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大谷先生への手紙

2024年3月11日
国立別府病院 乳腺外科
大谷先生
菊池小百合

前略 先生は今、患者からの郵便物にしては大きすぎる茶封筒を手に「果たし状でも来たか」と恐れおののいておられるかもしれません。

先日、注射の跡にできたアザの診察をしていただき、ニッコニコの先生のお顔(私にはそのように見えました)を拝見した私は、例の件はもう終了でいいな、という気持ちになりました。この手紙は、先生に「謝罪しろ」「説明しろ」と要求するものではないことを、最初に申し上げておきます。

この手紙は他の方々とは共有せず、先生の手元にとどめていただきたいというのが私の希望です。しかし先生が必要と感じた場合は、その限りではございません。その時この手紙をどうするかは、先生にお任せしたいと思います。

今回、このお手紙を差し上げた理由は主に以下の2つです。
1. 私が先生とトラブルになったと感じている1月4日から、次の診察日の2月29日までの間に、私の身に起こった出来事をご報告したいと思ったため
2. 鈴木さんが間に入ったことで、すべてのやり取りが伝言ゲームのようになってしまい、自分の思いが正確にお伝えできていないと感じたため

先生にとって私は、大勢いる患者のひとりに過ぎず、私に割くことができる時間はわずかだと理解しています。別府病院のような大きな病院では、医療メディエーターの存在も重要だと思います。
しかし、鈴木さんが電話で報告して下さった先生への聞き取りの内容は、私には物足りないと言わざるをえません。とても悪い言い方ですが「一応聞きました」という風に私には感じられたのです。
先にお断りしたとおり、そのことで病院や鈴木さんを責める意図は私にはございません。第三者を介すると、話の輪郭はこれほどまでにぼやけてしまうのかと思ったのです。それはもう、違う言葉といっていいぐらいに。

蒸し返すようですが、1月4日の出来事について、納得できる説明を私はいまだに得られておりません。でも、それはもういいと思っています。機嫌が良さそうな先生のお顔を拝見したら、この件はもう終わりなのだと納得がいったのです。それに、私が別府病院に通院している理由は、自分の病気の治療のはずです。先生を追及することにこだわるのはおかしいと思いました。

この手紙は、私の身に起こった出来事を時系列順に書き連ねただけのものです。「そんなことがあったんだね」程度で読んで頂ければと思います。

【1月17日】
長くなってしまったので、要点から先に申し上げます。私は山本乳腺外科の山本先生に、先生のことで相談に乗っていただきました。別府病院の院長宛に手紙を出したのは、山本先生からのアドバイスによるものです。

1月4日の診察から、私は悶々とした日々を送っていました。大谷先生がなぜ突然不機嫌になり、約束を反故にして転院の日を勝手に決めたのか。いくら考えても私にはその理由が分かりませんでした。
長い間悩んだ末に、私は山本乳腺外科の山本先生に助けを求めることにしました。先生は山本先生とお知り合いだと聞いています。その点でも話が早いと思いました。

着地点が「山本乳腺外科に転院しないこと」という、失礼極まりない相談内容にも関わらず、山本先生は嫌な顔ひとつ見せないで一時間近く私の相手をして下さいました。

私の話を一通り聞いた山本先生は、私に「大谷先生とちゃんと話し合いなさい」とおっしゃいました。山本先生は先生とは違う人格です。先生が何を考えているかなんて、山本先生に分かるわけがありません。

私もあきらめずに食い下がりました。
「話し合えといったって、次に先生と顔を合わせた時、私は転院させられることになっています。それじゃ遅いんです」
山本先生は「う~ん、次の診察までに先生と話ができたらいいんだけど…。電話は無理かもしれないから、先生にお手紙でも書いてみたらどうかな?国立別府病院/乳腺外科/大谷先生で届くから」と提案してくださいました。

