第1幕 第1場 宮中の一角
(PDFファイルにより縦書きでも読めます)
心にもあらでこの世にながらへば
恋しかるべき夜半の月かな
春の宵。満月。
舞台奥に帝。客席に背を向け縁に座り、月を眺めている。縁の先に、満開の桜、ときおり散っている。舞台下手より続いている板塀が、桜の幹を客席よりさえぎっている。
舞台外より中臣の唄が近づいてくる。
中臣 ひさァかたのォー、ひかァりのどォけき、春の日に(下手より登場)、アア春の日に、しづゥごころォーなくゥ、花の(桜を見上げ、手にしている扇で下から扇ぐと、桜は勢いよく散り出す。満足そうにうなづき)花の散るらん。
ウム、花は散ってこそ花、夢は覚めてこそ夢、人は死んでこそ人、死なない人間はバケモノと相場が決まっている。そのデンで行けば、家も燃えてこそ家、というわけだ。
そうさね。こうやって夜桜が楽しめるのもおウチが燃えたからこそ。内裏だか大豆だか知らないが、あの清涼殿というところは殺風景でつまらない。庭に見えるものといや、呉竹河竹、竹二本。花もなければ実も食えない。もっとも、紫宸殿には右近の橘、左近の桜。いや待てよ。左近の橘、右近の桜(考え込む)ともかく桜もあるにはあったが、あれは花見にゃ向かないお飾りだし、いまじゃ寝殿もろとも真っ黒焦げのカリントウ。墨染めの桜たァ、このことよ。
あれだけなにもかも燃えてなくなりゃ、いっそ気分がいい。どこのどなたさんの仕業か知らぬが、天晴れなやつよ、ウン。
おかげでおいらがダンナも、雪のさなか内裏を追われ、ここにこうして仮住まい。わびしい春でごぜえますだ。
ま、ダンナもあの固っ苦しい、そうぞうしいおウチより、この左大臣のじっちゃんの邸の方がお気に入りの様子。無理もない。生まれ育ったウチだもんな。亡きおっかちゃんのご実家とくりゃ、屁をひるにも遠慮がいらない。
かくして、おいらーダンナの腰ぎんちゃくにしてかばん持ち、下(しも)の世話から女の世話までよろずおまかせ、苦労人の蔵人、家来の中の家来ーこの中臣も、ここにこうして伺候しているわけさ。シコウったってあんた、歯のかすとはわけが違うよ。―って一体おいらは誰に話しているんだ。
ま、いいや。だいたい蔵人って仕事ほど割に合わないものはない。雨にも負けず風にも負けず雪にも夏の暑さにも負けず、東にいい女がいると聞けば行って宮仕えしろといい、西にいい坊主がいると聞けば首に数珠かけ引っ張ってきて、后(きさい)に嗣子(やや)の授かるまじないをさせる。南に良からぬ噂が立てば火の元確かめ煙を消して、北に優れた薬子あれば精力増強黒マムシ、子宝珍宝なんとやら。ダンナの行くとこどこへでも、たとえ火の中藪の中。影のようにシッポのように、楯にも杖にもなりまする。食事の時には毒味役、昼寝の時には子守役、ダンナが屁をひりゃおいらが出番(ブっと音がする)「失礼、今のおならは私です」(観客に一礼)
春夏秋冬、朝昼晩、ダンナのためならなんだ坂こんだ坂、グチの一つもこぼざずに、いつもニコニコほほえんでいる。そういう人に私はなりたい!
