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自転車で訪ねる式内社、140字の古社巡礼
2022年9月23日 16:28
神社と古墳巡りに明け暮れ気がつくと昼。地図上、袋川を渡った吉野地区にそば屋を発見するも営業は日曜のみ。空腹に藁をも掴む気持ちで入った「CocoCafe」に救われた。ハヤシライスと食後のコーヒーに満たされいざ神社へ。ご主人曰く「石段上がると下りが大変」。お言葉通り。写真は鳥取県鳥取市。
2022年9月22日 21:59
参道が社名のように荒れた坂ならと尻込み。「住民も日参しとりますけぇ」。道を尋ねたおばあさんに励まされ鳥居をくぐり落葉こそあるが整えられた道を上がる。薄暗い森は古木生い茂り古社感上々。「三代実録」曰く、現在より北側の旧社地前は入江。貞観の昔、新羅人来着の伝。写真は鳥取県鳥取市。
2022年9月21日 19:50
学生であふれる因美線津ノ井駅を通ったばかりなので、枝葉が伸びきった午前六時台の森はやけに寂しい。社名の「槻」の通りケヤキも見られるが、「折」というのはどういう意味だろう。折れるどころか社叢林がドーム状の森を形成。木々が呼吸するためか湿度が高くメガネが曇る。写真は鳥取県鳥取市。
2022年9月20日 20:14
一ノ鳥居を出発したものの崩落した道に間違いと気づく。再び戻って草ボウボウの池の横道へ。木と木の間に渡された注連縄に神社への道を確信するも、社叢は外の明るさを遮り、ひと気のない森に恐れを感じた。覆殿内に鎮座する素木の社に柏手を打つがそれを打ち消すセミ時雨。写真は鳥取県鳥取市。
2022年9月19日 19:56
因幡でよく見られる鰹木と千木を載せた流造の社を社叢が取り囲む。手を合わせて早々に辞したのは、因幡国庁跡の周囲に点在する古墳を巡りたいから。なかでも不思議なのは安徳天皇の陵墓参考地「岡益の石堂」。柵越しに見ると石壁と石柱で構成されている。古墳なのか。写真は鳥取県鳥取市。
2022年9月18日 19:59
線路脇に立つ社号碑の先に神社があるのか。意を決し線路を渡ると草が刈られた小道。鳥居を目にしてホッとした。鳥居が結界となり日差し射す外界から樹木が生い茂り暖地性シダが生育する領域へ。探検気分で岩の隙間をぬう参道を進むと、狛犬までが苔で覆われる湿度高い別世界。写真は鳥取県岩美町。
2022年9月17日 21:52
身を屈めた狛犬と黒光りする石州瓦。どちらも出雲国の神社巡りを終え山陰から離れた三年間、目にしなかっただけに懐かしい。祭神の誉田別命について書かれた由緒「先進的大陸文化を我が国に取り入れられ」というくだり。海が近い場所柄、渡来したひとの多さを暗示するようだ。写真は鳥取県岩美町。
2022年9月17日 10:17
「ゆかむり温泉」の駐輪場に自転車を止めると軒下に小祠。もしやと思った勘は当たり、御湯神社の分社。肝心の本社は旧小学校と岩井廃寺跡の奥の高台に鎮座。御井神という水にまつわる神がまつられるのは社名の「湯」と無関係ではあるまい。参拝後の入湯、もちろんいい湯です。写真は鳥取県岩美町。
2022年9月15日 20:07
拝殿前の石畳でカエルが跳ねた。一匹だけでなく二、三匹。跳ねた先では動かずじっとしている。何を考えてるのだろう。深い森には彼らを狙うヘビもいるだろうに。境内から鳥居越しに二上山。もとは山頂に鎮座。祭神を気にしてたら狛犬前に神像。台座に「祭神 須佐之男命像」。写真は鳥取県岩美町。
2022年9月11日 19:45
道の駅で腹ごしらえし満腹の状態で境内へ赴く。樹間を吹き抜ける心地よい風のせいか、腰掛けらたちまち睡魔に襲われそう。鳥居から拝殿へ続く参道は木の根が伸びてガタガタし、狛犬も傾く。目の前を流れる緩やかな蒲生川が流れとは裏腹に地中の根を勢いづかすみたいだ。写真は鳥取県岩美町。
2022年9月9日 20:32
浦富海岸を見下ろす境内。途中、石段にフナムシとは、さすが海近し。目の前の海岸からザバーンザバーンと波の音。扁額は荒砂神社だけど、祭神は大物主神で常夜灯には「大神社」の文字。参拝を済ませ砂浜へ。波に洗われる岩の上に朱色の鳥居。そっちが大神社なら絵になるのにね。写真は鳥取県岩美町。
2022年9月8日 19:20
高みに向かう石段を上りきると新旧の狛犬、常夜灯とともに直伸が凛々しい巨スギがお出迎え。大物主神を祭神とする神社の鎮座地は太田。崇神記で大物主神をまつることになった末裔の大田田根子にちなむ。彼の名に重なる「田」は蒲生川対岸の神奈備山麓に広がる稲穂の海そのもの。写真は鳥取県岩美町。
2022年9月7日 20:40
ゆかむり温泉でひとっ風呂浴びた。神社へ向かう前だから禊ぎ的な湯。ツクツクボウシが夏の終わりを告げるも、気温は鳥居に張られた注連縄の位置ほど低くない。石段を上がると湯に流れたはずの汗が再び噴き出す。拝殿を参り、タブノキの隙間から眺める稲穂の絨毯、因幡の夏。写真は鳥取県岩美町。
2022年9月6日 20:22
住宅や工場が建ち並ぶ現在では見る影もないが古代、河内平野は入江になっていたそうな。郡名の若江や鎮座地、菱江は水に関係した地名。境内奥にいまは水なき菱沢池。元は菱江川に浸かり川瀬の祓いを行っていた。水が近かった在りし日は境内のベンチに座り想像するしかないね。写真は大阪府東大阪市。