死なないで愚か者たち
これは実家の自室の隅っこで、私が高校生のときに築いた防護膜みたいなものである。もう10年以上前になる。
音楽と音楽が作り出す空間に縋って生きていた。
通っていた学校が自分に合わずそこでは居場所が作れないまま、かといって家の中でも息がうまくできる場所がなく、毎晩深夜の2時頃までいつも眠れなかった。
親友はいたけど、それも幸福なことに何人かいたけど、学校が違う上にそこそこ進学系のコースだったので高校生のくせに忙しく、なんとなく、頼るというよりは目標の為に励む中での戦友みたいな感覚だった。まだ幼いからそのあたりが未熟で極端だったのもある。
(今回の本題ではないけど私は次第に病んでしまいその関係から一方的に脱落したので裏切ってしまった後ろめたさから一時期彼女とは縁が切れる。)
いろんな義務を果たしていないまま迎える深夜の不眠は自室とはいえ寝床でじっとしているととても恐ろしくて
何とかこの場所を味方につけないといつか殺されてしまうんじゃないかと思っていた。なにに、かは当時はっきりとは解らなかったけど今思えば正直自分に、なんじゃないかと思う。端的に言えば強迫の空間だった。
それと対照的な存在として、ライブハウスの壁が好きだった。
干渉されないけど拒絶もされない。そこに存在する為に必要な義務(お金はいるけど)がない空間で安心できた。なによりそこにいる人たちはみんな楽しそうだったから。
でもバイトをしていない高校生の自分にとってそんなにしょっちゅう通える場所ではなく、定期的に息抜きという訳にはいかない。イベントの時間帯もだいたいは夜で、あまりそこにばかり居座っていると家族に訝しまれそうなのもあった。
その貴重な夜の空間の思い出を形に残して持って帰るように、小屋でもらったりレコード屋さんで拾うフライヤーの束を大事に残していた。仮設空間としてそれで壁を覆うことにした。
当時一番好きだったメジャーなアーティストは活動休止中でこういったフライヤーが手に入らなかった。なので名前と代表曲だけ知ってるようなバンドだったり名前しか知らないバンドだったりも含めてなんとなくデザインが好きなものを選んで貼った。
あとは当時印象深かったイベントの紙切れ(チケットの半券やDM)が貼られている。
初めてライブハウスに行った時の半券
初めて自分がライブハウスに出演した時の半券
初めて自分がグループ展に出展した時のDM
初めてクラブに行った時のチケットの半券
大好きなアーティストの大きいライブに初めて行った時の半券
実は高校生当時、こういったことをする自分がイタいと心のどこかで思っていた。
近い将来、きっとこの壁を黒歴史だと思うんじゃないかと。
大人になった今日、いやあ、宝物だなとまじまじと見て思った。
壁に貼っていたからこそこんなに綺麗な形で失くしたりすることなく残せたのかもしれない。
その中で1つ目に止まったフライヤーがあった。
画像でいうと中央、ピンク色に黒い人物シルエットのフライヤー。「The LOBSTERS」
聴いたことがある名前で、
ただ名前だけ知ってる人たちだったか、曲も好きだったか、瞬時には思い出せなくて曖昧だった。記憶を探るうちに、やっと思い出した。
私が大学生になるかならないかくらいの頃に解散した関西のバンドだった。
当時はHPがあったけど今はもうさすがに無かったのでとりあえずYouTubeでライブ映像を検索してみる。
これが一番に出てきた。
あぁそうそうこういう声質の人だった。ワルサーさん。擦れた感じの男前で。
でもわざわざネットにアクセスしてよく聴いてた曲はこれじゃなかった。タイトルが思い出せない。あんなに聴いてたのに、好きだったのに。
こういう時、私は執着心がなかなかすごいので検索ワードをいろいろ変えて調べ、出てきた動画を順番に視聴したところ、当該の曲が見つかった。
正直音楽オタクの人からすればこの世のそこらじゅうにごまんとあるベタベタなガレージロックだろうと思う。
歌詞もコード進行も特別物珍しくない、どこかで聴いたことがあるような。
でも高校生の私はこのロブスターズに限らずこのガレージロックおじさん、お兄さん?たちに救われていた。
出番以外はフロアでへべれけになって高校生の私の若さに驚き懐かしいんだか思い出したくないんだかよくわからないはにかみ顔をしつつ、「音楽は最高で楽しいけどこんなろくでもない大人になったらアカンで!」と笑い飛ばす人が多かった。少なくとも私が関わった人たちはみんな優しかった。
ただ高校生の私がそういう大人に好感を持っていることを、当然、母は好ましく思わなかった。一度はっきりと言葉にしてやましいことがないか言及されたことがある。
子供だったので、とっさに頭に血が上ってカッとしたのだがまぁ親としてほんとに当然の、普通の心配だと思う。特に母はそういう界隈と全く縁がない人だったので悪いイメージしか持ってなかったのだろう。実際、私が顔を出した場所がたまたま悪い界隈だった可能性だって十ニ分にある。優しい人たちばかりだったのは本当にたまたま私が恵まれていたのだ。(畑は違えど小劇場の界隈に数年身を置いたのもあり今は母の気持ちに対して共感するところがある。)
この頃から私は、自分が子供で見えている世界やそもそも認識できる情報というのが"彼ら"と全く違う、別の世界の人間なのだと明確に意識するようになった。彼らというのは漠然と大人全般でもあるし、その優しい大人たちに限定して思ったときもある。
私の世界はなんて狭いんだと思うと同時に、その世界が今からまだまだ拡がる事実とそれによって自分自身が変容していく可能性に気付いて恐ろしくなった。今の自分をいつか否定する時が、私を救ってくれた大人たちを愚かだと思うときが、いつか来るんじゃないかと悲しくなった。
