かぐや表紙NOTE

第2幕 第4場 宮中の一角

PDFファイルにて縦書きでも読めます)


真っ暗な舞台に読経の声。
それがだんだんと嵐の音、波の音に変わっていく。
船のきしむ音、雷鳴、そして人の声。

人の声1  皇子、無茶です! お止めください! 空が怒っておりまする。海が怒っておりまする。あの龍は神の使い、逆らえば必ずや神罰が下りましょう。

人の声2  みな、早く綱を取れ! どこでも良い。おのれを船に結いつけるのだ。さあ早く! 波に呑まれるぞ! 皇子、早くこちらへ。帆柱におつかまりください。

人の声3  おお、誰か助けてくれ! 波にさらわれそうだ。

人の声4  ナムアミダブツ、ナムアミダブツ。神よ、護り給え。

人の声5  だから止せばよかったのだ。龍の首の珠を取ろうなんて無謀にも程がある。たかが一人の女のために。

人の声2  皇子、皇子、何をしておられる!

人の声3  ああ、わたしはもうダメだ!

人の声1  おお、龍が怒っている。龍が怒っておられるぞ!

舞台上手、くがねの皇子の上半身、スポットライトに浮かび上がる。

くがね  ひるむな、みなの者! ここまで来て怖じ気づいて何とする。龍が神の使いなど迷信に過ぎん。こうして姿を現した奇跡こそ、我らが神のご加護を受けている何よりのしるし。戦わずして得られるものなど何もない。さあ、綱を体に巻いて立ち上がれ。あの七色に光る首のあたり。あそこを狙って矢を射るのだ。弓を持て! 勇気を奮い起こせ! ありたけの念を込めて矢を放つのだ!

( 弓を引き絞り矢を射る)当たった! 当たったぞ!

落雷。
くがね、悲鳴と共に倒れる。
舞台は再び暗闇に。

人の声2  皇子! 皇子! くがねの皇子さま!

嵐の音静まり、再び読経の声が舞台を支配する。
それが次第に、鳥の声、せせらぎの音に変わっていく。

人の声A  ( 大声で)皇子、大丈夫でございますかあ? 足許にお気をつけくだされ。足場が悪うございます。( 声を低めて)ああ心配でたまらん。もうあんなに小さくお見えになる。誰ぞ代わりに奴(やっこ)でも昇らせれば良かったものを・・・。

人の声B  どうしてもご自分で昇るとおっしゃってお聞きにならなかったのです。自分の手で子安貝をつかむのだと。

人の声C  お若いからな。じっとしてはいられないのだ。しかしツバメも意地の悪い。何もあんな高い崖っぷちに巣をつくらんでもよいではないか。綱の下にいる我々の方がハラハラして肝が縮むわ。

人の声D  まったくだ。罪作りな女もいるものよの。

人の声B  おや? 崖を舞い上がっていく。あれこそはお目当てのツバメではないか。皇子はお気づきだろうか。

人の声A  ( 大声で)皇子、聞こえていらっしゃいますか? ツバメがやってきましたぞ! よろしいですか。尾を挙げて三べん回ったら卵を産むしるしです。そしたら、目をつむってお手を伸ばすのです。ご覧になってはいけません。人が見ると子安貝は消えてしまいますから。

舞台下手、しろがねの皇子の上半身、スポットライトに浮かび上がる。両手で綱をつかんでいる形。

しろがね  ( 下を見て)あのアホウめ。あんな大声を出したらビックリして逃げてしまうではないか。せっかく苦労して巣を見つけだしたというのに。うむ、確かにあれはこの巣の主に違いない。桃色の腹が深い森の緑にいかにもけざやか。波打つ黒髪にかざした珊瑚の珠のよう。おお、八の字を描いている。あれこそ産卵の近い兆し。文書博士の言ったとおりだ。幾週間も待った甲斐があった・・・。

ウウ、目が回る。奈良の大仏を二つ重ねたとてこれほど高くはあるまい。なに、恐れるものか。( 上を見て)あそこにある巣だけに心をとどめるのだ。よし、もう少し昇っておこう。( 綱を昇る仕草)やっ、来た来た。巣に舞い降りたぞ。あたりをキョロキョロ窺っている。まるでケマリを見ている殿上人そっくり。あっ、尻尾が上がった・・・下がった・・・また上がった・・・・フウ、気をもたせる奴だな。今さら何をためらっているのやら。日を選んでいるわけでもあるまいに。( はっとして一点を食い入るように見つめる。ツバメの仕草に合わせるように首を三回廻す。目をつむりさっと手を伸ばし、何かをつかむ)

やった! つかんだ! ( 大声で下方に)おーい、やったぞ! 子安貝をつかんだぞ!

