見出し画像

一生モブ

正直私は空っぽの人間なので絵を描くにも、文字を書くにもお酒を飲んだり音楽を聴いて感化されないとなかなか何も生み出せない凡人だったことに気づいた。普段何も考えず過ごしている証拠みたいで少し悲しい。
世の中のクリエイティブな仕事に憧れるもそういう理由で続かないだろうし、ますます自分の平凡な、誰かの人生の中でもエキストラでしかないんだろうなという事に自己嫌悪がさす。

まあ、そんな私がまたnoteを更新しようとしているということはつまりそういうことだ。今日は割るのもめんどくさくなってロックのままのデュワーズとSpotifyの適当に作った才能の塊たちの曲を集めたプレイリストが文字を描くお手伝いをしてくれている。

高校生の頃はサブカル界隈にどっぷりはまることで時分が誰とも違う特別な人間なんだと思いたくて正直心から好きな部分もあったけれどそうやって振舞っていたように思う。なけなしのお小遣いで買ったサブカルクソ女御用達のセーラー服を身にまとって目の下を赤くして…今となれば黒歴史だけれど、そんな自分を好きだったんだと思う。誰とも違う私。モブキャラみたいなみんなと違うんだ、そう思いたかった。非凡で誰ともかぶらない自分、そう振舞うことが正しいと思っていた。今思うと高校の環境が息苦しかったのかもしれない。

大学生になっても、オタクよろしく絵を描くことやシーシャ、サウナにはまったりサブカル寄りの大学生活を送っていたと思う。ぼろぼろのアパートに住んで、邦画に出てくる男の子みたいな生活を送ることに正直価値を見出していた。ヘッダーはそんな時期の写真だ。そんな自分があまりにもキモい。でも、そんな部屋で友達や彼氏と冬は鍋をしたり、夏は狭いベランダでアイスをかじったり、隣近所が空室なのをいいことに銀杏BOYZの曲をかけながら、お酒を飲みながら煙草を吸って、友達と心の柔らかいところの話をすることもとても楽しかった、心の底から楽しかった。本当に幸せな時間だった。
それでも誰かの人生の主要キャラにはなれなかった。誰も必要としてくれない。私は一生モブキャラなんだと思った。なんとなく悔しかった。

そんな幸せな勘違いをした大学生の私は世間知らずで中高生の気持ち悪さを持ち合わせながら、身体だけ大人になってしまった。社会人になった今もそう。
恥ずかしいくらいにメンタルが年々弱っちくなってしまって今はしょうもない理由でせっかくギリギリで採用してくれた会社を休職して絶賛ニート中だ。

こんなはずじゃなかったのになあ、最初から期待させないでほしいから、身の丈に合った言葉以外かけないでほしかった。こんなことはわがままでしかないけれど。
どこで間違えてしまったんだろう。
無駄に膨らみ続けた自己意識、こんなものがなければ生きるのも少しは楽だったのかな。悔しい。
せめて好きな人にとってはモブじゃなくて記憶に残り続けたい。誰かに執着されてみたかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?