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(中)バックパッカー料理人 第10便

①Fäviken
伝説となったレストラン...


2019年12月14日。
北欧はスウェーデンの僻地Järpen(ヤルペン)にあった。
世界中からフーディーと呼ばれる人たちが駆けつけ、ミシュラン2星、World's 50 Best Restaurantsで2016年には41位にもランクインし、トップ100以内常連のレストランFäviken(ファヴィケン)が閉店した。

盛大な閉店パーティから2ヶ月ほど前、僕はスロヴェニアからミラノへと電車で戻り、ミラノ空港からスウェーデンの首都ストックホルムへ向けて出発をした。空港でも面白い出会いがあった。世界中を旅しているという一家と出会った。品の良さが漂う紳士、淑女の彼らはスウェーデンの片田舎で完全会員制のホテルを経営しているというセレブ一家。チェックインから搭乗までの間ラウンジでも話し続け、僕がこれからヤルペンにあるファヴィケンに閉店まで働きに行くと伝えると、さらに話は盛り上がり、次回スウェーデンに来るときは泊まりに来なさいと連絡先も交換させていただいた。
ストックホルムに無事つき彼らと挨拶を交わし、別れた僕は駅で最寄りの街Åre(オーレ)までの行き方を駅員に相談し、深夜列車で行くことにした。

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3ヶ月以上旅をしているのが驚かれるくらい僕の荷物は少ない。旅の荷物は極力少なく、身軽にがモットーだ。
だいぶ後に知ったのだが、飛行機で行くのが一番楽で速かったそうだ。

深夜列車で走ること8時間。夜遅くに出発し、着いたのは翌朝。電車を降りると吐息は白く、骨身に響く凍てつく寒さが襲う。

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閉店までの2ヶ月間、僕はこれからファビケンから一番近い街オーレにある寮に他の研修生と一緒に住むことになる。久々の集団生活だ。
駅で研修生たちの面倒みている副料理長のジークと待ち合わせをしていたが、早く着きすぎてしまったので、雪の中キャリーケースを引きずりながら寮へと歩いて向かった。雪にタイヤをとられるも、これから始まる生活への期待が満ち満ちているうちに、あっという間に寮についた。今日は定休日。どうやらみんなまだ寝ているようだ。

「どんどんどん!」
「ガチャッ」。
「Good morning! I'm Ezekiel. Call me Zeke! Big man!!」

おおがらで髭面のジークに一瞬怯んでしまったけど、自慢の奥さんとまだ小さいお子さんを愛する、めちゃくちゃいい人だ。
ぞろぞろと起きてきて、自己紹介をかわす。
今ここには僕の他に6人が住んでいる。男が3人と女の子が3人。
バラエティー豊かで、女性陣はポーランド人のマーサ、カリフォルニアからきたエミリーそして、カナダ人の3人で、3人とも20代前半の将来有望な子たち。男どもはワシントン、フランス、そして韓国からの3人。韓国から働きに来ている22歳のジェイは研修生の中では古参の1人で個室を与えられている。僕はワシントンからきた30歳のデイブ(デイビット)と26歳のイケイケなドイツ系フランス人のヴィク(ヴィクター)と同じ部屋で過ごしていく。
するとデイビットが一際笑顔で話しかけたさそうに握手を交わしてきた。でもうまく聞き取れない。すぐヴィク(ヴィクター)が肩に腕をかけてきて、デイブは耳が聞こえなく、うまく喋れないからと、言葉や文字を打つと大きく画面に出るアプリをみんなで使って会話してるんだと教えてくれた。
みんな若手ながら、世界中の名店で研修をしている子たちばかりで、話が面白い。ポーランド人のマーサはファヴィケンに来る前はスペインのチケッツというレストランで研修していたという。チケッツは、伝説のレストランで有名なエルブジのフェラン・アドリアの弟アルバート・アドリアのお店で、手品やサーカスのような魔法のような演出と料理で有名なレストランだ。
海外のレストランに働きにいって出会う人たちはみんな、各国のそうそうたるお店で働いたことのある人たちが多い。
もちろん、それと仕事ができるかはまったく別だけれど。

これからの2ヶ月間、営業がある日は店で賄いを食べるからいいとして、定休日の2日間は自炊をすることとなる。外食もできるけれど、この街にはバーやパブも3、4軒のみ、レストランというレストランはない。
一週間が始まる最初の営業日に欲しい食材を紙にまとめて、それをジークに提出し用意してもらう。僕たちはそうやって自炊というなの料理生活をしていく。

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その日の夜は、まるで歓迎会のようにみんながバルコニーで炭をおこし、料理をつくってくれた。
いよいよ明日からは、久々に憧れのお店のひとつで一番の下っ端から働き始める。


To be continued...


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