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懐疑論者がうなったパワースポット神社三選

植物は夜には光合成しないから呼吸している。また、落ち葉などを分解する微生物も呼吸するし、そこに住む生き物たちも呼吸する。
だから、森は酸素を産みだす場所であるとともに、酸素の消費エリアでもある。
どのくらい生産して、どのくらい消費するのか、という研究も当然行われているが、諸説あってどれを信じればいいのか分からない。

残念ながら、学術会にも政治の力が影響を及ぼす。政治や行政組織には、研究機関に資金を配分する権力があるからだ。
例えば、地球温暖化、温室効果ガスについて、あれだけ騒いでいたのに、トランプ政権になってからは、逆に地球が寒冷化へ向かうというレポートをよく目にする。
実際のところ、どちらが正しいのか、僕にもよく分からない。

現時点で地球環境の予測に関して、科学的な回答の信頼性はその程度のものでしかない。
だから、アマゾンが焼けている話は、生活環境の破壊という「災害」で受け止める分は賛同できるが、地球環境問題として「地球の酸素の20%は...」という話になってくると、どうにも胡散臭さを感じてしまう。

さて、このようなシニカルで懐疑主義的な人間にとって「スピリチュアル」というのは、さぞかし相性が悪かろうと思われるかもしれないが、意外にそうでもない。
懐疑主義は面倒なことを一々考えなければならないからとても疲れる。だから、

疲れたからパワースポットに行こか

となる。
カール・セーガンだってヒンズー教徒やイスラム教徒に、病の回復祈願をしてもらった事を、心から感謝して逝ったのだしね。

一方で、スピリチュアルな人から「波動とか引き寄せの法則は、量子力学や不確定性原理で説明できるんですよ」とカマされると懐疑主義が頭をもたげ、

じゃあプリンキピアからいきますか!

となる。僕にとってはスピリチュアルな事に理屈は必要ないし、頭で考えるんじゃなくて、感じるものなんだなぁ。
「スピリチュアルってなんでしょう?」
と問われれば、

とりあえず、山奥の大木を抱いて話しかけてみてよ

と、応えよう。

ところで、日本では伝統的に山岳信仰があり、山に登ればたいてい神社がある。
行きたくても、主に財政上の都合で、行くことがてきていない山も神社も沢山あるが、これまでに行った中で、特にスピリチュアルを感じた神社を三つ挙げてみる。

いきなり、なんでそんな企画になるか?と思われるかもしれないが、今日はそういう気分なのだ。

1.大元神社(宇佐神宮元宮) 大分県

とにかく、この神社は凄い。宇佐神宮から山道を歩いてこの神社に行ったが、神社のある山の入口から鳥肌たった。拝殿に立つと奥から一陣の風が吹いて、頭の中がスッキリ!

そして拝殿で1時間くらい寝た。

気持ち良かった。
神社で寝たのは後にも先にもこの時だけだ。拝殿の奥には鳥居があり、山自体が御神体で、禁足地になっている。

因みに宇佐神宮はこんな感じ。拝礼が出雲と同じなんだよね。

ここも、めちゃんこ広い神社です。和気清麻呂が道鏡を天皇にしちゃダメと神託もらったとこね。

2.三峯神社 埼玉県

秩父から更に車で一時間ほど山奥へ入った、とても辺鄙な場所にありますが、まず豪壮な随神門と社殿にビビります。オオカミの神様がいる。
初めて行ったのが、雪の日で、雰囲気があったんだよなぁ。

三つ鳥居も有名ですね。雪の日にも関わらず、山登って奥宮に向かい、遭難しかける。

三峯神社は、できれば大輪のバス停のところから、表参道を登って行くと更に良いです。結局な山道ですが、滝とかもあってマイナスイオンたっぷり。

これ夏に行った時の表参道の滝の写真。ここも雰囲気あるよう。

3.滝尾神社 栃木県

日光東照宮は疲れます。「天下とったどー」感が凄い。ギラギラしてます。
二荒山神社から苔むした石畳をあるくこと30分に滝尾神社はあります。

とにかく落ち着いた雅な空気が流れています。
ボーっとしてたら蛭に噛まれて足が血塗れになってました。それすら気付くまで随分時間がかかるという。

これは東照宮ですね。金ピカです。

まあ、伊勢神宮とか出雲大社ももちろん良かったし、東国三社、諏訪四社、そりゃ京都に奈良も、素晴らしい神社を巡りましたが、ちょいマイナーな神社で攻めたセレクションにしてみました。

人が多いとスピリチュアルが味わい辛いので、朝イチがやっぱり最高です。

スピリチュアルを科学的に説明したり、逆に科学でアンチやるのも、エネルギーの無駄使い。そう思います。それはそれとして楽しむと。

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