今になって思えば、この案が最適解でした。私にとって手紙とは、用件を間違いなく伝えるためのツールでしかありませんでした。気持ちを乗せるという発想がなかったのです。
私はこの度、人生で初めて長文のお手紙を作成し、感情の出力がテキストでもスムーズにできるなら、院長や鈴木さんを巻き込んで大騒ぎしなくてもよかったな…と思いました。私よりはるかに病院に詳しい山本先生が「先生に手紙を書くのがいい」と最初におっしゃったのだから、何も考えず従ったらよかった。

でも私は、手紙を書けと山本先生に言われ「なんで私がそんなことせなあかんの?」と思っていました。山本先生は「コイツは平和的に問題を解決する気がないな」と察したのか、次に出して下さった案が
・院長に直訴
です。

ご存知のように、山本先生は温研(*九州帝国大学温泉治療学研究所=九大病院別府病院の前身機関、別府で九大病院はこの名称で呼ばれている)の先生だったので、温研での効果的なクレームの提出方法を教えて下さいました。

《温研でクレームを効果的に提出する方法》
・温研には「投書箱」がある
・投書箱のカギは院長と医局長しか持っていない
・投書箱に投函した手紙は必然的に院長の目に触れる
・投書が医者に対する苦情であれば、医者は院長に呼び出されて詰問される

上記の理由により、「投書箱に投稿すること」が医者に一番効くクレームの方法だそうです。山本先生はその場で、別府病院にも投書箱があるか調べてくださいました。病院のホームページには投書箱の記載がなかったので、「相談窓口」に提出するのがいいだろう、とのことでした。

でも山本先生はこうもおっしゃいました。
「相談窓口の担当者に『こんなことがあったから何とかしてほしい』なんて話しても絶対うまく行かないよ。」
理由は以下のような感じでした。

①たとえば、看護師同士のいざこざを現場の人間で解決しようとしても、上手くいったためしがない
②先生と相談窓口の担当者は、病院内のヒエラルキーでは同じ階層にいる。同じ現場で働いているといってもよい
③現場で働いている人間に、今いる現場の問題を解決する力はない
④今いるフィールドは飛び越えろ!院長に直でいけ!

私がまずやることは、言いたいことをまとめて手紙にすること。それを相談窓口に持って行き「院長に渡してほしい」と窓口の担当者に渡してくること。山本先生はそうおっしゃいました。
私は内心「大ごとになってしまった」と感じました。でも無理を言って山本先生に相談に乗っていただいた手前、あれも嫌これも嫌というわけにはいきません。それに、山本先生がおっしゃった次の言葉が、「院長に直訴」案を採用する決め手になりました。

「もし手紙が院長のもとに渡っていかなかったり、問題が解決されなかったり、あなたが望んだのと違う方向に話が進んだりすることがあれば、その病院は組織として腐っている。」

私の理想は、「転院するのをやめます」「1月4日、先生の態度は酷かった。私は傷つきました」これらの話が先生にできて、丸くおさまることでした。でも、そうならなかったとしたら、この病院は私にとって転院したほうがいい病院ということになります。私の希望が叶わなければ、予定通り山本先生のところに転院すればいいのです。どう転んでも、私にマイナスになる要素はありません。

私は度々「手紙を必ず院長に渡してほしい」「院長に手紙を渡していただけたのか」と、相談窓口の人や鈴木さんに確認していました。それは先生のことを院長に告げ口してどうにかしたいと思ったからではありません。私が別府病院に留まるべきか他に移るべきか判断する基準にしていたのです。

私は山本先生に、院長に直訴する方法で行くとお伝えし、診察は終了しました。山本先生は「絶対けんか腰にならないように」とおっしゃいました。

【1月18日】
山本先生からのアドバイスをもとに、院長にあてた手紙を作成しました。実を申しますと、手紙の内容についても山本先生から「こんな感じでいけ」と指示がありました。

