瀧神社は那智の滝を御神体としている。だから社がない。そういえば、大分の薦神社も池が御神体だった。
日本におわす神々は、かくも多様な形をしていらっしゃるのか。滝に向かい手を合わせていると、自分の悩みなどささいなことのように思えてくる。
(神様がおられる…)
滝の音に心が震えた。

御朱印をもらって、とんぼ返りだ。熊野はさすがに遠すぎた。落ち着いてまた参拝したい。帰り際、滝に向かってわたしはふたたび手を合わせた。

駐車場近くの土産物屋が開いていたので、わたしは那智黒を買った。オレンジ色の缶に入ったやつである。

・モロゾフアルカディアの缶
・モロゾフのプリンカップ
・丸太町かわみちやの蕎麦ぼうろの缶

那智黒の缶は、これらに比べると「関西の家庭には必ずある」というほどメジャーではないかもしれない。でもわたしが子供のころは、年寄りの家にはよくあった。風邪をひくと、はちみつや生姜湯のような感じで那智黒が出てきたものだ。帰り道の車内でわたしは那智黒をなめながら、そんなことを思い出していた。

熊野那智大社の授与所で、わたしは絵馬も買った。でもそれを奉納せず持ち帰った。かわいいので自宅に飾ることにしたのだ。絵馬には丸々と太った八咫烏が描かれている。グッズ化してほしい。

絵馬の中央には「結びの宮」と書かれていた。熊野那智大社には「結びの宮」という別名がある。主祭神の「熊野夫須美(ふすみ)大神」の”ふすみ”に、結ぶという意味があるのだ。熊野那智大社は、縁結びの神社としても知られている。

ちょっと前ならわたしも「先生と結ばれますように」と絵馬に書いて納めていただろう。気持ちに変化が生じ始めていた。

温泉好きが高じて20年以上暮らした東京から別府に移住しました。九州の温泉をもっと発掘したいと思っています。応援よろしくお願いします。