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抗うつ薬ってキレイになるの?

「いやぁ~!いいやんその髪型」
姉の甲高い声が、勝手口から響いた。わたしは実家のダイニングで母と夕飯を食べていた。姉と顔を合わせるのは約一年ぶりである。
「お母さんも思っててん。雰囲気が柔らかくなったような。顔も前と違うわ」
勝手口から上がってきた姉はダイニングチェアに腰掛け、わたしの顔を覗き込んだ。
「アンタ、なんかキレイになったな。それも抗うつ薬の力なん?」

わたしは面食らった。人からそんなことを言われたのは初めてだったのだ。しかしわたしも実を言うと、鏡に映る自分の顔が以前と変わったような気がしていた。
「たぶん…」
わたしがそう返事をすると、姉は口を尖らせた。
「え~、いいなぁ。私も病院で抗うつ薬出してもらおうかな」

姉も酒飲みである。わたしは酒が強い母方の血を引いたが、姉は下戸の体質だ。父親が呑めない人だったらしい。血液検査で再検査の項目が姉にはたくさんある。「これ以上飲んだら命の保証はしない」と医者から言われ、がんばってアルコールを我慢している。
わたしが抗うつ薬で酒をやめたと聞き、姉は医師に聞いたらしい。
「お酒をやめられる薬ってないんですか?」
あるにはあるけど、副作用がけっこう強いからね~、と言われたそうだ。
「抗うつ薬を飲むのもひとつの手やと思うよ」
わたしは姉にそう答えた。

わたしの姉は、オタクの妄想に登場する“ポジティブなギャル”そのままのような性格だ。今はもう50代のオバチャンだが、若いころは本当にそんな感じだった。明るくて面白くて、暗い雰囲気の場を盛り上げるのが得意である。嫌なことがあってもくよくよしない。社交的だ。友達はたくさんいる。

姉もキッチンドリンカーだ。夕食の準備をしている時が一番飲みたくなるとぼやいていた。わたしも飲んでいたころはキッチンドリンカーだった。「お酒を飲みながらじゃないと家事をするのがきつかった」のだ。今になってそう思う。

姉と違い、わたしは友達が少ない。性格も目立たずおとなしい。誰かと一緒にいるより、一人でぼんやりするのが好きだ。しかし、周りの人は一様にこう言う。
「鬱なの?そんな風に見えないね」

世間的な鬱のテンプレートはこうだろう。
・気分の落ち込み
・意欲低下
・眠れない
・食欲がない

わたしは食欲旺盛で体形はぽっちゃりだ。夜も10時間ぐらい寝るし、遊びに行ったらそれなりに楽しい。性格はおとなしいが、暗いと言われたことはなかった。自分でも、鬱だとは思っていなかった。しかし、抗うつ薬が効いたのだ。姉だって鬱で体がしんどいだけなのかもしれない。

母がすかさずツッコミを入れた。
「アンタは鬱とちゃうわ」
姉も「やっぱり?」と言って笑った。

姉がわたしに尋ねた。
「どうやって帰って来たん?」
わたしはこの日の朝2時に別府を出た。スオーナダフェリーに乗るためである。スオーナダフェリーは、大分県国東市の竹田津港と、山口県徳山市の徳山港を結ぶカーフェリーだ。一日5便が運航している。竹田津港から出るいちばん朝早い便は、4時20分だ。

竹田津港はびっくりするほど辺鄙な場所にある。どの主要都市からも離れていて、高速道路も駅も近くにはない。わたしの家から竹田津港までは、直線距離で30㎞ぐらいだ。しかし、グーグルマップで検索すると2時間かかる。

わたしは完全に勘違いしていた。スオーナダフェリーは広島県の「福山」に行くと思っていたのだ。山口県の「徳山」である。高速を使えば、自走でも2時間で山口県に到着できるだろう。

「こんな微妙な航路、誰が利用するねん」とわたしは思った。しかし港に到着すると、早朝にも関わらず乗用車やトラックがすでに何台も停まっている。
徳山港に到着するのは6時20分の予定だ。それまでマス席(いわゆる雑魚寝シート)で仮眠をとることにした。

徳山港でフェリーから下船し、山陽自動車道徳山東ICを目指す。夕方の帰宅ラッシュまでに、中国自動車道の宝塚トンネルを通過したい。宝塚トンネルは渋滞の名所だ。新名神が開通して、少しはましになるかと期待されていたが、結果は“めちゃくちゃひどい”が“めちゃひどい”になったぐらいだった。
「夕飯は実家で食べる」
電話で母にはそう伝えていた。16時までに大阪に入らないと、実家で夕食を食べるのは無理になる。

15時ぐらいに宝塚を通過した。湾岸線も渋滞するが、宝塚に比べるとかわいいもんである。19時前にわたしは実家に帰りつくことができた。

「治療のほうはどうなん?」
母がわたしにたずねた。
「主治医の先生とちょっとトラブルになってん…」
わたしは今回の件をどう説明すればいいか分からなかった。
「医者ってムカつくよな。分かるわ。何があったん?」
姉が口をはさんだ。わたしは事の顛末を大幅に端折って説明した。
「正月明けの診察のときに、先生の機嫌が悪くてな。すごい八つ当たりされてん。待ち時間がしんどいから転院したいって前に言ったことがあったんやけど、先生はそれが嫌やったんちゃうかな。ムカついて院長先生に直談判したったわ」

母は顔をしかめた。
「何その医者。病んでるんちゃう?そんな変な医者のとこ、もう行くのやめたら」
母も夫と同じ意見だった。普通はそう思うものなのだろう。恋は盲目である。わたしは大谷先生の何がいいのか、自分でも分からなくなっていた。

早くこの件が決着して欲しい。もとの関係に戻れるか、そうでなければ恋が冷めて欲しかった。

温泉好きが高じて20年以上暮らした東京から別府に移住しました。九州の温泉をもっと発掘したいと思っています。応援よろしくお願いします。