・「私はこの病院に通院したいだけで争う気はない」と明記すること
・一連の出来事の顛末を時系列で分かりやすくまとめること

文章は私が考えました。皮膚科を登場させるとややこしくなる気がしたので割愛しましたが、事実と異なってしまったのでまずかったかもしれません。でも、だいたいの流れは同じだからOK!もう知らん!と開き直って、手紙を封筒に入れて相談窓口の人に手渡しました。

「確実に院長に渡したいから、郵便にしようか迷っている」と窓口で言うと、担当者はポカンとしていました。院長に手渡すだけなら必ず渡しますと言って下さったので、窓口の人に手紙を託して帰りました。

【1月24日】
医療メディエーターの鈴木さんから、私の携帯電話にお電話をいただきました。私の手紙をご覧になり、不快な思いをさせて申し訳ありません、と謝罪の言葉をいただきました。
先生には鈴木さんが聞き取りを行ったと伺いました。聞き取りの内容を要約すると以下のような感じだったと思います。

① 先生は、私を転院させるのはまだ早いと感じていた
② でも私の希望は叶えてあげたかった
③ 私に転院を迷っている様子が見られた
④ ①~③の要因により葛藤や焦りがあった。そのせいで怒っているように見えてしまったかもしれない

「なんやその矛盾した言い訳は」と私は思いました。①と②はまだ分かります。じゃあ③は何?私に転院を迷っている様子があることに先生は気が付いておられたのですよね?先生としても、私を転院させるのはまだ早いと思っていた。だったら「転院はもう少し先にしましょうね」でチャンチャンではないですか?どうして私の気持ちを無視してまで、転院を急いだの?(※私がその時そう思ったという話です。先生に釈明を求めるものではありません)

頭のいい先生が、こんな支離滅裂な説明をするわけがない。きっと何かあったに違いない。私は鈴木さんの話を聞いて、こう思ってしまったのです。

「先生は私のいないところで、保身のために事実とは違う言い訳をした。」

怒っているように見えたかもしれない、なんてよう言うわ。どっからどう見ても怒ってたやろが!!問い詰められてとっさにそれっぽい言い訳をしただけとちゃうんか? と。

「絶対けんか腰にならないように」という山本先生の言葉を、私は心の中で反芻しました。「私は元の先生に戻ってくれたらそれ以上望むことはありません。次の診察では普通にしていてほしいと先生にお伝えください」私はそう鈴木さんに言いました。

それは本心から出た言葉です。でも、飲み込んだ言葉が多すぎて、行き場を無くした感情が、その日の夜に大爆発してしまいました。

後になって思ったのですが、先生は鈴木さんから聞き取りを受けた時、理路整然とした答えを返したのでしょう。鈴木さんも先生から聞いた通り私に話したつもりだったのかもしれません。でも先生の言葉は筋の通らない言い訳として私に伝わりました。
山本先生が最初に「先生に直接手紙を書け」とおっしゃった理由が、最近になってようやく理解できました。第三者を間に介してはいけなかったのだと。それが院長や医療メディエーターであったとしても。

「現場で働いている人間に、自分の現場の問題を解決する力はない」とおっしゃった意味も痛感したのでした。

【1月25日】
電話から一晩経ち「こんなことで情緒不安定になっている自分もおかしいな?」と感じた私は、朝イチでかかりつけの内科に行きました。
私が通っている内科は、別府市内にある吉田内科医院です。吉田先生は漢方薬が専門で、必要に応じて西洋薬も処方してくださいます。心療内科や精神科ではありませんが、漢方薬の性質上、更年期やうつなども得意分野の先生です。私が吉田先生のところに通い始めたきっかけも、不定愁訴が何年も続いていたからでした。

私のホルモン治療が始まってから、吉田先生は「菊池さんはうつの治療をしっかりやった方がいいかもしれない」とおっしゃっていましたが、向精神薬に抵抗があった私の意向を尊重して、漢方薬で何とかしようとして下さっていました。

