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人生における「選択と集中」の是非について(私の人生観)
私はかなり優柔不断です。
なんでも「いいな」「楽しそう」と思えるので、人生を楽しめますし、人の趣味に付き合うこともできます。
その反面、自分の中で「これ!」というものがありません。
最近これがひどく自分の中でコンプレックスになっているというか、焦りのタネになっています。
(1)私の人生観「何かをやり遂げて死にたい」
日々やりたいと思ったことをほどほどにやって、生きていく方法もあります。例えば
今日は休日。絵を描きたい気分だから絵を描いて遊ぼう
明日は仕事だからそこそこに頑張って、アフター楽しもうっと
昨日も今日も明日も友人と飲み会!飲み会三昧の毎日!
こんな感じ。
これはこれで幸せだし、私もこんな感じで20年間と少しの人生を過ごしてきました。
それでも、こういう毎日が続くと私は「なんだか物足りないな」と思ってしまうのです。
短期的にも楽しんでいたいけど、やっぱり何かゴールを追いかけながら長期的にも「楽しかった!」「やり切った!」という人生を歩みたい。
自分がなんとなく毎日を過ごすことに物足りなさを感じる人間だと気付いたのは、高校を卒業した後のこと。
それまでは、毎日部活を頑張っていたり、受験勉強を頑張っていたりしました。明確に達成したいゴールが見えていて、その達成のために日々努力を積み重ねる毎日だったので充実感がありましたが、大学に入ってからはなんとなく毎日を過ごしていました。(とても楽しかったけど)
(2)「選択と集中」で人生は豊かになるのか
とはいえ、私はこんな人生は送りたくない。
仕事のために自分の余暇を犠牲にする
仕事ばかり頑張っていたら友人と疎遠になってしまう
1つのゴールを達成するために他を全て犠牲にする
逆に、こういう人生を送りたい。
自然を見て感動できるくらいに、豊かな感受性を持っている
人生を通じてやりたいことがあって、そのために日々努力をし続けている
好きなことに没頭できる時間も欲しい
周りの人を大事にして、人と繋がる時間も欲しい
なんとなく毎日を過ごす生き方と若干違うのは、「自分が行き着く先をイメージしているか否か」なのだと思います。
そして「選択と集中」的な生き方と異なる点は、「自分が短期的にも幸せと思えるペースで歩んで行く」という点です。
以前、私は自分のキャリアアンカー(キャリア観)を調べたのですが、「バランサー」でした。仕事と私生活、自分の人生全てにおける事柄同士の調和を大事にするみたいです。
(3)懸念:それだとゴールに辿り着かないのでは?
一方で「短期で楽しんでいたら、長期的に達成したいゴール達成できなくなるんじゃない?」という懸念もあります。
過去に何かを成し遂げてきた人って、それだけに情熱を注いで、他の犠牲を払ってきたイメージがあるじゃないですか。
そこは少し悩みどころでもあるのですが、ゴールの高さにもよるのかなと思います。ゴールが高すぎると、やっぱり超「選択と集中」しないと達成できない。
だから、私の場合は、そこまですごいゴールでなくてもいいなと思い始めています。最後に「やり切った」「幸せだった」と言えればいいのかな、と。
自分の短期的な幸せを犠牲にしない程度のゴールを追いかけ、
長期的な幸せも手に入れる
が、私の人生観。
選択と集中で例えるなら、
ある程度「選択と集中」するけど、日々の幸せも犠牲にしない
ですね。
いつか、自分の言葉を詰め込んだ本を作りたい。