第1幕 第2場 竹取の翁の家
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同夜。月、天頂に達す。
座敷に竹取の翁、媼(おうな)、五人の求婚者、酒や料理を前に談笑している。
侍女たちが給仕している。
座敷の一隅は、客席からは御簾で、求婚者たちからは屏風で隠されている。(後にここにかぐやが入る)
家の外には透垣(すいがい)がめぐらされ、裏手 に築地(ついじ)、その向こうに竹林が見える。
媼 それでは大伴の大納言さまが優勝されたのでございますか?
大納言 ええ。今日は運がついておりました。(双子の皇子をちらっと見る)
媼 運などと。女の身ですからよくは存じませんが、ケマリというものは技を競ぶるものと聞いております。やはり名人でいらっしゃる。
大納言 いやいや、ここにおられるお二方を差し置いて名人などと。皇子たちこそ名人の名にふさわしい、いずれ劣らぬケマリの手練れ。今日はたまたま調子がお悪かったのでしょう。
くがね (横を向いて)空々しい。
しろがね (くがねを制しながら)勝負は時の運と申します。次の折りには私達の本当の実力をお目にかけましょう。
大納言 これは恐ろしいこと。どうぞお手柔らかに願いますよ。ところで、石上の中納言殿にはケマリをなされないのですか? 最近ダイエットに励んでおられるとかお聞きしましたが。
中納言 誰がそんなことを。ただ、この身が忙しくなるにかまけ、運動不足でなまる一方の体を引き締めようというだけ。昨今はこれでも父の名代をつとめることが多うなりましたので、ケマリだ音楽だと遊び歩いている暇(いとま)もないのです。
媼 そうでございましょうとも。天子さまのご後見として今をときめく左大臣さまのお世継ともあれば、そう安々と外歩きなど叶いますまい。
中納言 分かっていただけますか、媼殿よ。
大納言 のわりには、ずいぶんとこちらには足繁く通っておられるようですね。それも関白殿の名代というわけですか。
中納言 いや何、さればこそ、少しの暇あればこうして参上する私の気持ちを汲んでいただきたいもの。それもこれもかぐや姫をお慕いするがゆえ。
媼 ほんにもったいなくもありがたいことでございます。
大納言 媼殿。まろとて右大臣を父として持つ身。次の代には摂関家としてならびない繁栄が約束されています。常日頃より父には、妻にするなら最高級の女性を選べと言われてきました。これまでまろが石上殿のように正妻を持たず、独り身をかこってきたのも、身分、容姿、人柄、三拍子そろった理想の女性を探し続けてきたゆえ。しかるに、世間広しと云えども、これというお方にはなかなか巡り会えず、自らの理想の高さを嘆いているうちに、ついつい年月を過ごしてしまいました。
中納言 おや、それは初耳。方々に大納言殿を慕っている女性がいるともっぱらの噂ですぞ。
大納言 慕うのは向こうの勝手。バラの花がまといつく蝶を追い払うことができないのと同じ。
中納言 私はまた大納言殿こそ、あちこちの花の蜜を吸い集める蝶々かと見てまいりました。
内大臣 それにしても大伴殿。今のお話だと、あなたの妻になるにはよほどの身分でないといけませんな。よもやあなた、かぐや姫をお囲いになるおつもりか。
大納言 (大仰な身ぶりして)あれえー。これは内大臣殿らしからぬお言葉。かぐや姫の美しさ、高貴な人となりは、この世の物差しでは到底測り得ぬもの。身分の高い低いなど超越しておられます。姫こそはまさにまろが長年探し求めていた女性。次の御世を担う大伴家の北の方となるにふさわしいお方です。
中納言 先のことなぞ誰にも分かりませんぞ。わが石上一族こそ、代々の大君に仕え、あまたの后(きさい)を輩出してきた名門中の名門。昨日今日成り上がった手合いとは格が違います。わが姉君は、一人は先の帝の、一人は今上の后(きさい)。私の妻となる人は、こうした輝かしい列に連なることになるのです。と言うより、かぐや姫こそ輝きのもと。姫が石上家に一層の光彩(ひかり)をもたらしてくれるのは、間違いのないところでしょう。
大納言 しかし、そこもとにはすでに正妻がおられるはず。
中納言 正妻にした覚えはありません。分別もつかぬ若い時分に周りから押しつけられ、仕方なく面倒を見ているだけのこと。子も成しておりません。かぐや姫を妻に迎え入れることになりましたら、きっぱりと縁を切るつもりです。
媼 まあまあ、どちら様もありがたい志のほど、身にあまる光栄と存じます。(翁に)ねえ、おまえさま。