――って、そういう人なんだよ、おいらは。
宮仕えも楽じゃないよ。しかも仕える相手が相手だもんな。これがサ、いいとこのお嬢様でサ、足の裏でも舐めたくなるよーなきれいどころだったら言うことないが、何つったっておいらのダンナは、ダンナの中のダンナよ。日本で一番おエラい方ときている。後釜をねらう手合いも多い。後釜を据えるために火をつけた奴らの手際よさよ。下手すりゃおいらも今頃蔵人の姿焼きってか。
しかもだ。近頃のダンナの気むずかしいこと。もとから陽気なタチではないが、ここ最近のふさぎよう、うっとうしくて適わない。ほら、ああして一人、月ばかり見ている。
(帝に近づき)おい、ダンナ。月の光を浴びるとキチガイになるってよ。
帝 (振り向かぬまま)キチガイにキチガイ扱いされるは、正気の証拠。
中臣 どうやら手遅れらしい。
帝 今宵は右大臣方で、東宮妃懐妊の宴がある。望月に満開の桜。さぞ盛り上がっていることであろう。
中臣 この世をば わが世とぞ思う 望月の――。
帝 歴史は繰り返すか。だが、いくら右大臣が東宮の後見として次の代(よ)の権勢を約束されていようが、望月を歌うにはまだ早い。(振り向く)天下は私の手にある。
中臣 老いた左の手の内に。
帝 私が左大臣の傀儡(かいらい)というか。口の減らない奴。まあ、当たらずと言えども、か。東宮が大伴の右大臣の孫なら、私とて石上の左大臣の孫。
中臣 娘は孕ませ、おのれは肥える。
帝 それもこれも先の帝が左右の大臣の娘を后(きさい)とし、平等に御子(みこ)を生ませた結果。最初が私、次が東宮。
中臣 一人は左の操り人形、表舞台で踊らされ、一人は右のマリオネット、そでに控えて化粧中。
帝 しかも東宮の后(きさい)がこれまた右大臣の末娘ならば、私の后(きさい)はこれまた左大臣の末娘。私が左大臣方なのは皆の知るところ。
中臣 操る糸はじじいの手の内、真っ赤に染まったクモの糸。
帝 石上の利益は私の利益、損失はまた私の損失。便宜を図ってやるのは当然のこと。
中臣 糸が切れれば、ハイ、それまでよ。
帝 焼けた内裏の代わりにこうしてあれの邸を使うているのもそれ故。
中臣 内裏の代理。
帝 いま私が死ねばあちらの天下となることは左大臣も承知している。入鹿、道長のためしもある。栄華は長続きしないものだ。望月もいつかは欠ける。
中臣 他人事(ひとごと)のように言ってやがる。
帝、黙り込む。中臣、欠伸する。
帝 何用あって来たのだ?
中臣 おっと。つまんないグチにつきあわされて用を忘れていた。これだから蔵人は災難だ。真面目に働こうとすれば、当の主人から邪魔される。
帝、縁に扇子を打ちつける。
中臣 ハイハイ。えーと、西の御殿から使いが参りやして・・・
帝 ・・・后(きさい)か。
中臣 ハア。(袂を探る)あった!(縁を回って文を差し出すが帝は受け取らない)ハイハイ、分かりやした。世話のやける御尽でございますね。(文開く)え~、「つれづれなるままに日暮らし硯にむかいて・・・」 どっかで聞いたセリフだな。「つれづれなるままに日暮らし硯にむかいて、万葉古今などの写本をすれば、いとど上つ方が忍ばれまする。月に桜の散るはかなさを多少なりとも慰めようと、琵琶・琴など取りそろえ、音楽を催しています。笛の響きのないのをもの足りなく存じます。」
ははァ、つまりダンナに来てもらいたいってことだな。ダンナの笛で慰めてほしいと。(言外の意味に気づいたように)まあ、ダイタン!
帝 大方、左大臣の差しがねだろう。東宮妃の懐妊を聞いて、あれは焦っているのだ。男児が生まれでもすれば、次の次の御代まで大伴方になりかねぬからな。
中臣 ダンナにもっと子づくりに励めってか?(腰を動かす)
帝 そういうことだ。
中臣 なんと返事しましょう?