そういった気持ちを数年抱えて過ごして大学に入り、そこで音楽とはまた別の形で大きく救われるような世界に出会って、早くも世の中の存在の仕方が自分の中で変わり始めた19歳の頃、所属していた演劇部で毎年恒例の一回生だけで公演を打つ有志公演があった。
世間一般でいうところの成人年齢を目前にしたこのタイミングで、この公演は契機だと思った。
いや正直芸大だったので作品を作る機会なんてエブリデイ有ったのだけど、なにか他人の力と多くの時間を注いでまでしっかり作りたいものといえば今の自分の価値観を作品として記録に残すことだった。
変わってしまうかもしれないからこそ、その時の、もしかしたら子供でいられる最後のタイミングかもしれない今の自分が
自分を救ってくれた世間では愚か者扱いされかねない大人たちをどう思っているか、どんなに感謝しているかというのを残しておきたかった。
どうも大学同期でこのnoteを読んでくれてる友達もいるみたいなのでその人たちには説明不要のアレなのだが、
学業そこそこに音楽をやっている先輩の男の子に救われた主人公が、そのままの自分で相手に近寄れると思わず、無理に相手にあわせた結果、自己を見失って一度崩壊してからまた再構築していく様をアンデルセンの人魚姫になぞらえて物語にした。
経済的に実を結ばない創作活動を続けるものは愚かであるという風潮が、なかなか根強く世の中にはある。また一見創作活動に対して寛容であるように見える人たちも、審美の基準が実はそういった実績に基づいての判断だったりすることもあり、個人的には芸術教育の在り方の是非よりもよっぽど根深い、創作物やメディアの論調から出来上がっている風評、風潮だと思っている。
19歳の私は当時、その風潮に対して自分の答えをまだ出せていなかった。成人という節目を目の前にして、これから自分が背負う責任の形も変わっていくであろう中、いつまででも今の気持ちを保てないのかもしれないと少し悲観していた。
人は自分以外にはなれない、自分の何かを捨ててまで他人になろうとしてもきっとうまくいかずに壊れてしまう、
という確信はあって、だからこそ自分の本質が変わった後、自分が大好きな人たちと道を違えるかもしれないというのがたまらなく怖かった。
でもその可能性があったとしても私は私の道を生きていくべきだと作品の中ではそういう結論を迎えてお話は終わる。 ただ、私が私として生きていく中で、いつかまたあなたたちと世界が少しでも交わったらそれはとても素敵なことだ と、将来の自分の気持ちが変わらないであって欲しいという祈りも少し込めて、一言添えた。
今年の1月でその作品の発表から10年が経った。
人より社会的発達が遅い私もさすがにもう立派に大人になったとしか、どうあがいても言い逃れができない年齢になっている。
さて私が危惧していた問題についてどうだったかというと、結論から言えば全く問題はなかった。
むしろ危惧していたような気持ちの変化どころか、私自身が彼らそのものになっていた。19歳の私が精神的離別を恐れていた"愚かな大人たち"の仲間入りを果たしたのだった。
なんなら、それどころか、その人たちの行為が、実は愚かなものではないとそんなこと思う必要は全く無いと確信を得るような日々や人たちの出会いの中で生きている。
19歳の私よ、自分を侮るでないぞ、予想をずっとずっと上回る幸せの中で生きているぞ。
でもそれは19歳の私が、自分の将来の気持ちの変遷に対して危機的になった結果でもあるような気がするので、幼くて不安気なあなたのおかげだと、逆にお礼が言いたい。
もっと言うなら、高校生の私を人として尊重して扱ってくれた件の愚かな大人たちのおかげである。
私がここまで生き延びて来られたのもそういう世界を信じ切れたのも彼らの優しさあってこそだと思う。いや、優しいと言っても特別何かしてもらったわけではないような気がするけれど、でも彼らが大人として楽しそうにそこに存在し続けているというのが私にとっては希望だった。大人が楽しそうに生きていてくれないと幼い私たちの苦しみがなんのために存在しているのか分からなくなる。
そしてまだ、その人たちは存在し続けている。
いや名前を見るまで一瞬忘れてしまったりもしたけど、でも思い出せたということは私の中に残っていたからセーフ。それに一度忘れた人が戻ってこれるくらい彼らがいろいろ残してくれていたのと、それらに戻ってこさせるパワーがあったのは紛れもない事実である。
だから私も今の自分のまま存在し続けていこうと思うし、あまりにも馬鹿げた風潮に対して日々反抗し続けていこうと思っている。
大学ではその理念を言語化して私に焚き付けてくれた先輩たちと出会い、施設の立ちあげや運営に携わらせてもらって
さらに今の職場でその理念を持つ実力者の代表に出会って、
たぶん今の自分は、実力は半人前でも環境は揃っているんじゃないだろうか。
自分を救ってくれたような愚か者たちに恩返しがしたいし、今後救われるはずの人たちに私が救われたのと同じようにその存在を繋いでいきたい。
備忘録:(一方的認識で)お世話になった人たち
他、MOTORS、私の思い出、モルグモルマルモ、the pumpkins(は最早大学の先輩)など、楽しそうでかっこいい大人のみなさん、ありがとうございました。ありがとうございます。
出会ってから今日まで、まだまだ聴いてます。
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