翁 まったくその通りでござります。日頃より我が娘の結婚については思うところがござりまして、このようないやしい身分もわきまえず、志を高う持ち続けてまいりました。その甲斐あって、これまでたくさんのご立派な方々より、もったいなくもありがたいお言葉をいただきましたのですが、よもや同じ殿上人でもここにおられる皆様方のようなやんごとない方々のお申し出を得られるとは、思ってもみませなんだ。親の欲目もありましょうが、我が娘かぐやはたとえどんな高貴なあたりにまじっても、おさおさ劣らぬただならぬ気配を備えております。手前などは齢(よわい)七十を越えまして、本来なら身も心もすっかり枯れ果てているところ。じゃが、娘を見るだけで何やらふつふつと力が湧き起こり、遠い昔に味わった青春(わかさ)の泉を再び目の当たりにする思いになるのです。(媼、大きくうなずく)
ここにいる家内をご覧くだされ。この髪は染めたのではござりません。朝夕かぐやの傍らにいるうち、自然とよみがえったのですじゃ。
媼 まあ、おまえさま。やめてくだされ。恥ずかしい。
大納言 いやいや、まろも会うたびに媼殿が若々しくなられるのにはビックリしています。最近はますます肌のつやが増して何やら色っぽいような・・・。
媼 (まんざらでもなく)おやめくだされ、大納言さま。こんなババアをつかまえてご冗談など。
大納言 あいにく冗談は苦手なものですから。実はまろがこちらに参上する楽しみの中には媼殿に会うことも大きいのですよ。
ほかの四人、あきれ顔で大納言を見る。
媼 (嬉しそうに)ほんに大納言さまはお上手でいらっしゃる。さ、さ。
媼、大納言の杯に酒を注ぐ。
翁 (咳払いして)そういったわけで、私ども二人、長の年月娘を大切にかしづいてまいったのですし、少しでも良い縁あればと思い定めてまいった次第でござります。何と言っても女子(おなご)の幸福は、頼りがいある立派な夫君を持ち大切に養われること、それ以外にはありませなんだ。(一同大きくうなずく)
そうして、どこをどうさがしても皆様方以上に理想的な婿殿はおられますまい。
くがね かぐや姫はなぜ結婚を承諾なさらないのですか?
しろがね まさか他に心を決めた人がいるのでは?
翁 (あわてて)とんでもござりません。ただもう世の中のことを何も知らぬ子どものかたくなな心で、結婚を情けないものと思うているらしいのです。
くがね 情けないとは?
翁 はあ、それが私にもよう分からんのです。男が女を娶り、女が男に連れ添うのは世の習い。親しく睦み合ってこそ、子が生まれ、孫に囲まれ、後々まで家が栄えます。命に限りある人間が永遠(とこしえ)に生きるには、子孫を残し、その血の中に生きるほかあるまい。と、そのように言い聞かせたのですが・・・。
くがね 姫は何と?
翁 はい。「私には男女の仲というものが分からない。永遠の命なぞ有り難いとは思わない。人は独りで生まれ、独りで死んでいくもの。はかないこの世に何を期待して束縛の多い結婚などいたしましょう」とこう申すのです。
しろがね ああ。この世に恋以上に素晴らしいものがあるでしょうか。惹かれあった男と女が手を取り見つめ合い夢心地に語り合う。それ以上に美しい瞬間(とき)があるものでしょうか。可哀想なかぐや姫。姫はまだ恋をご存知ないのです。私のこの一点のくもりない心をお見せできれば。
くがね 氷のように冷たい姫の心を情熱の炎で溶かしてみせましょう。
内大臣 若い方は元気があってよろしいですな。ただ、一途なだけに物事を一面でしかとらえられないところもあるようにお見受けします。この齢(よわい)まで生きてまいりますと、自ら望まずともいろいろなことを見聞きし、つらきこと悲しきことも数々体験してまいりました。この身は愚かな分際でありながら、左右の大臣に並び、天下の政をまかされるようになりましたが、長年連れ添ってまいりました妻に先立たれましてからは、世をはかないもの、味気ないものと嘆じてきたのです。この年頃は、御仏の教えにひかれるようになり、朝晩欠かさず経を唱え、尊き教えのかたはしなりとも学ぼうと精進してきました。が、罪深くも浅はかなこの身ゆえ、はかばかしくもまいりません。
なあ、翁殿よ。私はこちらにおられる若い方々のようにかぐや姫を扱い申そうとは思っておりません。人の命がはかないものなら、男女の仲もまたはかないもの。一時の気の迷いに身をゆだね、男の甘言を信じたがため、思いもかけぬ浅ましい目にあった女性の例(ためし)など数限りなくあります。なべて男というものは、初めのうちこそ愛だの恋だのと体のいい言葉を並べ、下にも置かぬようにもてなし、当人は永遠の契りなぞ結んだ気でいるのですが、毎日同じ屋根の下で顔をつきあわせているうちに有り難みが薄れ、女が子どもの世話に明け暮れし、知り合った頃の初々しさを喪ってしまうが最後、よその女にちょっかいを出すようになるのです。挙げ句の果ては、新しい女のために正妻の座を追われ、親にも世間にも顔向けできないような目を見ることになります。