帝 ・・・・・・。
中臣 今日は笛の調子が良くないとでも? それとも笛吹けど孕まず、かな。
(帝、虚ろな表情で月を見上げる。中臣おもむろに唄い出す)
昔、中国三千年
時の帝は三十路も半(なか)ば
親なし家なし子供も持たず
夢も希望も力も持たず
花の盛りの過ぎ去りければ
取りいつきたるふさぎ虫
今で言うならメランコリーよ
月にため息桜に吐息
闇につぶやく独り言
右を向いても左を見ても
バカとアホウの島あらそいよ
中はもぬけのからじしぼたん
一人冷めてる茶碗蒸し
誰が名づけたニヒリスト
一千人の美妃の手で
百斗の酒を注がせて
詩歌管弦ならしても
お馬と家来を集めても
誰もかえせぬかえった卵
ついてはなれぬふざぎ虫
物語(うた)を忘れたペシミスト
さてさて
医者も坊主もまじないも
月とスッポン草津の湯でも
取り戻せないが心の春よ
シルクロードに砂をかみゃ
諸行無常の味がする
いかでこの世を過ぐしてよとや
無為につかれたふさぎ虫
ついには――
帝 静まれ! 誰ぞ来るようだ。
陽気な笑い声が聞こえてくる。
くがね 兄上! 兄上はおられますか。
くがねの皇子、しろがねの皇子登場。酔っている。
しろがね 待てよ、くがね。御前だぞ。
中臣 月の犠牲者がまた二人。
くがね おお、中臣。帝にしたがう犬のようなお前。どこだ、兄上は?
中臣 互いに乳繰り合う猫のような二人。行き先違わぬ左右の沓(くつ)のような二人。股間にぶら下がる二つの――
帝 (中臣の言葉をさえぎって)くがね、しろがね、こちらに参れ。
双子の皇子、帝に近寄り礼をとる。
くがね (一杯機嫌で)兄上、こちらでございましたか。皇后様のところから琴の音が聞こえましたので、あちらにお渡りかと思いました。
帝 今し方呼ばれたところだ。
しろがね 兄上、ごきげんよろしゅうございます。
中臣 あんまりよろしゅうないわい。
帝 しろがね、お前も元気そうだ。二人とも今宵はご機嫌のようだな。
しろがね 醜態をご覧にいれまして申しわけありません。実は大伴の右大臣の宴に呼ばれまして・・・。
中臣 親の心子知らず。兄の敵(かたき)のすすめる酒をバカな弟イッキ飲み。
くがね (気色ばんで)なに?
しろがね (くがねを制して)お聞きください、兄上。
私達とて兄上同様、石上の左大臣を祖父として持つ身です。母は左大臣のいまひとりの娘にして、皇太后陛下の御妹。皇太后陛下亡きあと、先の帝の寵を享けたのでした。私達も当然左右の大臣家の反目を知らないわけではありません。ただ、今宵の宴の余興としてケマリの試合があると聞いて、いても立ってもいられず・・・。ご承知のように私もくがねもケマリには目がないのです。
くがね (くやしそうに)大伴の大納言の汚いこと。あいつがズルしなければ、私かしろがねが優勝できたものを。親が親なら息子も息子。
中臣 親のムスコは息子の産屋。
しろがね そういう次第で、ケマリが終わってそうそうに引き上げようと思っていたのですが、右大臣に引き止められましてついつい杯を重ね・・・。
帝 無下に断るほうもあるまい。右大臣とて、ケマリの試合に当代の名手であるお前たちを欠いては片手落ちと分かっているのだ。
中臣 息子の優勝に箔をつけるために。
帝 まだ宵の口。もっとゆっくりしておれば良かったものを。
くがね (いきごんで)はい。実はこれから行くところがあるんです!
帝 ほう。お前たちもそんな齢であったか。最近よく出歩いていると聞くが・・・。
しろがね (恥ずかしそうに)周囲の口さがない者が考えているような、そんな浮ついた気持ちで通っているのではありません。私達はいたって真面目な思いを抱いているのです。
帝 私達?
