くだらん日記と届けない手紙、独白

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最近の記事

仕事を辞めても辛い

仕事を辞めたら不安定な情緒もどうにかなると思っていた。そんなことはなかった。 休職してから通い始めた自動車学校ではもうすぐ仮免試験というところまで頑張って通えている。休職したからお金がなくて恋人に会えないけれど気持ちに折り合いをつけたりなんとか寂しさにも納得させて生活できている。昼から缶ビール片手に河川敷で読書をしたり、そんなささやかなぜいたくだってしてみていた。天気の良い日は気持ちよく感じるしゲームだって楽しい。それでもダメな時はダメらしい。 何がダメなんだろう。 布

    • 考えずに生きた罰

      将来の不安、誰しもぶつかることがあるはずの悩みだと思う。 高校、大学受験の時、大学を卒業する時。 私にとってはそれを全て終えたはずの今もそうだ。 言葉は詰まるし緊張でガチガチでうまく話せかった面接なのに通った会社になんとか就職できて、それでひとまず安泰だと思ってた。 総合職だったので、何年後かには本社に勤めて適当な年齢で結婚して、それなりの人生を歩めるだろう。4月の私はそう思ってた。 それでもずっとバイトと変わらない内容の業務、ろくに指導もされない環境、会社の先の見えないキ

      • 一生モブ

        正直私は空っぽの人間なので絵を描くにも、文字を書くにもお酒を飲んだり音楽を聴いて感化されないとなかなか何も生み出せない凡人だったことに気づいた。普段何も考えず過ごしている証拠みたいで少し悲しい。 世の中のクリエイティブな仕事に憧れるもそういう理由で続かないだろうし、ますます自分の平凡な、誰かの人生の中でもエキストラでしかないんだろうなという事に自己嫌悪がさす。 まあ、そんな私がまたnoteを更新しようとしているということはつまりそういうことだ。今日は割るのもめんどくさくなっ

        • コーヒー

          コーヒーは私にとって今まで喫茶店で飲む特別な飲み物だった。 京都の純喫茶でタバコを吸いながら本を読む時間や、地元の喫茶店のカウンター席に座り、コーヒーを飲みながら店主と近況を話すゆっくりとした時間がささやかな贅沢だった。それゆえに私の中ではコーヒーはある意味お酒よりも特別な飲み物だった。だから、何故か自宅でインスタントや缶のコーヒーを飲むことなんてほとんどなかった。 だから、コンビニの100円コーヒーやその類を進んで飲むことがあまり理解できなかった。 喫茶店で「ゆっくりと流

        仕事を辞めても辛い

          涙で見えないあさの6時

          憂鬱も全部体が悪いせいだから私は悪くないし、心が風邪を引いて治らないのもずっと寒いところにいるからで私は悪くない 私は悪くないって思っていないと自分のことが嫌いで気持ちばかり加速して、"かもしれない"ばかりを悔やんで、全部やり直すリセットのために死にたくなる。 人に自分の弱さをさらけ出さないと仲良くなれないわけじゃないってわかってるのに空気のためとか言い訳をして喜んで自分をできるだけ低いところにおいておこうとする。 これ以上落ちないからって安心できるはずなのに捨てたはずの

          涙で見えないあさの6時

          植物を買った

          先日、一人でパフェを食べていた時ふと家に植物を起きたいな…と思いパフェを食べたあとすぐ花屋に向かった。 1から育てることやお花が咲くまでなど明確な目標のあるものは枯れると悲しさが大きくなる気がしたし一人で植物を飼うのは初めてだったので多肉植物かサボテンにしようと決めていた。 店の入り口に小さな植木鉢に入ったサボテンや多肉植物たちを見て、真っ先に目が惹かれたのがこの月兎耳(ツキトジ)だった。 ふわふわの産毛のようなものが生えていて葉の先だけちょこんとあとからつけたような模様

          植物を買った

          歯の浮くようなセリフをください それだけで一瞬でも救われるから 無駄なんて言わないでくれよ

          歯の浮くようなセリフをください それだけで一瞬でも救われるから 無駄なんて言わないでくれよ

          なんとなくにっき

          去年より悲しくなる頻度が落ちたので今年は良かった。 視線や表情に無意味に傷つかなくてよくなった。 いつか終わりがくることの儚さ、終わりが見えてしまうことの虚しさ、枕を濡らしてしまう弱さ 自分を表す言葉は人からもらったものでしか信用して使えないので、それに依存してしまうからすこしはずかしいね いつか言ってくれたようにずっとこれからも、いちばん深いところは白い、ようにありたいな、おとなにならなくていいよ て言えるくらいの柔軟さでいたいね やさしいことば、あなたが忘れても私

          なんとなくにっき

          打算vs直感

          理解してくれるから、一緒にいたい って、ごくあたりまえの気持ちのように聞こえるが、それは打算的なのか、直感的なのか。 それ以前に何事も理由をつけようとしてしまうのは価値を見出したいからなのでは、と思う。価値を付ければ自分にとって損か得なのかがハッキリして、損だと思えば対象から離れるのは言わずもがなだ。つまり理由をつけることは打算的ということになると思う、私は。 私は直感的に生きたい。感覚的に、それは自分を試していることと同じだと私は思う。それに、理由をつけてしまうと、そうで

          打算vs直感

          鈍感になった気がするはなし

          最近、正直なところ絶好調、だ。 風向きが追い風!といった感じ。  今迄、情緒不安定で夜中に泣いて気づいたら朝だとか、自傷行為をしていないと気持ちが落ち着かない、ようなことが続いていた。 泥沼の中を歩いているような感じ。けれどもそういうときのほうが頭が冴えて考えることが増える。noteをはじめたのも落ち込んでいて頭が冴えているぞ!なにか思ってることをまとめたい!と思えたからなのだ。もっとも文を書くことは苦手なのだが。 けれど今は、完全に物事に対して感覚が鈍っているような気が

          鈍感になった気がするはなし

          いつか

          口約束のいつか、 手近なやさしさ やすいことば 救ってくれるのはいつも はんぺらの紙におさまる

          いつか

          言葉の不便さについて

          たくさんいろんなことを感じることはあるし、それを相手に伝えたいと思うし自分の気持ちを自分で理解するのは大事だと思う。可視化して、整理ができるとすごく便利だと思う。 表現の仕事をする人は単純に尊敬。センスや言葉の使い方とかやっぱり違う。相手に伝えることのプロはすごい。そんな話を先日友人としていた。 言葉にできないような気持ちはどう表せばいいのだろう。言葉にあった気持ちしか使えない、伝えるのに苦労を伴うということはすごく不便で言葉も万能じゃない、と思った。 前に書いたnoteの

          言葉の不便さについて

          さみしさ

          私はさみしいことがこわい。加えて周りの人の気持ちに鈍い。特に好意がわからない。だからずっとさみしいままだ。 仲良くしてくれる友人、バイト仲間、親、昔の先生、周りにはたくさんの人がいる。それなのに自分はひとりなのだと勘違いしてしまう。 離れないで、捨てないで、願わくばいつも気にかけて、わかりやすい好意がほしい。言わないけれども誰にもそう思ってしまう。 我儘だ。 恋人に対しても、今まで好きだよと言われることや触れられることでしか愛されている自信が持てなかった。いくら外に出かけ

          さみしさ