翁殿。私には姫のお考えがよう分かります。姫は決して子どもめいたわがままを仰っているのではありません。おそらくは、私が仕える悟りの道に非常に近い、まれなるお人なのです。男女の仲は果てがありますが、仏の道に果てはありません。ひとすじの静かで清らかな道です。俗世の醜い権力争いに巻き込まれることもありません。
私は姫と助け合い、いたわりあいながら、この永遠へと続く道を歩んでいきたいと思っています。世間普通の男と女のようではなしに、極楽浄土の同じ蓮の上を目指す御仏の弟子どうしとして、清らかな友情を取り結ぼうと言うのです。
翁 よくぞおっしゃってくだされました。まったくごもっともなお話で、阿部の内大臣殿の思慮の深さ、信心の深さに頭の下がるばかりでござります。実は私も、娘がいつまでもこうしてかたくなに結婚を厭うて売れ残ってしまうくらいなら、いっそ出家でもさせたほうが本人のためにも、また世間体も良かろうと思い始めておりました。
媼 まあ、おまえさま、何を言うのです。出家などもったいない。
大納言 そうですとも。出家などいつでもできること。出家して世を捨てたつもりの人がいまだ未練たらしく、髪を下ろしたのを後悔している姿ほど情けないものはありませんよ。
くがね 私もそう思います。仏の道のことはよく分かりませんが、やりたいことをやり尽くしてからでも決して遅くはないはずです。
しろがね、中納言もうなづく。
翁 いやいや、私とて本気で尼にするつもりはござりません。ただ、私どもが生きております間は娘もどのようにしても生きていかれましょうが、気は若いつもりでいても老い先短うござります。私どもが死んだら娘はどうなりましょうか。それを考えると夜もおちおち眠れないのですじゃ。いっそ徳の高いお坊様のもとに預け、後々のことをお頼み申そうか。とそんなことも――。
内大臣 それならやはり私が適任かと思います。徳の高い僧侶と言えども、世に疎いお方は何かにつけ頼りないものです。私なら親代わりに姫を後見し、時が来たならば一緒に俗世間からきっぱり身を引くこともできましょう。
大納言 親代わりとはご親切な。実際、阿部殿は姫とは親子ほど齢が離れていますからな。
中納言 その分、姫が一人残される公算も大きいですぞ。
内大臣 人の寿命ほど当てにならないものはありません。若い若いと浮かれていても、明日の知れない点ではそちたちと私とでは些かも変わらぬ。石上殿には大食漢らしいが、昔から肥満は早死にすると言いますぞ。
大納言、高笑い。
中納言 余計な―(怒りを抑えて)これはご親切にもご忠告いただきまして。お返しに私からもあなたの仏様に一言。「いつまでたってもやって来ない弟子を待つよりは、ミロクボサツと般若湯(はんにゃとう)でも聞こし召され。」
大納言 これはまた痛烈な。(高笑い)
内大臣 何とおっしゃる! 私の信心を馬鹿にするだけならまだしも、御仏を冒瀆なされるか! 罰当たりにもほどがありますぞ。
中納言 おや、お気に障りましたか。これは失礼しました。どうも私は口が悪いものですからね。大納言殿のように女を口説きなれてもおりませんし・・・・。
大納言 なっ。
しろがね 翁殿。今宵私達五人をそろってよばれたのは何やら大事な話があるからとのこと。まさか、姫のご出家を知らせるためではありませんよね。
くがね こうしてお互いに張り合っていてもラチが明きません。早く話してください。
中納言 おお、それが良い。酒ももう沢山。翁殿、本題に入りましょうぞ。
大納言、内大臣、うなづく。
翁 かしこまりました。(媼に目配せする)
媼、心得たようにうなづき、奥に入る。侍女たちも退がる。
翁 (いずまいを正して)今宵おいでいただいたのは他でもありません。皆様方のたびたびのお運び、ご立派なおみやげの数々、いやしい身の程の娘にはもったいないほどのご厚情。こうしたものをいつまでも捨て置いておくほど、私どもも礼儀知らずではござりません。先刻から申しておりますような次第で、娘はなかなか折れないのでござりますが、「高貴な方々にこうまでしていただいてナシのつぶてではわしの面目が立たない。苦労してお前を育てたのも、こんな山里に埋もれさせとうなかったからだ。この上は何としても、五人の方よりお一人選びなさい。それができないようなら、この父は命をもって方々にお詫びするよりない」と、こう説き伏せたのでござります。
内大臣 何とも立派な心がけ。まさしく親の鏡ですな。
中納言 それで姫は何と?