双子の皇子、うなづく。
中臣 これは傑作。双子の猫がやっと発情期を迎えたかと思えば、同じ雌猫にゴロニャーンとは。まあ、生まれた子の父親(てておや)ばかりは絶対にわかるまい。
くがね (憤って)雌猫だと! おのれ、かぐや姫を雌猫呼ばわりするとは! 許さん!(中臣につかみかかる)
帝 (声高に)くがね!
くがね、ハッとして中臣を放す。
帝 中臣は私の道化。いかなる悪口雑言も私の前である限り許される。知らぬわけではあるまい?
くがね (頭をたれて)申しわけありません。つい、かっとなりました。
中臣 (首をさすりながら)若さはバカさとはよく言ったもの。
しろがね 私からも謝ります。かっとなったは私も同じ。
帝 よい。お前たちがその女を思う気持ちの浅くはないことがよく分かった。何と言った、その名前?
しろがね かぐや姫でございます。
帝 かぐや姫。どこの娘か?
双子の皇子、顔を見合わせる。
くがね 竹取の翁といって山里にすむ長者の一人娘です。
帝 貴族の娘ではないのか?
くがね はい。(やっきになって)しかし、そんじょそこらの貴族の娘より、ずっと気高く品のある、その名の通り輝かしい人です。
しろがね その通りです、兄上。かぐや姫ほど美しいひと、賢いひと、清らなるひとを、私は見たことがありません。
帝 ほう。もう見たのか?
しろがね (真っ赤になり)いいえ、まだです。
くがね 姫はとってもつれないんです。
帝 なぜ美しいと分かる?
しろがね 何と言いましょう、輝きが普通の人とは違うのです。昔、允恭(いんぎょう)天皇の御世に衣通姫(そとおりひめ)と呼ばれた方は、その美しさが衣を通して輝いたと言われています。かぐや姫の美しさもそれと同じ、いいえ、衣どころか几帳や御簾を通じてさえ、輝き渡ってくるのです。竹取の邸全体が、廊下やきざはしや築地(ついじ)やかわらの一枚一枚にいたるまで、月の光のような清らかさに満ちて、世にもまれなる人の存在を知らせているのです。その輝きに接すれば、病んでいる者は健やかになり、傷ついている者は痛みを忘れ、悩んでいる者は憂いをなくしてしまいます。
くがね まさにその通り。兄上も一度かぐや姫をご覧になられたら、きっと気分がよろしゅうなりましょう。
帝 (笑って)だが、その輝きは恋している者にしか見えぬのではないか? 恋する者の目には一節(ひとよ)の竹がくがねにもしろがねにも見えるもの。
中臣 やっとの思いで割ってみれば、竹のことだけあって中は空洞(カラッポ)。タケノコのうちに食っておけば良かった・・・。
帝 (双子の皇子が反駁しようとするのを制して)その竹取の翁とは、一体何者なのだ?
くがね それが不思議な話なのです。
もともとは、その名の通り野山に交じって竹を取り、竹細工を商っていたらしいのです。当人はすでに齢七十を越えていますし、女房もまた白髪まじりのいいお婆さんです。長いこと村人とのつきあいもなく、二人きりで暮していたらしいのですが、ここ数年のうちに妙に羽振りが良くなって、立派な邸は建つわ、人はたくさん雇うわ、もちろん竹取の仕事もやめてしまった。不思議に思った村人が邸にのぞきに行ってみると、きれいななりをした女たちが右に左に仕えている中に、普通でなく神々しい光を放つ人影を見た。それがかぐや姫だった、というわけです。
中臣 おとぎ話のようだ。
帝 実の娘ではないのか?
