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弱いまま堂々と生きる。

わたしは弱い。

生まれつきの感受性の高さが、世の中に合わず。

こころとからだをすり減らし、弱くなってしまった。


こころとからだの不調を"アクセサリー"として持ったり、

「生きづらい」なんて言っちゃったり、

「発達障害」かと疑ったり、

「繊細さん」だなんて名乗ったり。


人間は人の性質をなんだって"勝手に"定義するし、正直、なんであろうが構わない。

あまりになんやかんや言われ続けたら、「うるせえ」ってなっちゃう。(口が悪い)


さて。

わたしは弱くて構わない。

わたしがわたしを把握していれば、それは"運用方法"次第でどうにでもなる。

「強い」と呼ばれる、声が大きくて主張が激しい人間になりたいかと言われたら、否だ。

そんな世界で生きたくはない。


ここは、「強い」人が作り上げた、刺激が強い世界。

わたしの生まれ持った性質が悪いのか?

否、環境の方に問題がある。

生まれ持ったものに、良いも悪いもない。

環境次第だ。

環境が整えば、わたしは生きやすくなる。

近視の人が、めがねをかけるように。


だから、弱いままで良いのだ。

強い人が見えないものが見える。

人の苦しみが見える。

人が傷つく深さが見える。

それこそ、人間にとって大切なもので。

"弱さ"は"優しさ"になり、"優しさ"は"賢明さ"になる。


わたしが外の世界との関わりを調整すれば、

この世界に生きて負った傷は徐々に癒え、

最終的に"賢明さ"だけが残る。


それを目指して、今日も生きる。

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