翁 はい。しばらく一人で思案しておりましたが、こう申しました。「五人の方に直接納得のいくご返事を差し上げたい」と。
くがね (意気込んで)姫にお会いできるのですか?
しろがね ああ、うれしや!
大納言 なるほど。姫は実際に我らを見た上で選ぼうというのですね。
五人、身なりを整え出す。
翁 いえ、そのう、何やら条件を出そうと畏れ多くも考えているらしく・・・。
中納言 おお、それは名案。どんな条件でも喜んで呑みましょうぞ。左大臣の息子にできないことなどありませんよて。
大納言 財というものは何かと役に立つもの。姫のためなら、まろが家の蔵には鍵はかけませんよ。
内大臣 親の七光や黄金の輝きに目が眩むほど、姫も愚かではあるまいて。
中納言 ほう。仏のご威光になら目が眩むと言われるのか。
内大臣 またしても御仏を侮辱しおったな。そなた、地獄に堕ちても知りませんぞ。
中納言 あなたと一緒に極楽の蓮の上にいるよりは、地獄の業火に焼かれるほうがマシ。もっとも、阿部殿の蓮の上には親代わりとなった女人が多くて、私の乗る隙間もなさそうですな。(笑う)
内大臣 極楽の丈夫な蓮とて、そなたばかりは支えられまい。
大納言 ほほほ。おっと、失礼。
中納言、真っ赤になる。
くがね 私達はかぐや姫のためなら何だってします。この命、姫に預けたも同然。
しろがね 愛に試練はつきもの。くぐる炎が熱いほど宝石は輝きを増すのです。
皇子たち 姫のおっしゃる条件とは何です?
翁 おお、娘が、かぐやが参りました。
月、皓々と輝きを増す。座敷の奥の御簾の向こうを光に包まれ、かぐやが横切る。あとを媼が付きしたがう。一同沈黙して、かぐやの影を追っている。かぐや、御簾と屏風とで囲われた座敷の一隅に入る。媼は元の座に戻る。男たちは呆然とした面持ち。
翁 わが仏、かぐやよ。今宵こうして五人の方々がそろってお出向きあそばれた。どの方もこの上なく尊いご身分でおられるばかりか、あなたを思うてくださる気持ちも、なまなかなものではありません。どうか明日をも知れぬこの父の言うことを聞いて、かたくなな態度を改めておくれ。
媼 ほんにそうですよ。どちらも素敵な方ばかり。女にとって立派な殿御に愛される以上に幸福なことはないのですよ。
かぐや (抑揚のない落ち着いた声で)愛が目に見えるものならば、その色を見、形に触れ、誠か嘘かたしかめることもできましょうが、かげろうのように正体のないものの真偽をいかにして知ることが叶いましょう。愛している、という言葉だけをたよりに、なよ竹が風になびくようについていってもよいものでしょうか。
翁 そうむずかりなさるな。どのお方も今日まで幾度となく、この草深い山里まで足を運んでくださっているのですぞ。並々でないこころざしのほど、あなたも分かっていようはず。これを誠と言わずになんとする?
大納言 (ハッと目覚めたように)そ、そうです。かぐや姫よ。まろこそは大伴の大納言御行(みゆき)。姫のおそばにいられることだけを楽しみに、これまでずっと通ってきました。姫と結婚できましたならば、必ずや幸福になります。いや、幸福をお約束します。
中納言 私、石上宿禰(すくね)。父は関白左大臣、石上清麻呂。姫と結婚できますのならば、一食、いや二食、いいや三食抜いてもよろしいと思っておりまする。
くがね 私達も姫のためなら何でもします。
しろがね どうか私達の誠意を信じてください。
内大臣 (落ち着き払って)まあまあ、みなさん。そう口々にまくし立てられては姫もお困りじゃろうて。私、阿部御主人(みうし)も姫を思う気持ちでは、どなたにも引けを取らぬつもりですが、賢くもただ今姫が仰ったとおり口では何とでも言えるもの。巧言令色すくなし仁、と申しますからな。なんでも翁殿の言われたところによると、かぐや姫よ、あなたは何やら我々に条件を用意なされておいでとのこと。それをお聞かせくださらぬか。
かぐや、黙している。
翁 さあ、かぐや。何を考えているのか、皆様方にお伝えなさい。
かぐや 皆様の心のほどを確かめるために、お一方におひとつずつ手に入れていただきたいものがございます。いずれか一等早く、私の望むものをお持ちいただいた方の元へ嫁いで参りたいと思います。
媼 まあなんて畏れ多いことを。
内大臣 いや、良いお考えです。それなら正々堂々と競いあい、互いに恨みなく決着がつけられます。(他の四人、うなずく。) 五人とも異存はありません。どうぞ何なりとお申しつけください。まずはこの私から。
かぐや 阿部の内大臣さまには、仏の石の鉢をお持ちいただきとうございます。
内大臣 (おうむ返しに)仏の石の鉢。(驚いて)仏の石の鉢ですと!