しろがね 実の娘だと翁も媼も言っておりますが・・・。だとすると、ずいぶん年老いてからできた子になります。かぐや姫は十七ということですから。
中臣 よくもまあ、ばばあが干上がんなかったもんだ。じじいも竹取だけあって竿の手入れが良かったんだな。ダンナによろしく教えてやってほしいところだ。
しろがね それからというもの村中がかぐや姫の噂で持ちきり。評判は村から村へ、町から町へと広がりまして、男たちはこぞって竹取の家に押しかけました。
くがね でも翁もたいしたもので、自分の娘はそんじょそこらの男にやるつもりはない。それなりの身分の家にふさわしいと――。
帝 たいした思い上がりだな。
くがね ええ。ですが、たしかに翁の言うとおり、后(きさい)にしても何の遜色とてないかぐや姫の美しさ、気高さ。生い立ちをだれも知らない不思議もあって、竹の精ではないかと人々は言い合っています。
しろがね 断られた男たちは、せめて姫の顔だけでも一目見ようと、昼夜別なく邸の回りをうろついて、塀に足かけ木にぶら下がり機会をねらいました。が、何せガードがたいへん固くて、ついにはあきらめてしまいました。
くがね それでも噂はとどまるところを知らず、今度は都の男の妻訪(つまど)い騒ぎ。
帝 なるほど。しかし、その身のほど知らずの老人とて、よもやお前たちにケチをつけるわけにはいくまい。
しろがね 翁以上に固い砦がかぐや姫だったのです。都から相当な身分の男が老いも若きも姫を得ようと意気込んで出かけていきました。翁も媼も今度はホクホク顔で応対し、あれやこれやと姫に取り次いだのですが、誰一人色よい返事を得られぬまま――。
くがね (ため息混じりに)おお、かぐや姫。つれない人よ。
しろがね 結局、最後まであきらめずに残ったのはたった五人。
帝 五人?
しろがね はい。いずれも地位も身分も家柄も文句のつけようのない者ばかりです。
くがね 兄上が聞いたら、驚かれましょうぞ。
中臣 なーに。おのが疎さには驚きなれていましょうぞ。
帝 申してみよ。
しろがね (指折って)阿部の内大臣。
中臣 抹香臭いスケベ爺い、仏の名をかたって女を往生させるか。
くがね (いまいましそうに)大伴の大納言。
中臣 親が親なら息子も息子。いずれ劣らぬスケコマシ。金の力と口のうまさじゃ、こいつの右に出る者はなし。それもそのはず、右の大臣(おとど)のドラ息子。
しろがね それに・・・・石上の中納言。
中臣 おやおや、身内とは・・・・。馬鹿の血は争えないなあ。
帝 石上のー。私の叔父にして、義弟(おとうと)。
しろがね はい、私達の叔父上です。
帝 最近、妙に洒落っぽくなったと思っていたが・・・。
くがね (笑いをこらえて)お気づきでしたか。近頃ダイエットなぞ始めたようです。
帝 あの食いしん坊がか?
くがね はい。牛車を引く牛泣かせで有名だったあの人が、毎日牛がわりに車を引いて、邸の中を回っているそうです。
中臣 うしぐるまならぬ、ブタぐるま。
帝 恋の力とは偉大なものよ。それにしても、左右の大臣の息子が恋敵とあっては、両家の対立の火に油を注ぐようなものだな。
しろがね はい。かぐや姫の冷たい拒絶のみが、その火を鎮めているのです。
くがね なんの、私達だって、相手が叔父上だからといって遠慮するつもりはありません。
しろがね そうです。兄上、ご覧になっていてください。この勝負に私達はありったけの情熱を賭けるつもりでいるんです。
舞台外で石上の中納言と供の者の声。
中納言 おい、何やってる! 早く進まぬか!
供の者 はっ、申しわけございません。牛車がどうにも動きませんで・・・・。
中納言 動かないだと?
