シェア
自転車で訪ねる式内社、140字の古社巡礼
2024年6月22日 13:06
敷山神社の境内には漆器神社もまつられる。そういえば神社へ通ずる道沿いには漆器関連の企業がちらほら。敷山神社の説明にも「霊仙ヶ岳から出現した神から桑と漆の木を授かる」とあるように、漆器とは無関係ではなさそうだ。重厚な金属製常夜灯が一際目を引き、狛犬も可愛い。写真は福井県鯖江市。
2024年6月21日 10:54
福井駅から自転車に乗り鯖江市吉谷町の春日神社まで一時間弱。高台の境内に上がる途中、ひらけた場所から北陸新幹線の高架が視界を左右に貫く。「吉谷村に春日社あり、其處を片島といふ」(神社覈録)ゆえに加多志波神社の有力な論社とされた。つまりカタシマ≒カタシハ。写真は福井県鯖江市。
2024年6月20日 11:15
ついさっきまで晴れ間が見えていた空に垂れ込めた雨雲。それだけに境内は薄暗く元々、陽光が差し込まないせいかコケに覆われた参道と狛犬。朱色の鳥居をくぐり拝殿へ。後方に目を転ずると神社境内にお堂! 社叢の倒木使い建立されたそうだ。どれほどデカかったんだろう。写真は福井県鯖江市。
2024年6月19日 10:54
以前、池田町で「能楽の里」の看板を目にしたとき、どこで舞われるのか気になった。水海の鵜甘神社はまさにその舞台で、春大祭では能舞と田楽を奉納。祭礼当日はさぞにぎわうことだろう。しかし六月初旬の日曜昼下がりの境内は静か。空を舞うトンビ、流れの際に1mほどのヘビ。写真は福井県池田町。
2024年6月17日 08:48
日曜朝の境内に響く草刈機のエンジン音。緩い坂に沿って立つ鳥居をくぐり山裾の拝殿へ。説明によれば、拝殿に納められた「木造四天王像三軀」は平安時代末の作とも。「延喜式」の編纂時期と同時代。草刈りの男性に尋ねると社名は「ウカン」で、神社はもとは別の場所にあった。写真は福井県越前市。
2024年6月14日 10:19
駐車場が完備された「刀那清水」。建屋内の二本の筒から流れ出た水をちょうど、ペットボトル一本分いただいた。水を汲んだら雑草を一株抜くのがここでのお約束。濃緑の社叢を背景とした境内。森と水は神社に必須な条件だが、遷座が常の式内社。清水と社は関係がありやなしや。写真は福井県鯖江市。
2024年6月13日 11:04
寺院を思わせる拝殿だが、裏手に回り覆屋に鎮座する社を見るとやはり神社である。須波=諏訪かぁ、なんて思っていると、おやおや神社の斜向かいに茶畑が。平頼盛の御廟所である城福寺は福井藩主が桜を楽しんだ場所。維新後、藩主が東京に移ったあと馬場跡が茶畑に。写真は福井県越前市。
2024年6月12日 10:47
大きな自然石名号碑の奥、山麓の境内は山中という方が似合う。日差しが遮られ胴回り太いケヤキやスギは樹皮にコケをまとう。越前ではたまに仏像納める古社に出合うが、こちらには鎌倉時代の木造女神坐像。神社に向う途中の小次郎公園は剣豪・佐々木小次郎の生誕地。写真は福井県越前市。
2024年6月11日 13:08
鳥居と神門の先には密に茂るスギ木立。さらに元禄二年築の拝殿と延徳三年築の本殿から出迎えを受ける。参拝前、用水近くに1mほどのシマヘビを見つけた。近くで観察しても逃げる気配はない。社名の須波は諏訪で、阿須疑=小豆から小豆島に鎮まる大野手比売もまつる。写真は福井県池田町。
2024年6月10日 07:57
「石部」をどう読むか? 神社の読み方は難しく「式内社調査報告」のルビは「イシベ」だが神社覈録には「伊曾倍」つまり「イソベ」とある。神社が鎮まる集落を訪ねるとバス停に「磯部」とあるから現社名は「イソベ」だろう。森の入口の鳥居は遠くからでもその姿がよく見える。写真は福井県鯖江市。
2024年6月9日 10:22
国中と中津山に同名社が鎮座しその距離、自転車で五分。中津山の祭神は越国霊彦神と同姫神。二座とは彦姫二柱のことか、もしくは国中と中津山の二カ所を指すのか。かつては山上にあり上宮とも呼ばれたそうだ。それなら中津山が奥宮的存在で国中が里宮的存在だったのかも。写真は福井県越前市。
2024年6月7日 10:48
社号碑が立つその足元、玉垣内に注連縄を巻かれた丸い石。「國中の要石」は太閤検地時の測量基準、またそれ以前からの神宿る石とか。磐座というにはちと小さい。社名から推測するに石がある場所こそが越前の中心点ということか。拝殿へは長い石段途中、獣除けの柵越えて。写真は福井県越前市。
2024年6月1日 18:47
拝殿前で手を合わせ掲げられた扁額を見上げると、鵜甘神社は本殿ではなく境内社との記述。左側に小さな社が鎮座するが、そこには鵜甘神社に関する情報は確かめられず。荒樫神社には十一面観音像や泰澄坐像などが納められ神仏混淆が生きる一方、鵜甘神社の存在感は小さいなぁ。写真は福井県越前市。