媼 いったい何なのですか、それは?
内大臣 お釈迦様のお使いなされた石の鉢のことです。
かのブッダガヤの菩提樹の下にて、偉大なる釈尊はめでたくもお悟りをひらかれました。その折り、東西南北雲一つないみ空が破け、帝釈天より遣わされし四天王、すなわち持国天、広目天、増長天、多聞天が現れ出(い)でたのです。
彼らは鉢を一つずつお釈迦様に奉った。持国天は東の空の曙の薄紅に染まる鉢を、広目天は西の空の夕焼けのだんだら模様の鉢を、増長天は南の夜空を流れる乳白(ちち)色の河に七千七夜ひたした鉢を、そして多聞天は夜明け前の北の空の限りなく透明に近い瑠璃(るり)を映した鉢を。悟りを開いた御手がそれら四つの鉢を重ね、印を結ぶと、四つの鉢はまたたくまに一つとなり、四つの色は四方に恐ろしい光を放ちながら混ざり溶け合い、宇宙の暗黒をその身に宿すことになったのです。そのとき放たれた光の矢は、四万四千里四方の罪人の心を射抜き、地獄落ちの宿業より救われたと言います。
媼 何とまあありがたい。
翁 感心している場合ではない。内大臣殿、その仏の石の鉢はどこにあるのですか。
内大臣 どこにあるも何も、そんな本当とは思えない話・・・。
中納言 おや、これは面妖な。お釈迦様の身に起こったことなら、どんな不思議も不思議ではないと、いつぞや私にお教えくださった。あれは偽りだったのですか。
内大臣 め、滅相もない。むろん、釈尊自らがお使いなされた石の鉢、必ずやどこかにありましょう。私はただ、私のような愚かな者がそんな尊いものを手にしては、罰(ばち)が当たるのではないかと、それを案じているのです。私だけならともかく、翁殿や媼殿、それにかぐや姫にもしものことがありましたら・・・。
媼 (心配になって)かぐや。そんな大それた物はやめにして、何か他の物をお頼みしなさい。
かぐや 私のほしいのは仏の石の鉢でございます。宇宙の暗黒をその身に宿しながらも、望月の光をとこしなえに放つという。その鉢に汲んだ水でのどを潤せば、あらゆる煩悩がたちどころに消え失せ、まごうかたない悟りの境地が得られるという。その石の鉢でございます。
内大臣 よくご存じでいらっしゃる。
中納言 いやー。なかなか。プロポーズを断るにもいろいろな手のあることよ。
大納言 姫。まろには、まろには何をお望みですか?
かぐや 大伴の大納言さまには、蓬莱の枝をお持ちいただきとうございます。
大納言 へ? 何ですと?
かぐや 西の海、唐土の南に蓬莱という島があります。その島を流れる河のほとりに、黄金(こがね)の茎、白銀(しろがね)の葉、真珠の実をもつ木が生うていると聞きます。
媼 まあなんて美しい木!
かぐや それを一枝手折っていただきたいのです。
大納言 金の茎、銀の葉っぱ、真珠の実。なるほど、想像するだけでも目の覚めるようなゴージャスな木。さすが姫はセンスがよろしくていらっしゃる。いいでしょう。この大伴、その蓬莱とやらに出かけて、一枝と言わず丸々一本、その木を伐って参りましょう。
内大臣 ふん。そんな容易にことが運ぶものか。だいたいそなた、蓬莱山がどこにあるか知っておられるのか。
大納言 西の海、唐土の南に。
内大臣 どうやって行かれるおつもりか。
大納言 立派な船をすぐに仕立て、海に詳しい者、地理に詳しい者、旅慣れた者を大勢雇って参ります。
内大臣 (あざ笑って)そなたがここまでめでたいとは思わなかった。
大納言 何とおっしゃる!
