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打算vs直感

理解してくれるから、一緒にいたい
って、ごくあたりまえの気持ちのように聞こえるが、それは打算的なのか、直感的なのか。
それ以前に何事も理由をつけようとしてしまうのは価値を見出したいからなのでは、と思う。価値を付ければ自分にとって損か得なのかがハッキリして、損だと思えば対象から離れるのは言わずもがなだ。つまり理由をつけることは打算的ということになると思う、私は。

私は直感的に生きたい。感覚的に、それは自分を試していることと同じだと私は思う。それに、理由をつけてしまうと、そうでなくなった場合裏切られたと思ってしまうからてこともある。
しかし、直感的に物事を決めてうまく行ったことがなかった。最も相手から選択肢を提示されず、私が最初から選択をしそこに進んだ場合、だ。だから正直自分に頼る直感的な生き方は向いていないのだ。

打算的に物事を決めることは悪いことなのか、そういうわけではない。打算的に決めるということは自分への損害を最小限に抑えることができる可能性が高い。
ある意味一番一般的にいうところの"幸せ"をつかみやすいと思う。
例えば、将来を考えて学歴のいい人と付き合いたいと、マッチングアプリで相手を探したり、頭のいい大学のサークルに入り彼氏を作る友人は頭がいいなと思う。
まだ男性側の収入に頼ることになるであろう今現在ではそのほうが将来的に経済的に豊かな生活ができることが予測できるからだ。しかし、そのような経済的に満たされることが"幸せ"の全てかといわれるとそういうわけではないだろう。

打算的に恋愛をする人、直感的に恋愛をする人とは完全に求めているものが違うように感じる。

打算的に考えているうちは相手を所有物のように思ってしまうかのように感じる(以前自分が一緒にいた人にそう思っているように感じた節があるからだ)。極端に言えば外見や収入(将来的なもの)…周囲の人にいわゆる他人にマウントをとれるもの、がある人を選んでいるのではないだろうか。

直感的に好きになることは、私にとってある意味プラトニックなものに近いものを感じていてそのようなものを題材にした小説を読むと、つい登場人物に羨望の眼差しを向けてしまう。
その人の属するものをすべて取っ払った上で、本当の、心の深いところで惹かれることは私が求めているものに一番近い感情で、恥ずかしいので言葉にしにくいが、そのように思えることが愛なんだと思う。この考え方は少し宗教的だと思うがやはりそういう気持ちは清らかで綺麗だと感じる。
こう思うのは、寂しさ故に損得で相手を図ることよりも、もっと深いところで繋がりたいと思うからなのかもしれない。

やはりつい、自分の憧れを正当化しがちだ。

決して打算的に生きることを否定したいわけではないし自分にも少なからずそういう部分はある。けれども私の中で確立したものとして、奥に大切にしておきたいのはやはり、純粋で直感的な気持ちだと思う。
だから、相手に価値を付け、まるで買い物をするような目で人を見ることは辞めたい。

(追記)論理的に話せるようになりたいと思ったけれど難しいね…。

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