ブチッと綱の切れる音。
しろがね、悲鳴を上げて落下する。
舞台は暗闇に。

人の声A  皇子! 皇子! しろがねの皇子さま!

再び読経の声。
舞台中央にスポット。奥より僧達二列、念仏を唱えながら現れる。列は左右に分かれて、それぞれ上手下手より退場する。
再び暗闇。
舞台上手( くがね)、下手( しろがね)、中央の三カ所にスポット。
中央には御椅子に座した帝、その傍らに侍る中臣。
くがねとしろがねは、床に臥せている。

くがね  ( 首をもたげて)ああ兄上。おなつかしい。いつからそこに?

帝  僧達の祈祷の間に。

しろがね  お目にかかれてうれしく思います。このまま兄上のお姿を見ることなく、この世を去ることになるのではないかと、そればかり案じていました。

  ・・・二人ともここに運ばれてきたときは正体を失っておった。急いで僧を呼んで祈祷させたが・・・・( きっぱりと)これが今生の別れとなろう。

くがね  私は恥ずかしくてたまりません。兄上の前で大言壮語し、北の海へ飛び出してこの始末。このまま生き恥をさらさずに済むことだけが救いです。

しろがね  兄上に合わせる顔などとうていないことは分かっております。ただ、死ぬ前に今一度お会いして、お許しをいただきたかったのです。

  私の許しなど何の役に立とう? おまえ達は己れの信ずるところに従って振る舞い、勇敢に闘った。後悔はしておるまい。

しろがね  はい。後悔は決して。願い叶わずして尽きる命も惜しいとは思いません。ただ、兄上には幼き頃よりひとかたならぬ面倒を見ていただきました。そのご恩に少しも報いることなく終わってしまうことが、とても心苦しいのです。

くがね  まったくです。聞けば左大臣の様態がすぐれない。叔父上の大納言も私達同様、宝探しに失敗してこれまた病に臥せているとか。

中臣  病は病でも心の病よ。心の病が腹に下って見事ダイエットに成功。今では牛車に乗る力もないと牛がモーしておった。

くがね  頼りとする左大臣家の窮地にあって、少しでも兄上のお役に立ちたかったのに。

  よい。私はおまえ達二人が無事還ってくることだけを願っていたのだ。再び高らかな笑い声を上げてケマリに興じる姿を見せてくれることを願っていたのだ。今となっては、おまえ達をこのような目に遭わせた女こそ憎らしい。

しろがね  ( 強い口調で)ああ、どうかお願いです。かぐや姫を悪くとらないでください。姫には関係ありません。私達が勝手にのぼせて無理を承知で課題に応じたのです。もしそれが月の石を取ってこいというものであったとしても、数百の雁に綱を引かせて、空を飛ぼうとこころみたでしょう。

くがね  そのとおりです、兄上。かぐや姫をお責めにならないでください。姫のために死ねることをむしろ喜んでいるのですから。たとえ生き延びたところで姫が得られないのなら、何の甲斐もありません。ただむなしく時が過ぎ去るのを眺めているのが関の山。そんなふうに生きていて、何の楽しみがありましょう。お仕着せの幸せにくるまって、心のうちでは得られなかったものを悔やみ続ける。そんな人生に何の意味がありましょう。 

中臣  こりゃまた旨いヒキニク、いやヒニクだこと。

  今も愛しているのか。

くがね  愛しています。

しろがね  心の痛みが体の痛みを忘れさせるほどに。

  恨んではいないのか。

くがね  つゆとも。

しろがね  こうしていまわの際にあっても、まぶたに浮かぶはかぐや姫の姿ばかり。

  会いたいか。

くがね  ( 身を起こして)会えるのですか?

しろがね  まさかこの宮中に?

中臣  ハッ。見事フラれたわい。

  おまえ達が戻ってくるまでと宮仕えを命じたのだが、応じなかった。

くがね  ( 再び横になって)そうでしたか。兄上がお召しを・・・。

しろがね  ・・・兄上。私達はかぐや姫が誰のものとなるのも許せない、そう思ってきました。ですが兄上だけは・・・兄上ならば、かぐや姫も硬い心を開くやもしれません。

   ( 首を振って)なぜそこまで氷のように冷たい女を慕う? なぜ己が命を失うまで夢中になれる? ( 袖より立て文を取り出す)竹取の家から文が来ている。おまえ達が苦痛をこらえ書き送った文の返事だ。

くがね  おおうれしい。ずっと待っていました。

しろがね  姫は、かぐや姫は、何とおっしゃっているのです? 少しは私達を憐れんでくれているのでしょうか。

帝、中臣に文を渡す。

中臣  へいへい。( 文を開く)おや? 歌が二つ書いてあるきりだ。

『玉極る内裏に尋ねん龍田川 春の錦に水くるるらん』

注釈。エヘン。「龍を探しに行ったあなたは、遭難し、今や命も危ないと聞きました。あえてお尋ねします。伝説の龍の首の珠は、春の錦が龍田の川を染めるように、海水を七色に染め抜いていたでしょうか」

くがね  おお、かぐや姫。なんという心!