内大臣 古来(いにしえ)より蓬莱は人のよう至らぬ地。永遠休息(えばれすと)、霧魔邪露(きりまじゃろ)と並ぶ幻の山と知られておる。四六時中、島の周りを幾重にも霧が包みこみ、櫂をこぐ己れの手すら見えないと言う。この霧に取り巻かれた者は、天地も皆目分からぬ白い檻の中で、いづくから流れてくるとも知らぬ高麗(こま)笛の調べに酔い、ついには気が触れてしまうのだ。それでも生きて帰って来られれば儲けもの。霧に方向を失い、岩礁に乗り上げ、つと現れた岸壁に避けるよしなくぶちあたり、肌理(きめ)の細かいしつこい霧に舌の先まで凍りつき、早い話いくつ命があったところで蓬莱にたどり着くは至難の業。(天をさして)月の都へウサギ狩りに行って来いというようなものよ。
大納言 おお、かぐや姫よ。まろをからかったのですね。いけない人だ。
媼 申しわけございません、大納言さま。本当にそうですよ、かぐや。冗談にもほどがあります。さあ、何か他のものをお頼みしなさい。
かぐや 私のほしいのは蓬莱の枝でございます。黄金の茎、白銀の葉、真珠の実。その枝を一振りすれば御殿が建ち、二振りすれば蔵が並び、今一振りすれば王位に就くという。振るごとに、月の都に吹く風と寸分違わぬ響きを奏でるという。その蓬莱の枝でございます。
大納言 何というつれない仕打ち。
中納言 まあツキがなかったというところですね。さあ、次は私の番です。かぐや姫よ、何を私に望まれます。裏の林のタケノコですか。それとも清涼殿の焼けた石ですか。
かぐや 火ネズミの皮衣を。
中納言 火ネズミの皮衣。ネズミの皮、ですか?
媼 まあ気持ち悪い。そんなものどうしようと云うのです。
翁 かぐやよ。どうしてそう無理難題ばかり申すのじゃ。この父を困らせて、そんなに楽しいのかい。
中納言 翁殿。何なのです? 火ネズミの皮衣とは。
翁 無学な爺ですじゃ。くわしいことはよう知りません。火ネズミは火の山に棲み、マグマを食べて生きるケダモノ。火山の噴火と共に生まれ、最初の雨に打たれて身を朽たすと申します。
中納言 なるほど、それで火ネズミというわけですね。(ハッと気づいて)えっ、では、その火ネズミを捕まえるには、火の山に登らなければならぬわけですか?
翁 (うなづいて)しかも、火ネズミのすばしこさは普通のネズミの比ではござりません。体を覆う毛という毛から火柱を立て、触れるものすべてを一瞬にして灰にする。まさに走る火の玉。
中納言 (つばを飲み込んで)走る火の玉。
大納言 石上殿。そなた暑さは大の苦手でしたっけ。難儀なことよの。
内大臣 いやいや火の玉を追ってしこたま汗をかけば痩せられること請け合い。そういえば、東でちょうど噴火中の山があるとか。そなたついてますな。
媼 一体どうしたというのでしょう、この娘(こ)は。さっきからけったいなことばかり言って・・・。
翁 かぐやよ。何か他のものに変えてさしあげてはどうじゃ。女子(おなご)の手に死んだネズミなど似つかわしくありませんぞ。
かぐや 私のほしいのは火ネズミの皮衣でございます。雪の降りしきる寒い夜も、その皮衣をまとえば、ふるさとの美味し夢に寒さを忘れ、安らかな眠りを得られるという。火にくべても決して燃ゆることなく、かえって清らかな色つやを新たにするという。その袖に腕を通した者には、古今東西の知恵が宿るという。その皮衣でございます。
中納言 いっそ天女の羽衣でも持ってこいとおっしゃってくりゃれ。
翁 何と申し上げたものやら。我が娘ながらまったく強情な気性、お恥ずかしゅうござります。
くがね 残るは私達二人ですね。今までに出された課題を聞いた以上は、私達のそれとて並大抵のものではありますまい。覚悟はできています。何なりとおっしゃってください。
しろがね どんな課題が与えられようと、私達の決意を翻すことはできません。それこそ「姫をあきらめよ」という言いつけ以上に困難なものはないのですから。
かぐや はるかな北の海に齢(よわい)千年を越える龍が棲んでいると聞きます。この龍の首に七色に光る珠があり、虹を呑み込んだのだという者もあります。
くがね 分かりました。その龍の首の珠ですね。私に注文されるのは。
しろがね 私には?
かぐや 南の海に浮かぶ常夏の島に、桃色の腹をしたツバメが巣くっています。そのツバメは卵と一緒に桃色の子安貝を生むといいます。
しろがね 桃色の子安貝。
媼 ああ、私にはわけがわからない。龍の首の珠だの、ツバメの子安貝だの、この世のものとは到底思われない。だいたいそんなものを手に入れたところで、どんなご利益があるというのです?