本格的にうつの治療を開始してほしいと申し出た私に、吉田先生は”パロキセチン”という抗うつ剤を処方してくださいました。私にはバッチリ合っていたみたいで、心配していた副作用は全くありませんでした。

私には乳がんが発覚するずっと前からうつ症状があったのだと思います。抗うつ剤を飲み始めてから、アルコールを一滴も欲さなくなったのには衝撃を受けました。

「あんたの最期は中島らもみたいな感じやと思う」

自分の親からそんなことを言われるぐらい、私は筋金入りの大酒飲みでした。抗うつ剤を飲み始めてから、誰に言われるでもなく自然と飲まなくなり一か月半が経とうとしています。

成人してからこの年になるまで、焼酎で換算すると3合以上の量を毎日飲むのが習慣になっていました。学生時代は、朝起きると酔っぱらった自分が書き上げたレポートが机の上にきれいに並べて置いてある、なんてこともよくありました。飲酒している時は頭が冴えて調子がよく、飲んでいる自分が本物の自分とさえ思っていました。飲まなくなってみれば、全然そんなことはなかったのだけれど。ひょっとして私、30年近くほんのりうつ状態で生きてきたのかな…

私はそもそもそういう奴です。だから、タモキシフェンの影響はうつの根本的な原因ではないと思っています。拍車はかけたかもしれませんが。
お酒を飲まなくなったこともあり、体調はすこぶる良いです。感情の波はたまにあります。それも薬で落ち着いてくるでしょう。こんな形でアルコールから卒業できるなんて。人生、何があるか分かりません。
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今回の件で、スッキリしなかったこともあります。鈴木さんの私への対応についてです。面倒くさい奴だと思われるかもしれませんが、鈴木さんは問題解決を目指しているというよりも、私のご機嫌を取っているだけに見えました。上手くはぐらかされ、最後まで私の望む答えを探ろうとはして下さらなかった。これ以上この件を追及することに意味を感じられなくなり、身を引くことにしたのです。それが病院側の狙いだったのかもしれませんが。

2月29日の診察の時、先生はクレームの手紙なんて全く知らないような顔で淡々としておられました。同席しておられた鈴木さんが見張っているようで、私は気味が悪かったです。

幸い私には、自分の頭が正常ではないかもしれないと思えるぐらいの冷静さが、まだ残されています。今はあれこれ考えても、ろくな答えが出ないでしょう。「鈴木さんにムカつき始めたらメンタルの黄色信号」と思いながらこの手紙を書いています。

本当は2月29日の診察の時、先生と少しは話をしたかったです。「院長宛の手紙見たよ、そんなつもりじゃなかったんだけどな」くらいはあるのかな?と思っていました。マジで何もないなんて!(※次の診察で何か言えという意味ではありません。本当に本当に、この手紙についてもノーコメントで結構です。どないせえ言うねん!って感じですよね。天邪鬼で申し訳ありません。)

そんな気持ちも、ニッコニコの先生にお会いしたら「ま、いっか~」となっちまいました。単純なんです。
先生に話したかったことも、この手紙にだいたい書けました。最近、定年後のおじいちゃんみたいな生活をしているので、自分のことを誰かに話したい欲求が抑えられない自分がいます。それもこの手紙で昇華できました。
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報告は以上です。長々とお時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした。
最期に一言。

先生も人間なので、いつもニコニコしていろとは言いません。でも1月4日みたいなことは本当にもうやめて下さい。頻繁に先生とお顔を合わせる間柄なら「今日は機嫌が悪いな」で済みますが、私にあれをやられると、次にお会いできるのは何か月も先になります。その間先生がどんな様子か私には確認することもできません。

本当に苦しかった。

あの気持ちをもう一度味わうのは嫌です。どうかよろしくお願い申し上げます。
草々

温泉好きが高じて20年以上暮らした東京から別府に移住しました。九州の温泉をもっと発掘したいと思っています。応援よろしくお願いします。