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ヤングケアラー

6時に起床。朝ごはんの支度をする。
夜に炊飯ジャーのタイマーをセットしていた。ごはんの炊けた匂いがする。
手と顔を洗って、鍋にお湯を沸かし、ネギをきざみ入れ、出汁入りの味噌を溶く。おかずは、昨日の残りの鮭。

それから、母を起こし、リビングまで手を引いて椅子に座らせる。
私は、母の隣に座る。
一緒に『いただきます』をして、母の様子を見ながらご飯をかきこむ。
母はゆっくり食べる。前をじっと見つめて何も話さず食べる。

私は、早々に朝ごはんを食べ終わったら茶碗を洗い、母の様子を見つつ自分の身支度をする。
リビングにいる母に薬を飲ませ、飲んだのを見届け、母をトイレに連れて行き用を済ませる。
その間に制服に着替えて、トイレにいる母をまたベッドに連れて行き『行ってきます』を言って、高校へ向かう。

私は、ヤングケアラーだ。
何に対しても明るく気さくで、太陽のように笑っていた母が笑わなくなった。離婚からのショック。母はうつ病になってしまった。

両親の仲が悪くなり始めたのは、私の高校受験がきっかけだったらしい。
母は、私の私立の推薦入試を全面サポートしてくれていた。
父は、そんなに協力的ではなかった。
私は、あんなにがんばったのに落ちたそして、地元の県立高校へ行くことになった。
父は、それ!見たことか!と言わんばかりの口調だった。『私立は金がかかる。県立でいいだろ。何を期待しているんだ』と。
母は、『子供の夢を応援して何が悪いの? 一生懸命サポートして何がいけないの? あなたは、いつも!いつも!私がすることに嫌味を言う。もう、やめてください!』と、今までの我慢に我慢を重ねてきた夫への思いが爆発したのだった。
父は家を出た。
母は体調を崩した。
そして、私は母の世話をすることになった。高校1年の冬だった。

お昼は12時半にヘルパーさんが来て、母の食事とトイレを世話してくれる。
私は4時過ぎ頃帰宅し、夕ごはんの支度をする。いつものように冷蔵庫を開け何にしようか、あれこれ考えていると、後ろから涙ぐむ声が聞こえた。
振り返ると、母がボロボロと涙を流しながら立っている。子供の頃の私を思い出したと言った。小さい時に踏み台に乗って、フライパンの中のおかずをフライ返しで混ぜるお手伝いをしていた。その姿を思い出したのだ。

私は、母に『一緒に夕ごはんを作ろう』と言った。私の料理といったら、焼くだけとか混ざるだけの類のものが多く、母のようには作れない。
それでも母は、『作ってくれるのはみんな美味しいよ。そこには愛情があるからね』と言ってくれた。
父が出て行った以降、感情表現がなくなってしまっていただけに、あの笑顔いっぱいの母が戻ってきてくれたように思えた。これから少しずつでいい。母がいつもの母に戻ってくれたら、それだけで充分だ。
この日の夕ごはんの支度は、独りじゃない。母と肩を並べながらささいな話にクスクス笑ったり、母の料理の極意を聞いたり、何より母の笑顔がたくさん見られたことが、とてもうれしい。

受験の時期に支えてくれた。心の支えを母からもらった。
まだ頼りないし、もう少し甘えていたい私だけど
『今度は私の番、私が母を支える!』



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