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日本の森、モリのニッポン紀行

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「延喜式」に掲載されている式内社をタイヤの太いFATBIKEという自転車で訪ねています🚲 2020年1月より140文字で巡拝記を書き始めました。 ・2020年12月6日〜(no…
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2022年11月の記事一覧

黒田神社@河内國志紀郡。

神武天皇の御子、神八井耳命の廟所という説とともに、この地域に多く住んだ渡来人「呉人」が耕した「呉田」が「黒田」に転訛したという説も。祭礼が近いのか大和川の堤防を降りるとあちこちに「北條」と記された幟はためく。ゴミ収集車から「夕焼け小焼け」が流れる月曜の朝。
写真は大阪府藤井寺市。

志疑神社@河内國志紀郡。

足の中ほどまで紅白のテープを巻かれた入口鳥居。境内を囲む、地区名「大井」と染められた幟。境内に入ると「御祭礼」提灯の下に張り出された寄付者氏名。週末にでも祭礼かと思いきや、聞くとひと月後とのこと。実際のお祭りじゃなくても華やいだ雰囲気を味わい、得した気分。
写真は大阪府藤井寺市。

都留彌神社@河内國渋川郡。

釣竿を高らかに上げ躍動感あふれるエビス像。旧社地は完全に戎神社の様相。唯一、都留彌神社が鎮座した過去を示すのは入口横の石板。東に移動し小学校北側の現社地へ。子どもらの元気な声が境内まで響く。祭神は速秋津日子と速秋津比賣だが、先のエビス像の印象強烈に残る。
写真は大阪府東大阪市。

許麻神社@河内國澁川郡。

お年寄りが体操している境内ののどかな雰囲気を前に、神社創設時の風景はどんなだったか想像。高句麗系神社が一国に二社だから相当な高句麗人コミュニティが存在したはず。何を食べどんな言葉を話したか。河内に染まる部分と故国の文化を守り続けた部分とがあったんだろうな。
写真は大阪府八尾市。

路部神社@河内國澁川郡。

JR久宝寺駅を南下すると地名標識が「跡部」となり、神社入口の標柱は「跡部神社」。しかし「延喜式神名帳」には「路部神社」。参拝時、拝殿覗くと祭神名に阿刀(あと)連大神。阿刀氏は物部系氏族で近辺に物部守屋大連の別邸があったとか。とするとやっぱり「跡」が正しいか。
写真は大阪府八尾市。

波牟許曾神社@河内國澁川郡。

社名を分解すると「波牟(ハム)」は蛇、「許曾(コソ)」は社を指す「蛇の社」の意。境内に鎮座する小祠中四社は龍神社。他所からここに遷座したと思われるが、偶然のようなそうでないような。ところで「ハム」はどことなく韓国語の蛇(뱀=ペム)と語感似てる気がする。
写真は大阪府東大阪市。

横野神社@河内國澁川郡。

日本書紀・仁徳天皇十三年冬十月に「是の月に、横野堤を築く」の記事。堤とは旧平野川に築かれた堤防のようだが、同名の神社をまつったということは治水を祈念してのことか。巽神社に合祀されたが、工場地帯の一角に旧社地があり、「式内横㙒神社跡地」の標柱とともに石碑も。
写真は大阪府大阪市。

鴨高田神社@河内國澁川郡。

お駒なる女人が呪詛の針を打ち願い叶えられた「お駒樟」。枯れてなおしめ縄巻かれた神木。拝殿右手の樹勢よく枝を伸ばすクスノキとは対照的。広場ではおばあさんたちが両手にストック持ちスローペースのウオーキング。賽銭に一円入れないでと注意書き。代わりにお気持ちを。
写真は大阪府東大阪市。

高屋神社@河内國古市郡。

高屋神社を相殿とする白鳥神社は近鉄古市駅の隣。駅と神社がやけに近いのには訳がある。元は前方後円墳らしく、境内の前方部は残ったが後円部は駅や線路になった。境内にいても古墳の上にいるという実感はゼロ。周囲に大古墳が多い過ぎてか顧みられない小古墳の運命が悲しい。
写真は大阪府羽曳野市。

大神山神社@伯耆國會見郡。

神門の先に、日光に照らされた拝殿が見えてきた、感激!タイミング悪いことに文化二年建立の権現造の本殿は工事中のため幕で覆われていた。御魂が移された下山神社も桧皮葺の立派なお社だ。麓からペダルを漕ぐこと二時間。四十代最後の歳にやりきった自分を褒めてやりたい。
写真は鳥取県西伯郡。

大神山神社@伯耆國會見郡。

大山を遠望しながら渡る日野川。堤防下の用水路を勢いよく流れる水。もしかしたら、水勢のよさから大山の雪解け水だったりしてと思う。見渡すと緑の田んぼ。あぁ大山の恵み。本宮は数回の遷座を経て江戸時代に現位置へ。本殿とともに奥宮遙拝所も参拝。そして目指すは大山。
写真は鳥取県米子市。

胷形神社@伯耆國會見郡。

本殿後方の丘陵上に宗像古墳群。「大きな白い石があって上からのぞき見るんです」と宮司さん。頂に上るとポコンポコンと盛り土、前方後円墳か。しかし件の「白い石」(石棺か)は見当たらず。その都度、宮司さんに尋ねるため頂と境内を数回往復するも時間なくなりgive up...
写真は鳥取県米子市。

國坂神社@伯耆國久米郡。

神社が鎮座する茶臼山は標高93.9mほどの低山。驚くことに、麓から頂上まで方墳と円墳を中心に五十基もの古墳。「雲伯」という言葉がある通り、隣国・出雲からの影響もあるんじゃないか。コブだらけで一部枯れたものの枝から青々とした葉が生えたタブノキ。木の生命力に脱帽。
写真は鳥取県北栄町。

倭文神社@伯耆國久米郡。

数少ない伯耆の式内社にあって倭文神社が二社ある意味は重い。一宮と三宮という社格からも、織物が古代伯耆を代表する産業だったとうかがえる。鎮座地は倉吉から大山へ向かうなだらかな上り坂の途上。豊かな社叢は倉吉市の保存林。タブノキの根元の洞に納まる石仏に手合わす。
写真は鳥取県倉吉市。