臣   『年を経て波立ち寄らぬ住の江の まつかひなしと聞くはまことか』

「あなたが立ち寄らなくなってから久しくなりました。ツバメの子安貝を手にあなたが戻ってくるのを待っても無駄というのは本当ですか。待つ甲斐( 松・貝)はもはやないのですか」

しろがね  それだけ? それだけか?

中臣、広げた文をペラペラと揺する。

帝  これほど情の薄い女をまだ愛しいと思うか。会いたいと望むか。

くがね  ( しばし間ののち)兄上。なぜこうもかぐや姫に惹かれるのか、正直のところ私達にもよく分かりません。ですが、恋とはもともとそのようなものではないでしょうか。理由(わけ)もなく誰かに惹かれ、手に入れたいと願う。手に入れるのが難しければ難しいほど、恋しさが募る。それが恋ではないでしょうか。

しろがね  かぐや姫は美しい。この世の人とは思えないほど清らかで神々しい。悟りに達した仙人とて、姫を一目見たら神通力を失い、雲間より落下してしまうでしょう。ですが、私達が惹かれるのは、姫の美しさのためだけではないような気がします。姫の気高さ、かしこさ、教養の深さのためでもありません。最初のうちこそ、美しいものを手に入れたい、素晴らしい妻を得て世間に誇りたい、ライバルの男達に勝って名を挙げたい、そんな野心もありました。でも今は違います。今はただ無性に姫が恋しいのです。己が存在のすべてを賭けて。魂の底の底から。生まれてきたのはただかぐや姫に会うがため、そう思えるくらいです。姫は私達の生きがいなのです。

中臣  子安貝のかわりに生きがいを捧げても嬉しがるまいよ。

  私とて人を好きになったことはある。理由(わけ)もなく一人の女を欲し、周囲の諫めも聞かず振舞った覚えもある。だが、それが何であろう。

恋する者は誰も、己が恋こそ世に二つとない本物と思うている。珍しい物語でもするかのように偶然に彩られた出会いを語り、恋人の強さ・美しさ・優しさを讃え上げ、情熱ゆえの常軌を逸した振る舞いを誇りかに告白する。月夜の誓いの神聖さを、後朝(きぬぎぬ)の別れのせつなさを、会えない日々のつらさを和歌(うた)に詠み、文に託す。互いを結びつけた前世からの因縁を思っては、感謝と不思議な思いに満たされる。何のことはない。誰もが同じ夢に浮かされているだけのこと。それが証拠(しるし)に、誰もが同じ顔つき同じ口ぶりで、同じ物語(はなし)を繰り返す。いい加減、飽いてもよいではないか。しかも、恋は手に入れたが最後、たちどころに醒めてしまう。夢ならば醒めるも道理。なれど人は性懲りもなく夢の続きを追いたがる。

中臣  次の恋こそ本当の恋!

帝   ( 中臣を睨みつける)くがね、おまえは言った。人を好きになるに理由はないと。なるほど、そのとおりであろう。だが、一体どれだけかぐや姫のことを知っているというのだ。いかに常人(ただびと)でない美しさを備えていようと、彼女(かれ)とて人間(ひと)の女には相違あるまい。しろがね、おまえは何を知っている。何事も思うままにならない罪深い女の身にあって、男がすべてを定めるこの人の世にあって、一体彼女が何を思い、何を願い、何を恃んで生きているのか。

くがね、しろがね、苦しみ出す。帝、驚いて立ち上がる。

  僧を呼べ!