翁 かぐやよ。この世はおとぎ話とは違うのじゃよ。雛遊びにかまけるような年頃でもあるまいて。そう絵空事ばかり言うのは止して、もっと現実的になられてはどうじゃ。
かぐや 無理と思われるのなら、お断りいただいてもかまわないのです。無病息災を約束する龍の首の珠、子孫の繁栄をもたらすツバメの子安貝。この二つのほかにありません。お二方にお願いしたいものは。
くがね もちろん、私の返事は決まっています。さっそく、剛の者を集め北へ行く船を仕立てるつもりです。
しろがね 私も同じです。まずは文書博士を訪ね、ツバメの子安貝なるものについて調べてみましょう。
翁 おお。ご承諾いただけますのか。娘を見捨てないでくだされますのか。
皇子達 もちろんですとも。
翁 有り難いことでござります。(と拝む)
内大臣 わ、私は少し時間をいただきたい。仏の御前にていろいろ考えたいこともございますので。
翁 ごもっともでありましょう。
媼 どうかよいお返事を。
大納言 まろは・・・まろも・・・・石上殿にはどうなさるおつもりか?
中納言 何を急にこちらに向けられる。私はですねえ、実は今ちょっと己れの立場を考えておりました。左大臣家の跡取りとして天下の政事をかたはしなりとも助け、帝にお仕えしなければならない。そういう立場におる者が、火ネズミの何とやらを求めフラフラと、そのほっつき歩くのもどんなものか、と。いや、決して臆病から言っているのではありませんぞ。姫を得る代償がどれほどであろうと高すぎるということは絶対ありませんし、姫に対する私の思いの熱さが火ネズミの熱さに劣るとは思えません。ただいささか尋常でない話。やはり、しばしの猶予をいただきたい、とこう思うわけであります。
翁 どうかよろしくご検討くだされ。
中納言 (額の汗を拭いつつ)はあ。前向きに対処いたしたく。
この間に媼、かぐやを五人の目から隠している屏風のほうにいざりよる。
大納言 まろにも時間をくだされ。わが身ながらなかなか思うようにならぬ体ゆえ、かえってこの重い冠が憎らしいのです。いっそ無位無冠の身にあらば、蓬莱だろうとどこだろうと姫のおっしゃるところに喜んで飛んでいきますものを。
すでに皆様ご存じのように、まろが妹であります東宮妃殿下がご懐妊の由。兄としても、また右大臣家の一人としても、ご案じ申し上げずにはいられません。運良く男子でも授かろうものならば、次の御世に引き続き、次の次の御世も大伴家が帝のご後見を仕ることになり、そうなるとまろの立場もなまなかなものではありません。
中納言 ちょっとお待ちたもれ。何をたわけたことを。次の御世はともかく、次の次の御世は我が石上家がご後見するに決まっているじゃないですか。
大納言 今上には御子がおありにならないのですから、次の東宮にはまろが妹の生んだ御子が立つことになりましょう。
中納言 まだ世継ぎができないと決まったわけでなし。今上が我が姉君を寵愛なされること並々ではありませんぞ。
大納言 愛情だけで子供の授かるものならば誰も苦労しないのですよ。何やら聞いた話、帝はこのところご不例がちだとか。実際、朝議にもお出ましにならない。まろは非常にご心配申し上げているのです。
中納言 でたらめもたいがいになされよ。無礼ですぞ。
くがね そうです。兄上がご病気などと。とんでもないことです。
大納言 それを伺って安心いたしました。口さがない輩(やから)の実際多いことよ。帝が最近ものもよく召し上がらず、夜なども御遊びもなくじっと一人閉じこもっておられるのは、物の怪にとりつかれたからに違いない、などとけしかぬことを申している者がおりまして、よもやと思いながらも案じていたのでございます。
しろがね 兄上、いえ陛下はお変わりなくいらっしゃいますから、どうかご心配なく。今宵も皇后さまのもとへお渡りあそばされているはずです。沈みがちにお見えになりますのは、おそらく先頃の内裏の火災のショックが尾を引いているためでありましょう。
中納言 まったく奇っ怪な事件だった、あれは。一体どこのどいつが内裏に火をつけるなど、神をも恐れぬことをしでかしたのやら。今上の在位を喜ばぬ手合いの仕業としか思えぬが・・・。とんと見当つかぬ。
大納言 いかにもきな臭い。あるいは内裏をどこへやらに移して政事を独占したいと考えた者の仕業とも・・・・。
中納言 (気色ばむ)何ですと? 今、何と仰られた?