供の者 はい。下は厚く散りつもった桜のじゅうたん。車が埋もれてしまうのです。
中納言 何を言う。以前の私ならいざ知らず、今は減量した身だぞ。引けぬわけがあるまい。
供の者 はあ。ですが、やはり一度車からお降りになっていただいた方がよろしいかと・・・
中納言 冗談こくな。牛の力で足りないのなら人を呼べ。お前たちが引いていくのだ。
供の者 ・・・・・・。
中納言 何をぼやぼやしている。急いでいるのがわからんのか。かぐや姫がお待ちしているのだ。今宵は我々五人を集めて、何やら大事な話があるとのこと。何としても一番乗りするのだ。さあ。さあ。
くがね 叔父上だ!
しろがね 石上の中納言だ!
くがね さあ、しろがね。私達も早く支度をしようではないか。
しろがね うむ。遅れをとるまいぞ。
くがね 兄上、今宵はこれにて失礼を。
帝 (うなづいて)首尾よういけばよいな。
しろがね ありがとうございます。姫を思う気持ちなら誰にも負けません。
中臣 (あとを取って)私達。
帝 私の牛車(くるま)を使うがよい。
くがね もったいなくもありがたい仰せ。ですが、牛車はじれったくてたまりません。月明かりを頼りに馬で行こうと思います。
帝 ならば私の馬を使うがよい。中臣、たいまつと馬の用意をせよ。
中臣 へいへい、たいまつと馬ね。お馬ちゃーん、出番ですよー。(節をつけて)月の光に照らされて 栗毛も芦毛も青白く 馬上に乗るは誰あらん、と。(退場)
しろがね では、兄上。(双子の皇子、深々と礼をして退場)
帝、しばらく桜を見上げている。
帝 花も終わりだな。満開と思ったときはすでに遅い。寛容さを欠いた新しい葉が早く枝をゆずれとせっついている。花びらの一枚一枚は、過ぎゆく春を追うかのように散り急いでいく。風にあおられた花びらは、地面に打ち沈むまでの刹那に、月の光にさんざめきながら、あざやかな舞いを見せてくれる。その中に一人たたずむ私は、花の色香に酔うこともなく、冷たい光に照らされて、去って行く春を恨んでいる。
一陣の風に桜が舞い上がる。
一体、私の心に巣くうこのむなしさの正体は何なのだ? 私の心をつたのように覆い、知らぬ間に朽たしていくむなしさ。私の心に霜と降り、芯まで凍らせてゆくむなしさ。このかたくなな氷のために何をする気にもならない。何をしても心の浮き立つことがない。色恋も遊びも帝王の座も、私の息がかかるや冷たく凍りつき、私の指が触れるや重い鉛と化して生き生きとした輝きを失ってしまう。何をしても、どこにいても、死にも等しい静けさと退屈が続くばかり。すべてを許された境遇にいて、何をすることもできないのだ。一方、弟たちはどうだ。腹違いなれど、同じ帝の血を分けた皇子。私の愛する弟たちは。酒に恋にもろもろの遊びに青春の時を謳歌している彼ら。情熱のおもむくがままに振る舞い、一時も立ち止まることのない彼ら。あの若さ、果敢さ、純粋さ。何と私とは隔たりのあることか! 私は彼らの愚かさを知っている。無知にも等しいことを知っている。だが、愚かであることの何と幸福なことか! 無知であることの何と美しいことか!
(ハッとして)おお、私は嫉妬している。一国の王たる私が、弟たちの若さを前に身悶えている。何一つ賭することのなかったおのが青春を悔いているのだ!
月輝きを増す。帝、縁から下り月を見上げる。
もう遅いのだろうか。この桜のように散り果てるを待つばかりなのだろうか。あの月のように欠けていくほかないのだろうか。もはや許されないのか。上等の酒に酔うように、己をなくして、花と舞い狂うことは!
舞台外より中臣の声。
中臣 シルクロードに砂をかみゃ
諸行無常の味がする
いかでこの世を過ぐしてよとや
無為につかれたふさぎ虫
ついにはふさいだ腹を切る
帝 中臣!
中臣 (登場)御前に。
帝 月も上った。后(きさい)のところに渡る。案内(あない)せよ。
(暗転)
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