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おじいちゃんはイケメン

その日の夜。亡くなった祖父がわたしの夢に現れた。夢枕に立った祖父は黒髪で、まだ若かった。

「おじいちゃん!」

わたしの呼びかけに答えるように、祖父は微笑んだ。

若いころの祖父は、俳優並みの二枚目だった。わたしが物心ついたころには、白髪で禿げ頭になっていたが、それもダンディでかっこよかった。
祖父が若いころの写真を見るたび、わたしは惚れ惚れしてしまう。おじいちゃんみたいな人が身近にいたら、絶対好きになっちゃうだろう。
わたしが晩婚だったのは、祖父の存在も一因だったと思う。身内が素敵だと、異性への要求が高くなりすぎてしまうのだ。

もし祖父が現代に生まれていたら、芸能事務所にスカウトされていたかもしれない。無口で控えめな性格の祖父に、芸能人は向いていないと思うが。
「俳優の加藤剛に似ている」と母は言っていた。わたしは伊藤英明に似ていると思う。

祖父は頭もとても良かった。戦時中は幹部候補生だったらしい。戦地に赴く前に祖父は終戦を迎えた。だから、同年代の人たちにくらべ戦争の悲惨な体験をあまりしていない。と、祖母が話していた。

戦後、大手の造船会社に祖父は就職した。語学の能力を買われ、海外に進出した造船所の管理を主に任されていた。東南アジアや中東、アフリカなどが主な赴任先である。かつて列強諸国の支配下にあった国々だ。だから祖父は英語・フランス語・スペイン語などは一通り話せるし、読み書きもできる。アラビア語も勉強していたようだ。辞書が実家に何冊かある。

かっこよくて頭がよくて優しくて。自慢のおじいちゃんだった。

夢の中で祖父は、そっとわたしを抱きしめてくれた。祖父の身体は冷たくて、線香の香りがした。わたしの耳元で祖父はささやいた。

「シラミネサンに上ってくる…」

夢心地でわたしはその言葉を聞いていた。シラミネサン?どこかの山だろうか。聞いた覚えはないが。

しばらくの間、祖父はわたしを抱きしめていてくれた。そして、蝶結びがほどけるようにするっと身体がはなれた。
(おじいちゃん、待って!)
声が出ない。追いかけようとしても、全く前に進まないのだ。もがいているうちに、身体がビクンと大きく痙攣し、目が覚めた。実家の布団の中だった。
「…シラミネサン」
わたしは布団の中でつぶやいた。

翌朝、わたしは母を花見に誘った。
「おばあちゃんから目が離されへん。遊びにも行かれへん」
祖父が亡くなってから、母はそうぼやく。しかし祖父が亡くなったころ、祖母はまだしっかりしていた。「目が離せない」というほど酷い状態になったのは、ここ一年ぐらいだ。

わたしは結婚した時、母に「別府に遊びにおいで」と誘った。しかし祖母の介護を理由に断られた。たぶん母は、祖母の世話を焼きたいのだ。それならそう言えばいい。しかし母は、「不本意ながらやってあげている」という言い方しかできない。

「母は私の反面教師として存在しているのかもしれない」
わたしはときどきそう思う。昔から母は、家族のために世話を焼いてくれていた。感謝こそすれ、非難される要素なんてない。しかし「そんな言い方するならしてくれんでええわ」と思ってしまうような一言を、母はかならず付け加えてしまうのだ。

わたしと姉が大人になり、祖父が死んで祖母が弱ってくると、母のねじれた愛情の矛先は祖母に向かった。祖母に対する母の態度を見ていると、わたしは子供の頃を思い出す。私たちも小さいころ、こんな風にされていたんだな、と思う。

「おばあちゃんがデイサービスに行ってる間、お花見に行けへん?熊野も桜がキレイやったんよ。お母さんも連れてきたらよかったなって思っててん」
わたしはがそう言うと、母は珍しくわたしの誘いに乗った。

熊野はさすがに遠すぎるので、今日の目的地は奈良県の當麻寺(たいまでら)にした。実家からは車で1時間ぐらいの距離である。

當麻寺は、二上山の山麓に位置している。わたしは保育園のころ、遠足で二上山に上ったことがあった。幼児の足でも楽に登れる山だった。そんな身近な二上山が、万葉集に何度も描かれた聖なる山だなんて!

折口信夫の「死者の書」を読んでいたとき。二上山が出てきて、わたしは「うちの地元の山やねんで!」と自慢したい気持ちにかられた。だが、死者の書を読んでいそうな人がそもそも周りにいなかった。

二上山はサヌカイトの採掘地でもある。サヌカイトは石器などの材料になった。高松塚古墳や石舞台古墳で用いられた石材は、二上山でとれたものらしい。

二上山登山口の近くを通過した。小学校の先生だった母は、わたしぐらいの年齢の頃も、子供たちと一緒に山を歩いたり体育の授業で運動したりしていた。
「超人やな…」
わたしが言うと、母が毒づいた。
「あんたも鍛えな、歳とってからたいへんやで」

おっしゃる通りでございます。昔に比べわたしはかなりスリムになった。しかし食事制限だけで瘦せたので、肉がたるんでいる。姿勢も悪い。ある程度までは簡単に痩せたが、最近は停滞期だ。これからは運動で引き締める必要があるだろう。

そんなことを母と話しているうちに、當麻寺に到着した。門前の枝垂桜が満開だ。絶好のお花見日和である。平日なので、人はまばらだった。

温泉好きが高じて20年以上暮らした東京から別府に移住しました。九州の温泉をもっと発掘したいと思っています。応援よろしくお願いします。