その時、媼が屏風を引きたおす。
バタンという音に皆いっせいに振り仰ぐ。
媼 (足を押さえて)おお痛。つまづいてしまいました。
五人、唖然とした表情でかぐやを見ている。かぐや悠然と立ち上がり、静かに奥へ入っていく。
しばらく間。
大納言 ――というわけで公私につけ忙しいこの身ではありますが、かぐや姫の願いとあらばどうして聞き入れずにいられましょう。翁殿、媼殿、まろは承知しましたよ。蓬莱の山とやらへ、金の茎、銀の葉っぱ、真珠の実をもつ木を探しに、喜んで参ることにしましょう。(傍白)よもやこれほどの女人がいようとは・・・。
中納言 わ、私も決心しました。火ネズミの皮衣。いいでしょう。どんな手を講じても手に入れてみせましょうぞ。(傍白)オレはなんてブスと結婚していたんだ。
翁 おお、ご承諾いただけますのか。ありがとうござります。
内大臣 (咳き込んで)他の四人の方々が返事をしましたからには、この安部の名も加えていただきましょう。なに、初めより私はそのつもりでいたのですけれど、すぐこの場で返答するのは重々しさに欠け、思慮の浅い者のように見られるのではないかと思ったのですよ。
翁 ごもっともで。
くがね (ぼう然と)何という美しさだ。己れの目が信じられない。
しろがね あの人が手にはいるのか? 本当に? 手に入れてみせるとも。
媼 (屏風を起こしながら)とんだ失態をお目にかけまして・・・。
翁 どうやらすべての方にご返答いただきましたようです。
安部の内大臣殿には仏の石の鉢、大伴の大納言殿には蓬莱の枝、石上の中納言殿には火ネズミの皮衣、くがねの皇子さまには龍の首の珠、しろがねの皇子さまにはツバメの子安貝。いずれか一番早くお持ちいただいたお方に、娘をお受けいただきましょう。
くがね 誓っていただけますね。
翁 はい。この命に代えまして。
翁、杯を取り掲げる。
五人も同様に杯を掲げ、同時に飲み干す。
内大臣 そうと決まった上はゆっくりしていられぬ。今宵はこれにて失礼いたします。(立ち上がり)翁殿。私の帰りを待つがよろしい。私はこれから唐土(もろこし)に行く。かの地には仏法に詳しい知り合いがたくさんいる。釈尊のお使いなされた石の鉢、その在処(ありか)を尋ねてみましょう。九重の奥深くに眠っているやもしれぬ。高い峰を随える木深い僧坊の霧の中に隠されているやもしれぬ。あるいは、三蔵法師のように天山南路をたどり、天竺へと旅することになるやもしれない。
見つけて参りましょう。いかなる苦難があろうとも。たとえこの身に仏の罰(ばち)があたろうとも。(退場)
大納言 (立ち上がり)媼殿。まろが帰りを待つがよろしい。まろはこれから西へ行きます。幻の蓬莱目指して、八十島かけて漕ぎ出しましょう。湧き立つ荒波も、身を凍らす魔の霧も、旅の空にて姫がために落ちるまろが涙ほどには、この袖を濡らしはしないでしょう。黄金の枝を飾る真珠の珠も、まろが涙の粒ほどの大きさも輝きもありますまい。
見つけて参りますよ。いかなる危険があろうとも。たとえこの身がかたわになろうとも。(退場)
中納言 (立ち上がり)翁殿、媼殿。私の帰りを待つのですぞ。私はこれより東へ向かう。火ネズミを捕らえに火の山に登るつもり。こうして噴火時に立ち会えたのも、天が私に味方しているからとしか思われません。姫と結ばれる前世からの因縁を自然も告げているのでしょうぞ。なに、バーベキューと思えば火ネズミも怖くありません。
見つけてきますぞ。いかなる代償を払っても。たとえこの身が辛苦ですり減ろうとも。(退場)
くがね (立ち上がり大声で)かぐや姫よ。聞こえておられますか? 私はこれから北の海へ参ります。
しろがね (立ち上がり)私は南の島へ参ります。
二人 私達の帰りを待っていてください。
くがね どうやって龍を探したものか、どうすれば退治できるのか、私にはまだ分かりません。
しろがね けれど夏になればいつもの軒に戻ってくるツバメのように、私達も姫の望みの品を携え、必ずここに戻ってきます。
くがね 遠く離れていても私の思いは龍よりも高く空に上り、雷(いかづち)となって狂おしくあなたの名を叫ぶでしょう。
しろがね 私の思いはツバメより疾く海を渡り、竹を騒がす風となって、幾たびもあなたの名をささやくでしょう。
くがね かぐや姫。私の愛。
しろがね かぐや姫。私の誠。
二人 すべてか無か。あなたがほしい!(走って退場)
翁、五人のあとを追って退場。
媼、翁について行くが、ふと足を止め、舞台中央に戻る。縁より月を見上げ、柏手を打ち、月に祈るうちに。
ー幕―
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