くがね  ( あえぎながら)いや、やめてください。大丈夫です。

しろがね ( あえぎながら)僧を呼んだところで役には立ちません。

帝、腰を下ろす。皇子達の呼吸、次第に落ち着いてくる。

くがね  ( 静かに)兄上のおっしゃるとおりかもしれません。私達は余りにもかぐや姫のことを知らない。私達の知るかぐや姫は、偶然かいま見たこの世ならぬ姿、文や会話のはしばしにうかがえる素養の深さ、琴を爪弾く見事な技(て)、周りの者から聞くほめ言葉の数々。それがすべてなのです。

しろがね  今やっと分かりました。私達が求めていたもの、それはかぐや姫であって、かぐや姫ではなかったのです。なぜなら、彼女は一つの理想だからです。一つの夢だからです。この世に一瞬現れた彼岸。それゆえ美しく、それゆえ到達しがたい。彼女は不可能そのものなのです。

くがね  そうだ。だからこそ求めずにはいられなかった。追えば追うほど遠ざかる。遠ざかるほどに輝きを増す。山の端を離れる月のように。

しろがね  風吹けばなびく柳の葉のように、触れれば落つる薔薇の花びらのように、簡単に手にはいると分かっていたなら、決して恋などしなかったでしょう。私達だけではありません。おそらく他の三人も、いいえ昔から恋に身を投じた男は誰も、叶わぬ恋と知りつつ、叶わぬ恋であるが故に、身を投じたに違いありません。

中臣  人妻の魅力ってやつさ。

帝、扇を打ちつけて中臣を黙らせる。

くがね  嵐の海のただ中で、幾たび私は自問したことでしょう? この苦難をこの身に課すもの、この危険をこの身にもたらしたもの。それは本当に一人の女なのかと。怒り狂う雷(いかづち)は耳をつんざき、襲い来る波は身を粉々に砕かんばかり。龍の姿におびえた者どもは念仏を唱えながら次々と海へ飛び込んでいく。そうした中で、一人踏ん張り、弓を引き、龍に立ち向かう勇気を与えてくれたもの。それは本当に一人の女なのかと。

ああ。それはかぐや姫であってかぐや姫でなかった。龍の首の珠。その存在を私は信じていたでしょうか。いいえ。それが実在しようとしまいと、出かけずにはいられなかった。心の内に燃えたぎる、居ても立ってもいられぬ物狂おしさが私を駆り立てたのです。たとえ無駄と分かっていても、何かに賭けずにはいられなかったのです。

しろがね  私も同じです。ツバメの子安貝。それは夢よりもなお儚い。人に見られない時にのみ存在するというのなら、一体どこの誰がそれが桃色であると知りえたのでしょう。人は私の決心をあざ笑い、私の企てを馬鹿にしました。若さを讃えるその陰で、世間知らずと笑いました。でも、行動せずにはいられなかった。確かめずにはいられなかったのです。かぐや姫への愛の真実(まこと)を。私の魂の純粋を。

しばし間。

中臣  ( 節をつけて)月にため息 桜に吐息 闇に呟く独り言

右を向いても 左を見ても バカとアホウの愚痴あらそいよ

  ( たしなめるように)黙れ。

中臣  中はもぬけのからじしぼたん 一人冷めてる茶碗蒸し

  ( 怒って)黙れと言っておる! お前の言葉は耳に障る。下がっておれ。

中臣、驚いて帝を見上げる。帝の本気を見て取り、肩をすくめて退場。

くがね  ( 息も絶え絶えに)兄上。

帝  なんだ、くがね。

くがね  去年の春を覚えておられますか。ちょうど今時分の桜の満開の、望月の皓々と輝く美しい晩でした。私達は竹取の家へ行く前に兄上にご挨拶に伺いました。兄上は、一人で月を眺めていらした。( 力なく笑い)あの時、中臣をあやうく絞め殺そうとしましたっけ。

  うむ。止めなければ良かった。

しろがね  兄上。

  なんだ、しろがね。

しろがね  どうか最後のお願いです。竹取の家に伝えていただけませんでしょうか。私達が命の尽きる寸前まで、姫を、かぐや姫ただ一人を、慕い続けていたことを。

  伝えよう。おまえ達の情熱と純粋のすべてを。私には敵(かたき)とも思える情け知らずの女に。

しろがね  まだそのように・・・。

間。

皇子達  ( 突如として)かぐや姫。あなたは一体?       

左右のスポット消える。

  私は二人の弟を失った。彼らは私と血を分けたもっとも親(ちか)しい者だった。先の帝の種を享け、左大臣の娘を母に持ち、望んで手に入らぬ物など何一つなく生い育った。若く、美しく、逞しく、前途洋々たるものがあった。満開の桜さえ、二人の前では恥じて散り急ぐように見えたものだ。

それがどうだ。たった一人の女のために、名も命も未来も捨ててしまった。何一つこの世で得ることなしに逝ってしまった。

( 立ち上がって)だが私は同情していない。うらやんでいるのだ。彼らはこれより年を取らない。美しい影(かたち)のままに、夢を追い続けた若い心のままに、永遠の青春(はる)を謳歌するのだ。

( 前に歩み出て)かぐや姫、そなたは一体?

ライト消える。

― 幕―



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