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gemini6rabbit
母への思い―ありのままを受け容れてほしかった
あなたからわたしへの"愛"は
わたしじゃなくて あなたを向いている
「気づいて」なんて言わないけれど
あなたの生き方を
鉄板のように わたしに押し付けないでほしい
あなたの世界とわたしの世界は 異なる
わたしは
あなたがいなくなった後も
生きねばならないのだから
引用:
https://www.instagram.com/p/Ckpvv6ruFco/?utm_source=ig_web_copy_link
子供の頃、親は絶対の存在だ。
ご飯を食べて、学校に行って、生活するために、従わなければならない。
"反抗期"を経て、それぞれの人生を作り上げるのかもしれないが、わたしにはそれがあまりなかった。
(別件で、反抗期みたいなのはあったけど)
母は祖母の価値観を引き継いでいる。
「他の人から何も言われないように」。
"体面"を気にするのだ。
わたしにもその価値観は引き継がれ、結果、パニック障害を引き起こした。
「自分がどう生きたいか」より「他人にどう思われるのか」をフォーカスした、結果だ。
母の世界に口出しする必要はない。
母には母の道理があり、わたしにはわたしの道理がある。
母の愛は、母の道理からきているもの。
だから、母はそれをわたしに強要したい。
わたしはそれを拒否したい。
でも、拒否する権利を認められない。
わたしの世界を認めてもらえない。
だって、母の行為は、「体面を守る」動機から生まれており、
わたしは「体面を守る」道具にされているから。
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